元ナローパ正悟師こと名倉文彦は、1998年12月7日に東京都下に
株式会社ナチュラルテラを作り、ハーブや健康食品・宝飾品を販売している。
資本金は3400万円、店舗は都内に10店のほか、インターネット上で販売している。
ついてきた信者らに対して「白蓮和尚」を名乗って精神的に支配して
酷使していた例がある。
死者29人、被害者6500人以上。これは、オウム真理教が起こした一連の事件の被害者数である。
殺人集団と化した教団は、じつは武器製造にも着手していた。地下鉄サリン事件が起きた同じ年の1995年、
教団は拳銃の密造に成功。これが後に「自動小銃密造事件」と呼ばれる事件である。

オウムは1992年9月、石川県能美市の油圧シリンダー会社「オカムラ鉄工」を乗っ取った。
ここが、銃の密造の起点となった。

麻原彰晃はハルマゲドン(最終戦争)に関する予言として、こう言い始めた。
「95年の終わりから、日本は大きく変わる。第3次世界大戦で、教団は救済をしなければならない」

麻原は「戦いに生き残るための情報収集」を「建設省」の早川紀代秀と、「科学技術省」ナンバー2の男に命じた。
二人は93年2月から20回以上、ロシアに渡航し、バズーカ砲や機関銃の兵器を見て回った。
市街戦に有利だと考えて自動小銃を選び、「AK74タイプ」1丁を購入した。

すると、麻原は「銃1千丁と弾丸100万発を95年秋までに作れ」と科技省の村井秀夫に命じた。

95年1月1日に最初の1丁が完成。麻原は、「今日はすごい日だな。(読売)新聞には『(上九で)サリン残留物を検出』という記事が出るし、
お前たちは小銃を持ってくるし」と喜んだ。そして、「後は弾だな」と催促し、上九一色村の施設の床下に鉄管を埋めて作った「迷路」に隠すように命じた。

警察の強制捜査に備え、量産中の部品を都内や神奈川県、埼玉県のアジトに隠す訓練も繰り返された。
この自動小銃密造事件で、麻原をはじめ29人が逮捕された。

もし麻原逮捕が95年秋まで延びていれば、1千丁規模の量産が実現していた可能性があったとされる。危機は目の前にあった。