宗教の歴史
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禅を極めた者のレスはこんな感じだよ
0160 じゃんきーおおやま 2018/01/23 21:16:45
中出し二発にアナル一発
立ちんぼ遊びはやめれませんな。
返信 ID:ZqR4QHVa0(1/2)
0162 じゃんきーおおやま 2018/01/23 23:05:03
坐禅して
立ちんぼに中出しして
俺の仏教は完成したのさ。
でおーや
コピペでまた荒らす気かいw
返信 ID:ZqR4QHVa0(2/2) 1995年 人食い急行地下鉄サリン
テストにでるぞ 余談ですが、私は今までに四八方の宗派や会社バラバラの霊媒師や占い師にあたってきましたが、そ
の人々は邪神不動明王やシヴァ、阿含宗や桐山に非常にだまされやすい!あなた方が吹き込まれて悪だと思ってるものは
善人で不動明王(シヴァ)などが実は本当の古代から続いてる古代から騙してる悪なのです。善人のほうの邪魔他をしている。
よく東洋系の不動や阿含宗や桐山の術を見破るものを同伴させること。
その洗脳をさっさとどけ、自主的によくよく弁償してくること。そして不動や阿含宗や桐山こそいみきらい何万年分
も弁償とって抹消する対象とすること。
さもなくば強制的に3倍〜7倍ぐらい弁償を取られてひどい目にあい抹消されるでしょう。 そもそも「宗教」とは何か?
よく宗教云々の際に挙げられるのが、ネアンデルタール人だかの埋葬品として花があったって話だ。
つまり他者の死を悼み亡骸に何かを添えて埋葬するのは「宗教」だと一般的には認識されてる訳だ。
従って、尭や舜の治世を理想とする儒教も宗教だし、経典も教祖もない神道も宗教な訳。
まぁ、ぶっちゃけ、どこの社会でも自然を崇拝して咒術をなし先祖を供養してきたんだが、これを原始宗教とか古代宗教とか言って、キリスト教などを世界宗教とか何とか、一段上のように扱うのは一方的な、傲慢さの表れと言える。
実際、やっていることは大差ないんだからね。(笑)
しかしながら、人間に限らず、なかなか自らの客観的認識は出来ないものだから仕方ない話ではある。(笑)
例えば、「頂きます」と言って食べる習慣とか「こんにちは」という挨拶。
こうした文化、風俗も宗教的行為と言えば言える。
自然界の営みに感動や畏怖を覚えるのもやはり宗教的と言えば言えるのだ。
端的は外界の認識と反応は全て宗教たりうる。
何故なら、知的生命体である以上、外界の全てに意義と関連を導き出すからだ。
但し自己を中心として、だが。(笑)
即ち、この知的生命体である人類の歴史と宗教の歴史は同等な訳だ。
んで。
その中でキリスト教というのは決して優れた宗教ではないのは、マトモな感性の人なら説明するまでもない自明の話だ。
此が「世界宗教」「完成された宗教」なんて言う連中はキリスト教圏の連中であり、理由は先に述べた通りだ。(笑)
残念ながら世界はキリスト教という改悪された宗教が主流であり、人類の知性はデカルト的二元論によって精神的な問題からの逃避を選んだ。(笑)
故に宗教という構造に関して思考する際に於いては「科学的には〜」とか「心理学的には〜」なんて連中の話は全く役に立たない。(笑)
その背後の宗教性を踏まえて、という場合以外は。(笑)
(^。^)もう一般人もカルト信者も理解出来ないだろうからここまでにしとく。(笑) 宗教が苦手な人による「宗教が苦手」という判断はあてになりませんね。 多くの宗教は一つの神からのインスピレーションによるものらしいです。
そして森羅万象の全てが神の姿でもあるという点で、
汎神論的な面もあると思います。
2000年の少し前頃に発刊され、アメリカで異例のベストセラーになり、日本でもベストセラー、
いまや30数カ国以上に翻訳されて読まれているニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『神との対話』シリーズ。
もし本当に「神の存在と恩寵」を確信したいなら、まず正しい「神の理解」が必要です。
単なる読書本ではなく、人生の観方と体験が変わるスピリチュアル本ではありますが、
思索的な哲学書として読んでも面白いと思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome >>6
ユダヤ教「メシアが来るお」
キリスト教「メシアが来たお」 >>8ですが、シリーズ後作の2冊の抜粋も追加させて頂きました。
『新しき啓示』(神が「神との対話」の世界へのスタンスを述べた後作の書)
◆聖なる書(宗教)は色々あっても、基本的なメッセージは同じだということだよ。違うのは、人間の解釈の方だ。
P21
◆あなた方の世界は今、大きな問題にぶつかっている。
あなた方は信念(神や自分に対する考え方)のレベルで問題を解決しなくてはならない。
行動のレベルでは解決できないのだよ。
行動ではなく、信念を変える努力をしなさい。信念を変えられれば、行動は自然に変わってくる。
P41
◆地球の平和はあなた方が信念を変えた時にだけ達成できる。
しつこいようだが、そこを肝に銘じて理解していなければ、何をしても地球を癒すことは出来ない。
あなた方が癒そうとしているのは、信念が生み出した傷なのだ。
P71
◆この対話の中で私が言う「組織的宗教」とか一般的な「宗教」とは、排他的な教義を教えている宗教のことだ。
言い換えれば、「私達の信じているものだけが、唯一の真の宗教だ」と主張する宗教のことだ。
こういう宗教は問題だ。
全ての宗教が問題なのではない。
P82
◆世界は新しい霊性(スピリチュアリティ)を生み出さなければならない。
古いもの(宗教)に完全にとって代わるのではなく、古いものを新たにする霊性だ。
古いものを縮めるのではなく、拡大する霊性だ。
古いものをくつがえすのではなく、その中の最善のものを支える霊性だ。
P266
◆その霊性は、伝統的な宗教の教えを頭から否定するのではなく拡大し、もう適切でなく有効でもないと皆が考える一部を変えるものだ。
P278
◆人類は大きな危機に直面している。
その危機とは、イデオロギーの対立だ。信念の危機だよ。
P278
◆「(他の宗教・人種・国などより)優れている」という人間の考え方は、あらゆる知的存在が生み出した中で、最も有害な概念だ。
P302
『神へ帰る』(神が死後の世界の事も詳しく述べた後作の書)
◆魂は霊的な世界(あの世)を通って完全な知に到達し、物理的な世界(この世)の道を通って完全な体験に到達する。
どちらの道も必要で、世界も二つある。
P68
◆希望は「死」においても「生」においても素晴らしい役割を果たす。決して希望を捨ててはいけない。
希望は神聖化された思考だよ。
P192
◆あなたは(死後)「一つであるもの(神)」へ戻り、(また来世)「一つであるもの」から分かれて現れる。
これを未来永劫、永遠に、さらにその先まで何度も繰り返す。
P266
◆全ては完璧なタイミングで、完璧な方法で起こる。
「神の王国」において、不完全ということはあり得ない。
「この地上」は神の王国だよ。神の王国の一部でない場所など、どこにも無い。
P276
◆全ての人、全ての事に神を見て、全てを完璧だと見なさい。
P278
◆「神の愛」への信頼は、人生の日々を生きる時に役に立つし、死を迎える日にも同じく役立つのだよ。
私はあなた方を愛している。あなた方すべてを深く愛している。
P436
◆あなたがここ(この世)から去った時、以前亡くなっていつまでも心の中に残っていた人達ときっと再会出来ることを知っておきなさい。
それから後に残していく人達のことも心配しなくていい。永劫の中で、その人達とも何度も再会し、何度も愛するから。
P464
◆本当は皆天使だ。あなたが対立相手だと思っている人、敵だと想像している人達でさえそうなのだよ。
全て神聖な理由と目的が有って、あなたの世界に現れている。
だから闇をののしらず、闇を照らす光となりなさい。
起こる事は皆、想像する中でも最高に素晴らしい世界と経験に導く道を開くのだから。
P482
下記のサイトの後半部分に、『喜びから人生を生きる!(臨死体験が教えてくれたこと)』アニータ・ムアジャーニ著の抜粋を入れました。
4年越えで絶命寸前までいった末期ガン(ステージ4B)・多臓器不全からの臨死体験、
そして意識復帰と数日での大きなガン部位の消滅・臓器回復という奇跡的体験(何人もの癌専門医が詳細に病院での病状データを検証・確認し驚く)をした女性が、
臨死時の具体的な詳細を語った貴重な本です。
この本もベストセラーであり、かつ読んだ人全体から相当に高評価されている本です。
《10分ほどで読んで、分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome
抜粋の中の一部です。この一部だけでも、「神との対話」への大きな確信と、「死」への安心に繋がると思います。
P19〜
「心臓はまだ動いていますが、奥様の意識はもうありません。助けるには手遅れです」と、医師は夫のダニーに告げました。
「医師は誰のことを話しているんだろう? 私は、こんなに最高の気分なのに。
ママやダニーは、どうしてあんなにおびえて心配そうなの? ママ、どうか泣かないで。何があったの? 私のせいで泣いているの?
お願い、泣かないでちょうだい。私は、大丈夫よ!」 大きな声で言っているつもりでしたが、声になりませんでした。
「ダニー、見てちょうだい。もう車椅子なしで動き回れるのよ。最高の気分!もう酸素ボンベもいらないわ。
呼吸も苦しくないし、皮膚病変も消えている。傷口はじくじくしてないし、痛くもないわ。四年間苦しかったけれど、
やっと元気になったのよ」私はただ、この上ない喜びに包まれていました。私の身体をむしばんでいた癌の痛みから、
やっと解放されたのです。
その時、自分は死ぬのだと悟りました。「ああ…… 私は死ぬんだ。死ぬって、こんな感じなの?
これまで想像していたのとは、まったく違うわ。とても安らかで、穏やかな気分…… やっとやっと癒された気がする!」
私は、たとえ身体の機能が止まっても、生命という大きなタペストリーの中で、あらゆるものが完璧であり続けると理解したのです。
すなわち、それは、人は死なないということでした。 釈迦のバカ弟子が作ったバカお経を信じているバカが多い。
その代表が、法華経である。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています