>>599 続き

幸福の科学も大教団になったから、世界に通用する法にしなければ。インド・中国では女性を下に置くのだが、
欧米圏ではそれは認めてくれない。女性を下に置く考え方は、必ずしも間違いではないが、不公平であると思う。

霊的に見ても、本人の意に反して、女性が男性、男性が女性に生まれることがある。
過去世の何割かが男性だったり、すべてが男性とか様々。

魂を見るとすべてが男性、すべてが女性という人もいるが、そうでない人もたくさんいます。

男性の役割もでき女性の役割もできて、人間として完成する。

女性の法も、一律こうしろということではない。 
選択の幅があってよろしい。結婚して子供を作るのもよろしい。結婚しないのもよろしい。子供がいないものよろしい。

結婚は、女性を守るためにできた制度。年数経つと、女性は外見的に厳しいものになる。だから、この制度は男性には適さない。

男性は本来、多情であるから。これは、種の保存という点でそうなっている。
一方、女性は多情ではない。しかし、一部にはそういう人もいるかもしれない(笑)


かつて、女性を守る側面が多かった結婚制度も、現代のように女性の社会進出が多くなると、縛る側面も出てきた。 

仕事に一生懸命に励んだ女性が いつのまにか30代40代になってたということがある。こういう人に苦しみを作っている。

結婚退職的な考え方は必ずしも賛成ではない。 仕事を取る人がいてもいい。 その際、独身を通す人は偉いが、それでは、寂しくていられないという人もおる。
そういう人は、恋人がいてもいいのではないか。仕事をとることが、全部 尼さんになるのは、ちょっと厳しいかなと思う。

色情になるのは、不特定多数の人と肉体関係を持ったり、そこに金銭関係がある場合。特定の男性と、そこに愛情があり、人間的に尊敬できる人との付き合いならば、色情地獄には落ちない。
その付き合いにおいて、人格が豊かになればよい。その関係を5年ぐらいで終わらすことができればよいと思う。(つづく→)