南無妙法蓮華經を唱えなさい
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>>127 君は創価学会から学をそっくり抜かした創価会だなあ。
これで君は坊主の掌の上を一生踊って財政奉仕して終わるよ。
立正佼成会ってあるだろ、あそこの開祖さんは仏教史に通じ
その方面の良い文献を多々出版している。
無学な君には馬の耳に念仏m猿に題目だろうがな、ホント笑っちゃうね。
晃氏は平成時代の現代人なのかね?2000円を惜しんで無学で通すか。 >>129 布施に無財の施もある、身施もそうさ。
実のところわたくしが君の粗を指摘するのも施なんだよ。 何で創価なんか入信したん?
アグネス見ておかしいと思わないのか…
池田氏の元愛人だろ? >>136
題目に一切を任せてしまうことが良しとされる >>139
アジアの領主はブッダなんで
そのわけわからん世界教師は知らん 晃はさんは、御書を所持しておられる?
正宗版と創価版がありますが。? 晃氏の様な人物は、昔から堅法華と言い、どうにもならん信者だよ。
という定評を得た。地域からも呆れられた存在であって、
褒められた者じゃない、其れは理解したまえ。
人格円満な有徳人の菩薩じゃないわけだよ。 >>141
日蓮さんが亡くなる前に、高弟六人を定めた。
本来の六足には日興さんは居ないんだけと、新六足と呼ばれるものには入ってるんだよね >本来の六足には日興さんは居ないんだけと
六足とは? >>149
出世間の法ということを
知らんようだな >>150
日興は佐渡流罪にも
ただ1人ついていったのに? >>150
「日蓮 六足」で検索しても出てこない。
どこ見れば? >>150
日興は本六に入ってる。
日蓮が武州池上で遷化した前後の模様を克明に日興が記録した『宗祖遷化記録』には「本弟子六人」として
「日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持」
の名が弟子入り順に列記され、「不次第」と書かれています。
新六云々は、たぶん、日目のことですね。 >>153
「日頂」のWikiには↓と書かれてますが?
日蓮の佐渡配流の際にも日蓮に従って奉仕している。 >>157
どうもありがとう
>>158
wikipediaは当てにならない ごめん出典忘れたし、本棚探っても出てこない
日蓮さんの本義を継いだのは日興さんだけだ。
ただ創価が邪魔んだよねー 「百六箇抄」の日付は「弘安三年庚辰正月十一日」となっているが、この中に日興のことを「白蓮阿闍梨日興」と呼んでいる箇所があるが、1280(弘安3)年の時点で、日興はまだ日蓮から「白蓮阿闍梨」との名前を授かっていない。
1282(弘安5)年1月20日に日蓮が執筆した「春初御消息」では、日蓮が日興のことを「伯耆殿」と呼んでいるので、日興が「白蓮阿闍梨」の名を日蓮から授かったのは、少なくともこれ以降のことだ。したがって、「百六箇抄」の記述は史実に反している。
「百六箇抄」の文中に「六人の上首の外、或は我が直弟と号し別途の建立を構え六老僧を・・・」とあるが、日蓮が「六人の上首」「六老僧」を定めたのは、弘安五年十月八日のことであり、弘安三年正月十一日述作とする百六箇抄の記述は、こうした史実に反している。 >>167
内定してる人には内々に
そう呼ぶこともあるだろうに >>165
一、若輩為りと雖も高位の檀那自り
末座に居る可からざる事
創価学会は、この唯戒に背いているために
日興が末流とはいえない その壱、お釈迦さんが、説かない法華経を日蓮は佛説と信じた。
その弐、その解説と論書をあげつらう人たちがいる。
その参、君らは、中学生の学ぶ歴史年表を開いて見なさい、偽の仏説を根拠に
仕様もない論議を拡張するその愚を悟るだろう。
お釈迦様を評して、彼は古いから救済不可、新しい日蓮が日本を救うなんてのは
駄法螺さ。持ち上げすぎて転んじゃいますよ。
五老僧でも六でも同じこと、資料が無い鎌倉時代の研究は現代では反故になった。
迷信と信心の差異を知るべし。 >>167
百六箇抄はそもそも日蓮大聖人がしたためられた書ではなく、日興上人(もしくはその他御弟子さん)が書かれた相伝書です。
「白蓮阿闍梨」の箇所は堀日亨上人が後加文と判定されていますし、日付の箇所は疑義ありとされています。
なのでその部分は偽書と断定する根拠にはなりません。
他にも後加文の箇所を取り上げて偽書だと言っている人が散見されます。 >>171
歴史年表より法華経を取るという
スタンスなのでご了承ください >>170>>172-173
違う 弘安3年1月11日に
宗祖が結要する 百六箇抄の正式名称は
具騰本種正法実義本迹勝劣正伝といい
日興に相伝される >>175
日蓮大聖人からの口伝を日興上人が纏められたという説もあります。
御真筆が存在しないので、どちらの説も憶測の域を出ませんが。 南無妙法蓮華経というお経文は天台宗のお経(声明)の文言にあるんだよね。
決して日蓮のオリジナルじゃあないんだよ。日蓮同穴ムジナさん方ご存じ?
知らないだろ!?知らない人の方が絶対多い筈。こんなこと教えたら有り難みがなくなるから
教えないんだよ。くやしかったら反証して見な。
日蓮は、先に天台宗から出た浄土宗の繁盛ぶりを見て、念仏を繰り返すことによる
宗教的エクスタシーの効果を実感したのよね。
同じ文言じゃあダメだ。そこで天台宗のお経から、唱えやすくて念仏よりもリズミカルで
いい気分になれちゃうナムミョーホーレンゲキョーを思いついたってだけの話。
大聖人様これで間違いございませんよね。ははは >>176
もし本当に信心があるのでしたら、日蓮大聖人以下御弟子の方々を呼び捨てにすることは改められたほうがよろしいですよ。
慢心からそのようになさっているのか、何なのか私には理解できません。
もし目の前に居られても呼び捨てされすのですか?
世法で例えることは恐れ多いですが、会社という組織でさえ社員は社長のことを呼び捨てになどしません。 折伏行は涅槃経の修業。法華経に非ず。
法華経の修業は安楽行品の如し。 >>177
その他の説があるからなんでしょうか?
晃には関係ありません >>178-179
但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候も
わたくしの計にはあらず、釈迦多宝十方の諸仏地涌千界の御計なり
宗祖自身がわたくしのオリジナルにあらずと言っている >>180
世法的にも対外的には上長のことは
呼び捨てします >>181
折伏は常不軽菩薩品
摂受は安楽行品
末法は折伏優位 >>185
法華経に折伏の文字は、その常不軽菩薩品も含めて、ただの一度もありません。
不軽菩薩の布教は折伏とは全然違います。 >>185
常不軽菩薩はしゆ衆生に授記をさずけた
何故それが折伏? >>184
もう一度お聞きいたします。
日蓮大聖人並びに日興上人が目の前に居られても呼び捨てされますか? >>186-187
法華経の二十四字を強引に説き聞かせたことが
折伏行に当たる >>188
いいえ
逆に聞きますがあなたは
他社との取引の時に自分の上長のことを
呼び捨てにはしませんか? >>190
いいえ、いたしません。
会社の社長に例えたことが不適切でした。申し訳ありません。
日蓮大聖人は一切衆生にとって三徳具備の御方です。対外などないのです。みんな知らない信じないだけなのです。
それから個人信仰もやめたほうがよいと思います。大聖人はそのような信仰の仕方を勧められておりません。 >>191
謗法の者が多い現代社会は
対外的な対応をする必要があるのは
仕方がないと思います
またどの組織も間違いがある為
仕方なく個人信仰しています >>192
出家在家、皆凡夫ですから間違いなどあって当然です。
御書をもっと深くもっと素直に拝読されることをおすすめいたします。もしおわかりにならなければお近くの御僧侶にお聞きしてください。 >>193
間違いの答えを聞きに
わざわざ訪ねることはしません スカトロジー嗜好なのですか?
だとすると堕天使を崇めてるんだね… >>195
寺院に参詣されることもあるんですね、すばらしい。尊敬いたします。
てっきり組織から完全に遠ざかっておられるのかと思っておりました。大変失礼いたしました。
御僧侶方にも晃さんにも間違いはあると思いますので、お互い様ですので。。 >>197
前レスに少し書かれてあって…
大変失礼しました。 >>88>>90>>98>>116>>144>>162>>200
その他の宗旨は捨てなさい >>201
不浄を見ると執着から離れることが出来ると
仏は言ってた… >>204
5chとは、こういう場所だということを
自戒をこめて貼り付けたまでで…
まぁ、しばらく5chでの論争は忘れて違うことしてましたが
やっぱりこの宗教論争のケリはつけなければならんと
戻ってきた次第となります >>206
通用しないのではない
珍説が乱立して混乱してるのが現代 五時八教はあくまで天台の教義に過ぎず、そこに普遍性があるものではありません。
ですから空海は『秘密曼荼羅十住心論』および『秘蔵宝鑰』で、天台を第八住心の「一道無為心」とし、その上に華厳を第九住心の「極無自性心」と位置づけ、華厳を法華よりも上としました。
つまり日蓮は天台教学の五時八教判を言わば借りて、法華経の至上性を主張しているに過ぎないのです。 >>208-209
空海は平安の世を終わらせた大悪僧 伝教大師に対抗心を燃やして
変な邪教を日本に持ち込む… >>211
その伝教大師は、空海に弟子入りしたではないかw >>215
その根拠は?
素直だった為に
最澄は空海に学ぼうとしたが
内容があまりにもくだらなかった為に
決別しただけと考える しかも空海は最澄に「〜は教えなーい」みたいな
ドケチな説法をする それに呆れただけだろう まぁ晃が信奉してるのは最澄よりも
日蓮聖人なので、あまり関係ない話や 五蘊皆空・・^^
かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、わが身と思いて、
千万年も、死すまじきように思い、わが身ぞとかたく執着す。
これ一重の、凡夫のまよいなり。 >>219
晃のスレageに値遇することは難しと知れ >>220
我が身の執着を捨てるという執着を捨てるのが
法華本門流 法華の中に、如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、
如是報、如是本末究竟等と、説きたまえるは、まよいの夢の、さめたるときの
すがたなり。
これを、法は法位に住して、世間の相常住という。
鉄眼禅師 仮字法語
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20110606/1307368476 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています