仏教】 悟りを開いた人のスレ276 【天空寺
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悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もする事。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。
前スレ【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1515900831 >>481
父母未生以前の己が、それなのか!
おおおおお
しかし、一時間動かないなんて人生で一度もないことだな
素晴らしい
そのようなことが答えなのか
たしかに誰も、いやいや
ありえそうな話だから誰か言ってそ、笑 まあしかし、答えを導くという
その、つまりは、そのなのかもしれん
ふむう
一時間立ってろ動かずに
それが無一物である
と、まあ、同等かもしれんか、、、?
ふむう
まあ、そーなんかなあ どうせなら
生涯不動の奥の院
とかのがかっこいいやw おお、まてまて
それだと残ってしまうやないか!
うーむ >>486
精神病棟?
まさか俺が精神病だと言うのかwwww 俺はプライベートを覗き見されたのだぞ
3人くらいに
いやもうひとりおるか
四人だな、思い出せる範囲では
バレなきゃいい
の方がやばいじゃないか 阿含経典、南伝大蔵経/律蔵/パーリ聖典を読めば読むほど、
鬼和尚の語っていることがブッダの教えと違うことが次々と発見されるのはつまり..... ブッタの悟りって縁起と五蘊皆空でしょ
それを知る方法が止観だった まあええや
もっとゆるせんやつが、ベターっと陣取っておったのだから、まずは、そっちからだ! >>492
これは、おちょくった人の話ね!
お釈迦様のことじゃないよ 彼らは意識は我である
我は意識を有す
我が内に意識がある
あるいは意識の中に我があると考える
だがしかし意識は移ろい変わる
意識が移ろい変わるから、彼らに、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩みが生ずるのである
しかるに色において、受において、また意識において、その無常なること、変易するものなることを知り、
貪りを離れ、滅尽すべきものなることを知り、
先の意識も今の意識も、すべては無常、苦にして移ろい変わるものなることを、あるがままに正しき智慧をもって観るならば、
その時、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩みは消滅するであろう
Gautama Buddha 汎銀河読心装置との和平は、そして、味方の撃墜と主体の陥落は、覚醒なのか? あるがままで、よかあ
はどうだろうか
エロエロさんw センスとは、なんだろう?
受ということと似ておるのではないか?
笑うサカナさん 彼らは覚者と呼ばれており
俺はアホにされ続けておるwwww
精神病とはなんじゃ!
神通力と呼びなさい、笑 >>501
ひふみ神示さんよ
心理学とは宗教の現代版だよw
まあ、禅をしっておられるようだがww >>500
東大での北海道出身の西部邁ではないので、語意は置いておいてだなwww
智はビラミット状をしていると言う事じゃwww
それは皆誰も同じと考えられるのじゃwww
しかし、それは過去のものとも言えるじゃwww
然るに未来は何処にあると言うとじゃwww
それは、センスにあると言うことじゃwww
そしてそれで、正見などと諸行無常諸法無我を悟り唱えた釈迦は偉大だったのじゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www 釈迦のセンスは人一倍に特化して又すぐれてたからの仕業でもあるけどなwww
なめなめとかこじとかは思考妄想が主だから悟りとは違うカルトのジャンルだと思うけどwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>508
>なめなめとかこじとかは思考妄想が主だから悟りとは違うカルトのジャンルだと思うけどwww
カルトのジャンルと思ったのかのお^^
それが思考じゃのお^ー^
わっはははははははははは〜〜〜〜〜 >>499
>あるがままで、よかあ
はどうだろうか
エロエロさんw
それでよかよかじゃよ^^
ナイロンpanty被ったままで、よかあ
も、ええじゃろうのお^ー^ また、センスは受けるばかりではなく行いを伴って発信したりしてレーダーになるのじゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www エッチでリッチな なめなめおじさん はまずロクなことを言わず、何も益にもならず、
時間の無駄と目の疲れに終わるだけなので、
NG:NAME エッチでリッチな なめなめおじさん
と登録しておきましょう。
http://fast-uploader.com/file/7074418144473/ >>512
このNAMEでは
どうじゃろうのお^^ その動画は、平昌五輪会場のオブジェらしいのお^^
被っておるのはナイロンpantyではないのじゃよ^ー^
ナイロンpantyは永遠なりじゃのお^^
わっはははははははははは〜〜〜〜〜 なめなめ念仏
なめなめだぶつ ち〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん ぽ ナイロンpanty被って瞑想じゃよ^^
心の中でとなえるのじゃのお
ぽこちんひとつ
ぽこちんふたつ
ぽこちんみっつ
以下100ぽこちん数えた後
ぽこちんひとつに戻って
7回繰り返すのじゃよ^ー^ >>517
滅尽という言葉の意味を黙想せよ!
救われないやつらよ
俺は本気でキレたんだ
散々書いてきただろ??
本気にしなかったのは、お前たちだ! >>431 思わないじゃろう。
嫁もいずれは苦になるものじゃ。
真の喜びは心の中にあるものじゃ。
>>432->>435 八正道とは正しく見ることから始まるのじゃ。
正しい観察によって悟れるのじゃ。
それが真の八正道なのじゃ。
八正道と書きながら悟っていない者は正しく見ていないのじゃ。
>>489 おぬしが正しく見ていないからなのじゃ。
正しく見ていない者にはどのような経典も無意味であるとわかるのじゃ。
お釈迦様もこのように言っておる。
64 愚かな者は生涯賢者につかえても、真理を知ることが無い。
匙(サジ)が汁の味を知ることができないように。
65 聡明な人は瞬時(マバタキ)のあいだ賢者に仕えても、ただちに真理を知る。
舌が汁の味をただちに知るように。
これでおぬしの性能もわかってしまったのじゃ。 鬼和尚は悟っておるのぢゃ。2ちゃんねるを代表する覚者なのぢゃ (-人-) 瞑想をする切っ掛けになったのは、鬼ちゃんじゃし、
ホンマ感謝しちょるのお^ー^
「どこの誰だか知らないけれど〜〜〜、誰もが知ってる〜〜〜♫」
覚者じゃよ^^ >>520
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ有部破僧事ググったけど知りたい情報がヒットしなかった >>522
仏教でいう地獄とは、六道輪廻する心の様相のことを言うのぢゃ
ぢゃからプーラナ・カッサパは自殺などせず、舎利弗と目連の目線で見て
陰鬱に苦悩しておると思われる状況のなか、会いに行ったように書かれただけ
そのように伝わっただけ。そもそも、真理を体得した覚者が
「外道」と言われただけで、苦悩する筈もなく、またカッサパを外道であると
そのように定めておかねば安心できぬ程度の、凡夫どもの未熟さを憐れむだけぢゃ
(-人-) 鬼和尚さん
聖職者にとって妻帯とSEXは悟りの妨げになるのですか >>523
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ諸法無我だと悪も善も無いんだろけどお釈迦様は中道じゃないかなぁ? >>523
コジくんよ
父母未生以前の本来の面目とは何か?
今までない答えをいえよ!
あ? お経読むのって意味あるか?
1回目ぐらいは内容見るために読んでもいいけどさ、もう内容もわかってるお経をお勤めとして読むのって意味あんのか?
時間の無駄じゃねえか?
唱えて安心するとかそういう効果は別として。 淫行、暴食、窃盗、殺人、詐欺。ここいらは悟りの妨げにはならんが
思念、固執、嫉妬、依存、抑圧。ここいらは悟りの妨げになるぢゃろう
つまり、坊主が妻を娶り、SEXに励んでも、それ自体は修行の妨げにはならんが
妻に対し様々な思いを巡らし、妻との関係に固執し、妻の行いに嫉妬を向けたり
妻の存在自体に依存したり、自分や妻の行動を抑圧するのならば、もはや凡夫
けっこうガッツリと悟りの妨げになってしまうのぅ (-人-) >>525
本来、正道も外道も偏道も中道も無いのぢゃ (-人-)
>>526
質問の意味がわからん (-人-) >>527
読経に意味は無い。内容を理解してれば良い。それも頭でなく心での (-人-) >>529
∞ノノハ∞
川^〇^ハレありがとうございました くそども
おれはキレとると、何度言わせるw
鬼和尚も超能力を使って悦に浸ってはおるが、別に何の助けもくらんやろ?
おまえがほんとに困った時
奴は
むしる!!!
確実な事実だ、笑
はよ、悟れやあほ おまえら
神通力が冗談だと思っとるのか??
w
俺は絶対にゆるさん! 「恋愛」を、多く重ねると良かろう。それはいずれSEXや結婚に繋がるが
そこまでは良いとして、異性との関わりの中で様々な思念が湧きよる筈ぢゃ
時に心救われ癒され慰められ夢心地のようにもなるが、不安や嫉妬や憎悪もわく
そういった感情の起伏もまた、クリアすべき心の修行の大きな題材になるのぢゃ
異性に対する凡ゆる想いが激しい苦悩に変わったのならば、依存が見つかる
見つかればお主らが小者である部分の発見ぢゃ。そこでもまた瞑想し、切り離せ
あとは特に、定期的に性欲のはけ口としてSEXができれば、相手は誰でもよく
悪い意味ではなく、特定の誰ぞが居らんでも心の安静は得られるぢゃろう (-人-) >>534
アホか
普通の女は力しかみとらんww
はげー! 力のあるやつが、
ええ目するのだ!
俺はぶちぎれとるw
お前らは、おわりだ!
なめすぎた お前らは
釈迦の言葉なら聞くが、
悟ったものの言葉は聞かない
猶予は終わりだwtwtw >>521
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ鬼和尚さんに助けられて居る方も多いと思いますけど
麦はジャンキーたんが凄いと思います
ジャンキーたん悟り知らないって言うけど
こじさんもロンも凄い >>542
こういう人間が、
世にはおる
おまえらとは大違いじゃ
反省しやがれww >>543
では、これより、神との死闘を行う
いっとくが!!
何億年かかろうが、やったる!
おちょくりやがってww お薬増やしておきますねー
(´・ω・`)
/ `ヽ.
__/ ┃)) __i |
/ ヽ,,⌒)___(,,ノ\ >>539
なるほどのう、
我輩もそう思うのじゃよ^ー^
お休みじゃよ☆彡 鬼和尚は頭が良くて強か。
しかし「あいつをギャフンと言わせてやる」という煩悩が抜けてない。 自信作だ。日本にも古事記には、「天舟」が書いてあるので、
その頃から、宇宙進出事業に参加していたんだろう。江戸時代には、角と飛車があったんで、
脳情報通信技術も宇宙進出事業もやっていたんだろう。
神の定義。
神とは、宇宙進出事業の作戦司令部のことであり、宇宙にも地球にもたくさんあるので、当然、多神教である。
神が宇宙作戦司令部であり、宇宙にも地球にもたくさんあることに気付かないうちはまだ神を知ったとはいえない。
ただの宇宙飛行士を神だと思っているうちは、宇宙へ行ってもあまり効果がないだろう。
嗚咽して泣いたことのないものなど、たぶん宇宙進出事業がどれほど困難か気づいたことがないのである。
人類の最高拠点とは、多神教の連絡会議室である。
多神教の連絡会議室のことを「神」と呼ぶ一神教もあるかもしれないが、連絡会議室はたいてい意見の相違があるので、
その時全員一致で議決されてなければ、まず「多神教の連絡会議室」が意見の一致をしたことがないし、
一度、多神教の連絡会議室が全員一致して議決したくらいで、その会議室がずっと最高司令部だと考えるものは、
宇宙の様々な宇宙進出の作戦司令部の邪魔である。
とりあえず、ぼくが重視しているのは、神学と遺伝学と教育学である。
これがいつぼくのところに報告書が届くのか待っているのである。
宇宙進出の作戦司令部より快楽を持ってる快楽主義者がいても別にいいけど、
なんかむかつくからやめてくれ。 イスラム教への意見書
全知全能の存在が全知全能の自分を作るわけがない。
それでコーランのアラーがただのインドの「梵」という道具を使って宇宙探索に出かけた男の教育記録であることに気付かなければ、たいして賢いイスラムの子とはいえない。
コーランの弱点とは、アラーと呼ばれる神一人で宇宙統治事業に勝てると勘ちがいしてしまうことである。
イスラム教に必要なのは、アラーを教育してもっと賢くするという作戦の立て直しである。
なぜなら、とっくにインドで「梵」といわれる宇宙探検装置が発明されていて、「翻訳して普及する」という文字が伝わる前に地球教育事業に失敗していたことに気付いた男の話だからである。
科学を知らないイスラム教徒は、ニュートン以後の宇宙進出部隊の地球の教育事業の邪魔だった。
脳情報通信技術が未完成の現在、宇宙進出部隊の地球教育事業と地球に宇宙からの生還者の知恵の継承は脳情報通信ではできない。
そもそも、ムハンマドが四か国語を話したのに、四か国語以上の翻訳事業をしないイスラムの知恵はどんどん衰退している。まず、これだけでも伝えたい。
ムハンマドが生還した宇宙飛行士であり、コーランがその教育書であると理解して初めてイスラム教徒。
神とは、宇宙進出事業の作戦司令部のことであり、宇宙にも地球にもたくさんあるので、当然、多神教である。
ここまで読んで、ムハンマドが偶像崇拝を禁止して、自分を偶像崇拝させることを禁止したのが、
当時まだムハンマドより優秀な宇宙作戦司令部があることを知っていたことを教えるためであることに気付かなければ、
コーランをまだ理解していない。 神学の量とは、宇宙進出の作戦司令部は「あなたにはこれくらいしか教えるつもりはありませんよ」という量である。 将棋の王と角と飛車の強さは、司令長官と脳情報通信技術者と宇宙船の強さのちがいである。 とりあえず、ぼくが重視しているのは、神学と遺伝学と教育学である。
これがいつぼくのところに報告書が届くのか待っているのである。
宇宙進出の作戦司令部より快楽を持ってる快楽主義者がいても別にいいけど、
なんかむかつくからやめてくれ。
神学の量とは、宇宙進出の作戦司令部は「あなたにはこれくらいしか教えるつもりはありませんよ」という量である。 ・・精神は経験のさまざまな中心ないし元型的な段階を通じて向上する、という考えがありますね。人は餓えと貧欲という元初的
動物としての経験から出発し、性的な情熱を経て、色々な種類の肉体的・物理的な熟達や支配に至る。これらはすべて経験能力を強
める段階です。しかしそのあと、経験が心臓の中心に達して、他人や他の動物に対する慈愛の念が目覚め、自分と相手とがある意味
では同じ生命を共有している存在だと自覚するとき、精神のうちに全く新しい生命の段階が展開します。こうやって心が世界に開か
れる。処女降誕はまさしくそのことを神話的に象徴しているのです。それは健康、生殖、力、そして少しの楽しみといった単なる肉
体的な目的を追求する原初的な動物的存在でしかなかった人間のなかに、精神的生活が生まれたことを意味します。だがここでまた
別のものにぶつかる。こうした思いやり、他者との調和、さらに進んで他者との一体感を抱くということ、心のなかに新たに宿った
原理ー私たちが尊重し、それ仕えるべき善としての、エゴを越えた原理ーとの合一を経験することは、まさしく疑いも無く、宗教的
な生命や経験の初まりです。そしてそれがあらゆる時間的な存在などその影にすぎない、一者としての存在を十分に経験したいとい
う、命をすりへらすような探求へと人を導くかもしれません。さてあらゆる存在の究極的な基礎は二つの意味で経験できます。一つ
は形象の経験であり、もうひとつは、形の無い、あるいは形を越えたものの経験です。あなたは神を形のあるものとして経験すると
き、その結果として神を見る。まず主題があって対象ができる。ところが究極的な神秘の目標は、自分と神との合一体験です。そう
なると二元性は超越され、形象は消えてしまう。もはやそこには誰もいない。ーあなたも神もあらゆる観念を超えたあなたの心は、
あなた自身の存在の基礎にとの合一によつて消滅してしまう。?本の書き移しで藤井六段の手は見えない またパンを焼くwww
4度目だけどうまくいかないなwww
粉とか台とかの問題でかなwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>211
わたしが思うのは、面白い人ってみんな素直でしょ。
つまりヒャッハーしてもらいたくない場合は、
ヒャッハーよりも美味しいエサを提供し続ければいい。ちょ〜わかりやすい。
>>212
わたしは武器らしい武器は使わんな。陳腐化させるのが最大の武器だね。
というかさあ、剣とか槍とか斧とかはアリだと思うんだけどさあ、
兵器らしい兵器だと、因果関係が見えにくくなるでしょ。
国に穀された、みたいなふうに。
因果関係が不透明な遺恨が残るのは粋とはいえない。…というのはわたしの趣味だね。
>>233
っていうか前提がおかしくね。DNAうんたら測定なんかで、実は釈迦いませんでした!
となったとしてもぶっちゃけ特に困らないから仏教は面白いんじゃねーの。
>>469
真摯におのれを明らめようとするなら尾ひれなんてものともしないはず教、だな。 そもそも悟りとは生老病死にはじまる苦しみを乗り越えるものとしてあり、それらの苦しみは己の努力とは関係なく誰にでも訪れるのであるはずではないか?
その苦しみの原因を己だとしても、苦しいというのは思い通りにならないことである
そこで悲しみの輪から逃れることで、幸せにあれるのが願望である
そうでなければ悟りは何の意味もない
苦しいままでいいのなら、ワザワザ、仏教を学ばずとも、みな、苦しいままである ここで仏教の示した回答は、縁起と五蘊皆空であったと思うのだが、この縁起というのは、己が苦しみの源であるものに無明によって執着してしまっておるということだろう
何事にも原因があり、苦しむのは、それらの働きが、自己の望みを無視して、現れてきたることであるのは間違いない ここで世界を見渡して観るに、私の形成したものなど一つもなく、すべては、神の顕れであるということが了解される
すると、この神は、まるで、己を苦しめるために生かしておるような所業を、かなりたくさんしていると言わざるを得ないだろう
もちろん自然の偉大さに感極まる体験もあるわけだが、同時に、己としては悲しみに悲しみの連続を経験することもある
そして、これらの形成の源である、意識は世界と同等であり、その己に襲いかかる不幸も、すべて、この意識が創り上げたものである ここに二つの自己が登場している
ひとつは、通常の肉体と精神の己という個体であり、もうひとつは、その己を含んで更に全体を形成する神的なる意識であろう
これを意識されない意識としてもよい
この意識してない己は、通常の己の内にも外にもあり、あらゆる現象を想像しているように思われる このものに対する私の立場は、完全なる機械のようであり、世界が写したものに、わたしは完全に翻弄され続けて、そのお陰で、散々に苦しめられてきたということは明白になる
この世界に映った様々な存在たちの、どれひとつをとってみても、すべて意識に還元され、その意識は己を完全に統制してしまっているので、自由はなく、幸せもないのだ
そうではないだろうか?
そう考えてみると、この創造の神秘に介入して行く必要性があるのではないかとなるのだ そして、この、根元の働きに介入して、それらの方向性に意図的に何かを混在させている存在が、この世界の一部にあるかもしれず
もしも、そのような創造への介入に、様々な霊的諸存在があるとすれば、これは、この世界にとっては、まるで神のような働きをしていることになってしまうだろう
そのものの、何らかの都合によって、わたしは苦しんでいるのかもしれない
ある人は常に幸運に恵まれており、ある人は不幸であるのは業の輪廻によるという
行為が行為と連なっておるわけだが、そこから抜けない限り、業が業を生むのなら、川の水のようなもので、すべては、なるようにしかならず、不幸も幸運も、何もかも、どうしようもなくあるだけになる
問題は、この、創造の力が、わたしに不運を運び続けることではないのだろうか? もしも、全てが意識に還元できるのなら、このような想像も成り立ってしまうのである
しかるに夢とこの世は、よく似ており、こちらでは感覚的に鋭敏であるという違いがあるにしても、頭脳は世界を創造するに十分な何かを潜在的に持っていると思われる
そうでなければ、この、存在するすべてものもは、一体、どこから、出てきたというのか
すべては、この創造の何らかの神秘に還元されていき、その創造が、わたしを苦しめてきたのだろうと思うことも可能になってしまうのだ この肉体と精神の根源たるものが創造を、繰り返しているのだとするならば、このことは生死を超えており、そうであれば、この根元からは如何にしても逃れることはできず、新たなる生存は、この、種子に蓄えられた無意識の記憶によって際限なく繰り返されて行く
輪廻するとは、この、わたしではなく、わたしの形成に関わる、この根元的なる何者かが、ありとあらゆる現象を永劫に紡ぎあげていることであるのかもしれない 無明とは一切が苦しみであると知らぬ
ということであるとゴータマは述べたのであるが、その一切とは、この神の世界のことではないだろうか?
すべてが移ろいゆく、あらゆる願いは、幸運への香りだけ魅せて、奈落へ突き落とす
意識も感覚も資財、物質も、あらゆるものは、空であると感ぜよというのは、
この、形成されたものを、超えてゆけ!
というメッセージにも思えるのであり、それは、神の創造からの脱却にも思えるのである
仏とは滅尽したもののことであるのなら、その滅尽したものの、そこでは、神様ですら、何も見いだすことのできないものであり
ひいては、それは、、、
精神の根源たるものの制圧ではないか
とも思える マハルシさんが人間の想像をはるかに超えた高みにあったのは間違いないだろう
そして、その教えがパパジさんや、ガンガジさん、ムージさん様々な弟子たちに引き継がれて一大ムーヴメントを巻き起こしている
エックハルトトールさんや、トニーパーソンズさんもインド哲学の流れを汲んで、精神世界における救世主としての役割を担っている
日本においても、禅の人々、その他、様々な宗派の人々が、悟りを語っておられる
しかし、これは、肉体の空性を説いているものばかりのようにも映るのである ホストが一致したからといって、同一人物とは限らないのが常識です >>570
( ´,_ゝ`)y―-~~.フハハハ!! この人生において最初に私に悟りという言葉を述べたのは今では有名になっておる人であったと思われます
その人は観念からの自由を説いておりました
観念、つまり、見ることと憶念することが、習慣によって様々に私のイメージを形成しているということです
この人間の思い込みが外れると、感情は開かれていくものであり、すると世界は神々しく美しく映えるのです
つまり、自分とは最高に美しいものであったと気がつくことを悟りと述べていたのでしょう
個人を超えて大きな存在であるとの理解です しかし、そのような理解は、世の中では通用しないものであり、観念なしには社会生活は営むことができないのです
つまり一方では、それは真実ではあっても、現実では効果を持ちませんので、すぐに失われてしまうのです
次に教わった人は神秘思想に関係する人でした
が
その人の、まあ、解放は、世界に開かれる視野とでも呼べそうなものでした
まあ天の光とでも言えそうなものです
これは、すさまじく神秘に満ちておりますし、人間の感性の可能性を開くものであり、おそらく常人の理解しないことであります 爽快と言いますか、雑念の消去と言いますか、そのような状況では、人は、たしかに愛というものに触れるのであり、このことは、おそらく、インドでの、溶解の話と同じでしょう
しかし、この解放は、それを見ているものがいるのであって、この見ているものは、ある神秘的なる行をし続けないと、この、状態にあることはできないのです
しかも、この行は、無意識に行うことはできず、非常に意識的にならざるをえず、この、箇所からズレれば、苦しみは際限なく襲うのです 次に教わった人は、禅の僧侶でした
この人は、まあ、ほとんど会話していませんが、少しだけ教わっただけですが、衝撃的であり、ここから仏教の勉強が始まったのです
それまでは仏教と言えば辛気臭いイメージだけでしたから、苦笑
この人は、何もしなくてもよいと述べたのです
わたしが意識を研ぎ澄ます行を何年もやっても、苦しみが消えぬ話をしたのではあります
つまり、この世界との融合が意識的に行われていることのコツを聞きに行ったのですが、、
何も為さずとも、そうである
と教えてくれたのです
その瞬間に、正に、すべては起こっているということと、あるがままにあることの修行の不要性を教わったのです これで完全に悟ったと勘違いした私は悦に浸って、語りまくっておりましたがwwww
病を患って入院するということが、あったのであります
すると、この悟りのはずの、理解が全く話にならない悟りだとわかったのです
死が、まあ、実際に、すぐに死ぬわけではないですが、それまでは観念的なものに過ぎなかった死が、実感されたという時に、この何もしないでもあるがままで流れて行く悟りとでも呼べそうな至福は見る影もなく崩壊したのです 感覚というものは、断絶されるものであるという事実は、感覚的に完成された世界においての、無思念の悟りを完全に破壊します
何も為さずとも、あるものがあるのも事実ですが、しかし死の恐怖は非常に生々しく、このような安楽を許さないのです
ですから、まあ無思念を極めるとなると行が必要となってきて、その行に向かうと結局は神秘思想に後戻りすることになってしまいます 更には、まあ生活における苦労というものが、現実的に様々な不都合をわたしに見せるのです
人々は利用しあっており、悲しみは止むこともなく、悟りの話も、冗談にしか思われていませんので、これでは、何も為すことなく、終わりを迎えるのは確実でしょう
よくよく考えてみれば、すべて失われること必定なところで、己自身の苦しみさえ消えないものが悟りなはずはありません 様々に覚醒を語る人々がおり、様々な真理が説かれているというのに、自分一人だけの苦しみすら自由にならないのです
何かがおかしいと感ぜずにはいられません!
失われても安堵できる地点となれば、それはもう滅している地点でなければならず
それこそ、不生不滅の地点でなければなりません
過去の聖者たちは、間違いなく、この、不生の地点を悟りとしており、感覚のままに、あることを悟りとはしていないのだ
とやっときがついたのでありますが まあ気づいたところでどうなるもんでもありませんwwwww
意識を、真我として、その意識と世界と我の同時性の愛の溶解を、悟りとしても、現実の庶民の生活は、そのような溶解のままでは、過ごすことはできませんし、すべてを捨てるならば、恐らく過酷な環境で死ぬでしょう
世の中が全力で金に向かい、戦争に向かっている中で、幸福にあるなど、かなりアクロバチックなことである
この、世界創造をしておるものの、何かを理解して、そこに介入していくしか、なさそうだけれども、まあしかし、それも空想科学かw
今思うには、せめて自分一人で居られる時間だけでも、安楽にあるようにすることくらいだ
そのことのためには行は役に立ちます
悟りではないけれど、とにかく、それが、精神の安定には役立つのだ 毎日、幸せいっぱいのこの俺は悟りを開いているのでしょうか?
悟りとは毎日感謝の気持ちで生きること。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています