>>340 見ずして信じる者は幸いなり←キリスト教の有名な台詞だが然し
舌が焼けなかったから其れが何故に今の君や我々の思想と関係が有るのか?
焼けなかった其の舌の行方は現在はどうなりましたかね?
仏教徒を名乗って駄法螺を吹いた舌は焼けない可能性があるかもな。

だからね、迷信と信心を間違ってはいけないと言う道理だよ。
因みに信心のあるべき意味とは、
己の心底には仏様と同じ白浄心が潜んでいると信じること。
誰かに云われたことを真に受けることが信心ではない。