ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 41
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ACIM(A Course In Miracles)「奇跡のコース/奇跡講座/他」とは、
純粋に非二元論的な霊性(スピリチュアリティ)の教えのひとつで
NYのコロンビア大学医学部の助教授だったヘレン・シャックマン博士が
7年間に渡りイエス・キリストから来たとされるインスピレーションを書きとめ
編集・校正し出版された本です。(現在では25の言語で出版されています。)
ACIMはテキストとワークブック、教師用マニュアルの3つから成り、
実践を通じて真理の悟りにたどり着く事を目標としています。
JACIM
http://www.jacim.com/acim/
前スレ
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 38
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1494430576/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 39
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1502976262/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 40
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512471805/ 落ち込んで鬱になったりイライラ怒る理由はただ一つ自我の思考体系を選んだから、それだけだ
鬱になったりイライラする理由を今までは他人にいじめられた、とか仕事や人間関係で失敗したとかいう理由づけしてたけどそれは間違い
聖霊の思考体系を選んでいれば他人にいじめられようが仕事や人間関係で失敗しようが落ち込まないのだから 〘四苦八苦〙しくはっく
人間の苦悩の原因をあげたもの。
(1) 生れること (生)
(2) 老いること (老)
(3) 病気をすること (病)
(4) 死ぬこと (死)
の4つを「四苦」といい,人間の根本的な苦悩とする。
これに愛する者と別れる苦しみ (愛別離苦)
怨み憎しむ者に会う苦しみ (怨憎会苦)
欲しいものを手に入れることができない苦しみ (求不得苦)
人間の身心を形成する物質的,精神的現象から苦しみが盛んになること (五陰盛苦)
の4つの苦しみを加えて「八苦」という。 神から分離すると罪悪感が生まれる
罪悪感を原因として四苦八苦という結果が生じた コースは結果ではなく原因のコースであるよ
(^o^)/ なんやかんや言っても、
生まれてきた以上は、
神と切り離された個人として生きていくのが宿命だよ。 原因のコースだから何
原因を知ったところでどうなる
原因を知った人はどうなった 結果をいじるのがコースじゃないらしいよ原因をいじるのがコースなんだってさ! >>77
諦めないで
私たちには神に回帰するテキストワークマニュアルがセットで与えられているんだから✨🎁✨💝 >>78
原因に働きかけることで
本来なら艱難辛苦に耐えながら送らなければならなかったはずの、
いくつもの人生を省略できる
結果、本来のあるべき場所への帰還を早められる
我々の時間感覚に沿って説明すれば、ということだけどね 世の中には驚異的な集中力の持ち主がいる、たとえば将棋の藤井君とか…あれも
才能だよな、しかし私は軽度のADHD…かもしれないww
集中できる時間が人並み外れて短い、せいぜい30分が限度、根気を養うために
レース編みでもやれば良かったかな…刺繍とか、
すぐに気が散る、しかも方々に散るww
こんだけあっちこっちに気が散る人間は見たことない
と先生に言われるほど、だから速読覚えようと思ったのね(どーでもいいけど)
一冊一気に読み切るには読み方そのものを変えるしかない、集中できる時間が
短いから折角体外離脱しても持ち帰れる情報が少ない・・・訓練しておくんだった
特に最近は30分→3分、おまえはウルトラマンかと一人突っ込みしたくなるくらい…
甲状腺ホルモンの影響なのか?本も3行読むと(今の気力じゃ速読もできん…)
すぐに放心する、そして飽きる、困ったもんだ
だから何冊も同時に読んでいた、一冊ちょこっと読んで別の読んで…
最近はそれやると頭が混乱する、気の巡り(頭の巡りも必然的に)悪いからだ 自分自身に腹が立つが、こういう(((現実)))も赦せばせめて元の状態に戻れるかな?
って大分脇道にそれたが、何だっけ…あれだ
「光の中のマインドフルネス」って本の第四図と第五図、これわかりやすい
第四図から第五図にシフトすると、世界が大きく変わる
頭で二つの違い、(エゴの世界とスピリット(聖霊)の世界だなこれww)が
わかっても第五図にシフトするのは難しい、一瞥体験はたまにあっても
(一瞬のヴィジョン)ちなみに第五図の世界では肉体の生死は関係ない
だけど、ACIM学習者でも第五図へ移行した人はほとんどいないのが現状じゃないか?
第四図の中で「赦し」をやってるイメージww概念を越えられない
第四図までは理屈(概念、世界観)の世界だからね JACIMの本を読むと、理屈はきっちりしているが、波長合わせても
なんつーか光が閃きが見えない気がする、翻訳者数人いるけど
ヴィジョンを見た人はいるのかな?香咲さんには光が見えた
少なくとも聖霊(守護神でも守護天使でも何でもいいが)導きはある人なんだな
第五図へ移行するのは難しくとも、第四図の中でガイド(導き)があれば
天国への道筋?wwは見えている
第五図や第六図に到達できるかは…もしかしたらもう一回生まれて来る必要があるかな?
しかし天の声が心に届く段階、第四図でもガイド付き?の段階になりゃ楽だな
そのために、心を澄明にするために赦しが必要なんだよ
そういう見方もあるww 世界観(概念としての)がしっかりしていても、神とは概念を超えたものだから
言葉では(理屈では)到底語り得ないものだから、コースですら脇に置いて天国へ行くww
そう2次元の地図をいくら眺めてわかったと思っても、実際その場に行くのでは
体験の質は雲泥の差だよね、そんな感じ??(いや違うかな??)
概念を超えた世界のヴィジョンが見えるか?体験があるか??それが問題だ
しかしあれだ… ヤバいまた書いてる途中に失念した…
聖霊によって具体的に導かれると、確かコースのテキストだかに書かれてたよな
それがどこだったか?誰か教えてww
だけどJACIMでは、聖霊とか奇跡をあまり重視してないんじゃね?って感じる
いや勘違いだったらごめんよ >>87
まず、上に書かれていた本の第四とか第五の世界というのは
コースの世界観とは相容れないので(敢えて言うなら祈りの階梯か)
別に第四の世界で赦しをしていようが問題はない。
次に、コースは別にレベルの高い教えではない。
ワプニック博士が「このコースは霊的に進んだ人のためのものではなく
初心者レベルのためのもの」と発言している。
JACIMはこういった発言は載せないだろうが、こうしたことや
ゲイリー本などの影響から、コースがレベルの高い教えと
思っている人が非常に多い。実際は知覚の訂正というのが
学習のテーマなんだけどね。
で、結論として言いたいことは
別に他のレベルの高い教えに興味があるなら、
どうぞそちらに行って頑張ってください。
もしコースをやるのなら、以前得た知識や
体験などは全てごみ箱に捨ててから来た方がいいですよ。 レベルの高い教えってなんですか?
別にコースがレベルが高くなくてもいいけど
というか、レベルが高いって何を指していってるの? >>89
とりあえず赦せ。
まあレベルの高い低いについては具体的に言うのは難しいが(ランク付けは全く無意味だし)、例えば自我について語る必要もなく、知覚の訂正を必要としない人向けの教えと言えるかな。
というか、別に「自分が思うレベルの高い教え」でもいいんだよ。 >>87
いやだから、その本読んでみ?(別に宣伝するわけじゃねーがww)
第四図はエゴの世界、第五図は自分が身体でもなくエゴ(の思考体系、信念や価値観を
含む世界観)ではなく、ニュアンスは多少違えど言ってることの核は同じだから
ていうかさ、似たような思想概念ってのはいくらでもあるけどな
五井先生の想念ぐるぐるってのもそうだしww、あれも本心(本質=スピリット)って
考え方があって、聖霊(守護霊・守護神)と一体だと言っている
まぁあれよ、どの道神の国へ赴くときはすべての概念、コースを含むを捨てなきゃならない
私の場合はコースも他の思想や宗教も同列に見て、比較して理解するやり方してるだけ
ひとつの教えをしっかり理解するのも大事だけど、主観に埋没してしまったら終わり
だから概念を外側から色んな角度から見るやり方を取っている
って言うか…飽きっぽい性格で集中力がないから一つのことを深堀するより
違うものを並列処理する方が性格に合っているってだけなんだがww ひとつの教えなり思想・宗教・行法をしっかり習得するには多分一生かかる
空海さんのような大天才ならまた話は別かもしれないが
わたしはそんな大天才じゃ全然ないが…しょーもないレベルの知能なんだけど
性格上、ひとつのことに集中できないwwそれが欠点だと思っていたんだが
ひとつ良いことがある、それは主観に埋没しにくいってこと
どの思想も宗教も概念なんだよ、概念、物凄く大きなものをどの角度で見るか
理解しやすいかは、その人の文化的宗教的背景や受けた教育で違うからね
昔は体験から入ったんだよ、勿論独力ではかなり難しいから大抵の場合誰かに師事してさ
理屈はあとだった(ことが多かった)
しかし現代人は理性と知性に重きを置く、まず頭を納得させないと体験に移行できないんだよ
それに昔の秘教的教えの大部分は口伝で、書物にも残したが大事な部分は伏せた
この大抵の人間が(((現実)))だと思っている世界の見方が変わるってことは
知覚が変化するってことは、大変なことなんだろうね…その知覚をエゴが利用すると
悪悟りになってしまうしwwキリスト教なら7つの大罪のうちの傲慢が顔をもたげるから 頭に浮かぶものをただ書きなぐるのはよそうと思うんだけど
最近すぐに忘れるんだ、書かないとすぐに消えてしまう、こうやってる間にも
色んな思念が頭を巡っては消えるwwだめだプチ認知症だこれじゃ…
地震速報…大丈夫か
えーと第五図に移行するってのは、革命、大変化、第四図の中にいて何かを理解した
気になってもそれは幻想ww >>91
薦めてもらって悪いが読む気にならないので遠慮しておくよ。
頑張ってな。 色んな教えがあるけど、どこに主眼を置くかは、教えによって違うんだよな
どの切り口でものを見るか?
例えば「愛」、仏教では慈悲ね、これがないと悟れない、確かにね…
チャクラという切り口で見ると、ハートのチャクラが綺麗に回転しないと
上位チャクラが開かない、いや開いてしまうと危険だ
ハートのチャクラ=愛(情愛ではなく慈悲、アガペー)がなければ叡智にならないからね
蛇の悪知恵(エゴの悪知恵ww)、下位のチャクラが詰まっていると
低次元の自己を克服できない、ユングやトランスパーソナル心理学とも繋がって…
だめだややこしくなるwwエゴを自覚するだけでもかなり時間がかかるよ 理解の仕方が色々あるって話よwww
ひとつの世界観にだけ固着すると危険な面もある
別の見方や考え方も同時に見て行くと、より客観的になれる
にしてもコースの分量が・・・・理屈ってのは幾らでも積み上がっていくもんだ 理解の仕方が色々あるって話よwww
ひとつの世界観にだけ固着すると危険な面もある
別の見方や考え方も同時に見て行くと、より客観的になれる
にしてもコースの分量が・・・・理屈ってのは幾らでも積み上がっていくもんで
だから昔の人は体験から入ったんだろうな ACIMってのもひとつのまとまった概念、世界観だけど
ヴィパッサナーでも、ヨーガ(これも色んな種類があるんだな)カバラでも
世界観を比較してみると面白いよ
この教えはここにフォーカスを多めに当ててるなとか
この概念はこっちの教え別の概念の方が使えるなとか色々見えてくるから 頭では理解できない、理屈を超えた世界を知るには、飛び越えるには
完璧な世界観はむしろ邪魔…なような気がするな
概念を超えた世界を説明しようとすると、それも完璧に説明しようとすると
必ず矛盾がでてくるもので、これ何度も経験している、体外離脱であっち側の人?に
色々聞いて納得して戻ってベッドの上で思い出して考えるんだけど
あれ??ってなる、どう考えても矛盾している、
頭(肉体)=制限なんだなと何度も思った、ACIMでもはじめに大きな矛盾にブチ当たる
起るはずのないことが、なぜ起ったか問題…って奴ねww
別の概念でもそうだよ、矛盾があったり、説明しきれてなかったりするもんだ
しかしイエスが伝えたものだから、限りなく完璧に近いのかもしれないが
この概念だけで悟れる人は多分少ない 観察され得るもの、つまり形があり物理的で動いたり変化したりして最後に死んでいくものは、どれ一つとして神からのものではありません 概念は使うものだ
しかし、あれだな、理屈ってのはいくらでも増殖するものだな
ひとつの概念を解釈した本ってのがあるよね、その解釈本の解釈本のそのまた解釈本
なんてのもつくれてしまうww解釈する人によってニュアンスが違うから
そりゃそうだ、生まれて育った環境が違えば、考える素地というか材料が違うわけだし
百聞は一見にしかずっていうけど、ひとつの体験は何千何万…の言葉を超えている
ってわたしの駄文も∞…そろそろ消えるかww >>102
馬鹿にしているつもりなのかもしれないが、
自分自身の無知を自ら晒しているだけだぞ、アホw 寒すぎるわ⛄❄⛄❄🐧
歯をガチガチさせながら赦さないといけないのか
ゆ る す
(さぶっ)
ガチガチ 前から仏教臭いと思っていたが、特に浄土宗の教えに似ているような希ガス
シャックマンに囁いたのは阿弥陀如来か? コースもマインドフルネスも、いろんな教えはただたんに人間を元の状態に気づかせるのが目的。
高いも低いもないし、次元もないし、難しいも簡単もない。
それらは分離が作り出した幻想。
ただ、あなたはすべての存在を可能にするポテンシャル。
顕現しているときは全てであり、顕現していないときは無であり、そしてその両方。
我々は顕現しているときに肉体への同一化現象を起こすけど、その時に個別性に執着すると全てであることを忘れてしまう。
その結果、分離という幻想に陥る。
この分離は、相対性に基づいた時間と空間の世界を作り出す。
我々はこの相対性に縛られた時空世界において、あらゆる物に分離を見ることを宿命付けられている。
コースもマインドフルネスも、この分離の夢から覚めるのが目的。
夢から覚めるのに、頭に水をぶっかける方法があったり、おねしょする方法があったり、目覚まし時計の方法があったり、人から起こしてもらう方法があったり、シナリオは既に自分が書いている。
眠ったまま起きないことはない。
だって、夢は幻想なんだから。
幻想内において、夢から覚めるのが早いか遅いかという幻想のシナリオがあるだけ。
幻想内において、コースで目覚めるのか、マインドフルネスで目覚めるのか、それ以外で目覚めるのかという幻想があるだけ。
教えに違いがあるというのもまた幻想。
教えは様々な形と種類を持った手段。
好きなものを選べばいいという選択の問題。
全ての道は、真の自分に繋がっている。
どの道を選んでもいいけど、目的地への道の長さに長い短いはある。
そしてその長短もまた幻想。
どの道を選ぶか、幻想を長引かせるのか早く終わらせるか、その選択はあなたにある。
そしてその選択と目的地への到着は既に終わっている。
選択もまた幻想。
あなた自身に気づきさえすれば全ては消え去る。 山の頂上に向かうのに、色んな道(コース)があるってだけ
だけどそれぞれ教えによって捉え方が違うし、どこに主眼を置くかも違う
わたしの師は、「人格」とは何か…人格ってところから入るやり方だった
人格とエネルギーだな、どっちかっていうとこっち側(この世の側)からあちら側?を
見る視点、逆の方法とる教えもあるし
トランスパーソナル心理学とも通じるところがあったな
にしても、奇跡を体験できないことには、奇跡のコースの意味ないよね?ww 目覚めたところで、この世界で個別の切り離された個人として、
弱肉強食(?)の世界で、この資本主義社会の一定のルールの中で、
汗水たらして(?)、
何かを獲得するために働かないといけない。
誰が?
すべてから観れば、その個人というのは誰もいない。
要するに視点の問題かもしれない。
個人としてみれば、神から切り離された異邦人としての宿命は免れない。
すべてとみれば誰もいない。 イエスの言う奇跡って、肉体に基づく物事の知覚方法を修正することだよね。
肉体というのは分離の象徴。
この肉体の知覚に基づいた行動は、自ずとあらゆるものを相対的に見る。
そして物事を、肉体を基準にした敵や味方に区分けする。
コースでは「特別な関係」と名付ける部分。
イエスの言う奇跡とは、この肉体の知覚が引き起こす分離に自覚を持つことから始まるんじゃないかな。
分離の自覚ができれば、苦しみは肉体の知覚が原因で生じるメカニズムが理解できてくる。
そしてそのメカニズムは、心が中心。
肉体の知覚に基づいて行動するのか、それとも肉体の知覚が引き起こす分離感覚が苦しみを生じさせていることを見抜いて行動するのか、その判断をしているのは心。
我々の行動は、つまり肉体の知覚を引き起こすのは、心が肉体の知覚に同意しているから。
心が肉体の知覚への同意をやめるのが奇跡へのステップ。
心頭滅却すれば火もまた涼しというように、心がどの感覚に同意するかによって痛みや快楽が左右される。
だから、心が分離ではなく調和に基づくようになれば、肉体の分離の知覚は修正される。
そして、苦しみを引き起こすこの世の相対世界の幻想性に気づくようになる。
この気づきと、心が肉体の知覚への同意をやめる、つまり聖霊の知覚を取り入れるのが奇跡では?
聖霊とは、相対世界を卒業したがっている内なる声のような気がする。
聖霊は、神との一体境地の記憶。
その記憶が聖霊として擬人化され、神との一体という帰還を呼び掛ける。 他人を攻撃しているからその投影で自分が攻撃されていると感じる。
他人を攻撃しなければ自分が攻撃されていると感じる事は無い。
これならばほとんどの悩みである人間関係の悩みは無くなる。
なるほどなー。 そして自分は肉体では無いという事を知らなければ許すことはできない。
自分が肉体だったら、生存を脅かされることを許してられないから。 コースっていうより、もっと現実的なことで悩む。
でも、その現実というのも、
コース的にはないもの。
個人には悩みはつきもの。
個人と世界のすり合わせに悩む。
本来の自己は、存在すべてではあるのだが・・。 みんな本当は神を求めているんだ
自我の力で狂っているから金とセックスを追い求めているけど ドラキュラの弱点は日光、十字架、ニンニクだが
自我の弱点は聖霊
常に聖霊と協力しないと自我には勝てない 自我はそもそも存在しないんじゃね?
自我という実体はないが、自分は分離独立しているという勘違いは存在する。
この自分は分離独立しているという勘違いが自我。
だから、自我を実体として扱おうとする表現は厳密に言うと誤り。
存在しないものを存在するように扱うと、自己の分離独立という勘違いをリアルとして強めてしまいかねない。
ただ最初は、自己を個人と認識するのは誤りだということを理解する上では、分離を擬人化した自我の概念は役に立つ。
自我を敵として扱うのも厳密に言うと誤り。(なぜなら自我は存在しないから)
だが、肉体をリアルにしようとする自我と表現される働き見抜く上では、自我を実体化して自我を敵として扱うことに効力は見いだせる。
包括的な一つの生命を個人性として分離化する働きを、自我として実体化する
↓
自我を実体化することにより、日々の生活においていかに自分が自我に支配されているか気づくキッカケとして利用する。
↓
自我の支配とは、包括的な生命を分離したものと勘違いさせる働きであることを体感する。
↓
自我の認識から派生する己の本当の生命は包括性であるという自覚が強まることにより、自我は実体ではないことに気づき始める。
↓
常に自分は神との一体境地(聖霊の記憶)から一度たりとも離れたことがなかったことを段々と思い出す。
↓
自我とは、自分の夢見ていた実体の無い分離の思考であったこととして消え去る。
↓
幻想として肉体は残るが、聖霊との一体化により肉体の生老病死とは無縁な人生になる。
生老病死やその他肉体の苦しみや限界も、聖霊の視点から見れば自分が己のカルマを解消して奇跡を起こすための自分が描いた脚本であったことに気づく。
苦しみに満ちた己の人生を神への感謝と共に受け入れる。
そうするとそれらは無の中へと溶け去る。 >>88
コースは目に刺さってる丸太を徹底的に粉砕することを念頭に置いてると思う
スピリチュアルは丸太に薬品かけてゆっくり溶かす
コースはハンマーで直接ぶっ叩いてる そりゃ理論的には自我は幻想だと知っているけど実際は幻想とは思えないだろ
実際には聖霊を味方にして自我に勝つしかない
自我が幻想とはっきり実感できるようになるまでは 個人がなければ、自我もないから悩みもない。
肉体自身に生老病死はあるから、死んだようにはみえるけど、
自我がなければ、死なないのだから、生老病死もない。
生存にたいする、恐怖(?)もない。
自己を自我とみるのは辞めた方がいいし、
肉体とみるのもやめた方がいいし、
個人としてみるのもやめた方がいいのだろう・・・。
とはいえ、この世界と、肉体がある以上は、
付き合わないといけない事実。
ニヒリズムに陥るから、
夢は夢でもせめて、幸せな夢にしないと・・・。 夢を見ちゃった以上は、覚めにくいのを覚悟で夢を見続けるしか無いってことだ
明晰夢だけど、相手に殴られる痛みははっきり感じるという夢を見たことがある
覚めようと思ってもなかなか覚めない
夢だから身体を石にできるはずと試しても、痛みは感じる
だから相手に殴られないように逃げないといけなかった 丸太を壊す=丸太は元々存在しなかったってことに気づくことだよね
これはコースのみならず、非二元、不二一元論の考え方。
この世と呼ばれる相対世界に、リアルなものは何一つとして存在しない。
丸太も存在しないし、修正すべき何物も存在しない。
ただ、相対世界という幻想世界を作り出す心の作用は存在する。
心は、神から分離したという罪悪感を抱くと、神から逃れるために分離の意識を投影して相対的な幻想世界を作り出す。
心は、肉体と同化してこの幻想世界を神からの逃避場所としてリアル化し、肉体と世界を守り抜こうとする。
丸太を本質的に取り除くには、丸太という幻想が生じる源を取り除くこと。
その為には、分離を生じさせてリアル化している心の働きを見抜くこと。
そしてあらゆる原因である心が支持する分離の信念、つまり肉体への同化を放棄する。
そうすると、心の意識が映写機として投影してきた幻想世界は幻想の仮面を剥がされる。
当然丸太も、個人性も幻として認識される。
この幻想世界は、人間の知覚を修正することにより、リアルから映画のスクリーン上の光の点滅のようなものとして認識される。
あらゆる映像は無意味になる。
スクリーン上の丸太を作り出したのはあなたであり、また、あなたは自分が投影した世界という映像が身体に流れる不断の鑑賞者。 赦しのやり方の具体例が少なすぎるんだよな
ワプニックのまだ和訳されてない本には具体例がたくさんあるのかどうかは知らんが ACIMerさんたちはやまがみさんのこの記事をどう思う?
「『私はいない』がわかった」からの、ノンデュアリティの扉を開くヒント
https://ameblo.jp/yamagami-teruo/entry-12347376611.html 自我がこの世界を作った目的は罪悪感をさらに強化することだ
これに対して聖霊の目的は罪悪感を白紙に戻すことだ >>126
>この幻想世界は、人間の知覚を修正することにより、リアルから映画のスクリーン上の光の点滅のようなものとして認識される。
>あらゆる映像は無意味になる。
そんな話どっから来てるの? アイテテテ
マジで腹痛いわ めったにないんだが…
なんの投影なのか 奇跡講座が本当の幸せに導く教えなのは多分間違いない。
でも理論も実践も自分には難し過ぎる。
別の道を探求することにしようか迷い中。
奇跡講座はほんの一握りのエリートの人たちしか実際には履行できないよ。 まあ、諸悪の根源は自我ですからね。
どんな状況に置かれていようと、ここを何とかすれば、しあわせではあるよね。
ただ、今の状況を、何とかして、体裁を整えたいなら、
別の努力が必要だろうね。
悟り自体は、学歴とか性別とか、財務状況とか、
そういうものとは一切関係ないという。
魂の解放
https://youtu.be/yM4HRWnFqY4 (ノД`)・゜・。ただいも。
(;_;)/~~~BPDだった。
(。-`ω-)borderline personality disorder
('_')境界性人格障害
(´_ゝ`)別名borderline psychopath
(´・ω・`)つまりサイコパスギリ
(*‘∀‘)5年10年後の生存率が癌患者並みに低い唯一の人格障害
('ω')じさつするから。
(*´ω`*)元祖ヤンデレクソビッチ
(/ω\)ありもしない社会に破壊する適応をさせられそう
だから
べつのレベルの混同を引き起こしコースには早すぎる入院女は
メンヘラ板へ行った。
(´・ω・`)心と宗教板より荒れてない。
(; ・`д・´)ACIMerより優しい。
('Д')ここが実相社会なのね!!!
(;´∀`)メンヘラたちはACIMerたちより赦してくれた。
(*^▽^*)ACIMerたちの身に何があったのだろう?
(*´ω`)メンをヘルよりもつらい何かが?
(@^^)/~~~わからない。
(/・ω・)/DV父と虐待母を見るとフラバで自傷するため
(._.)ナマポの身に。
(=_=)落ち武者
フラバ、嘘のように止まる。
ここが実相社会なのね!!!パートU
( ゚Д゚)だが病院はキャンプシュワブ並み!!!
(^◇^)暴力を目撃するとやはりフラバ
"(-""-)"便所に隠れて暮らす日々。 (-_-メ)みんなセラピストすき?
(^_-)-☆入院女のママはセラピストだよぅ
( ;∀;)でも殴る蹴る日記読まれるで育ったの
|д゚)看板と違う!!!
( *´艸`)日本にインナーチャイルドセラピーを
導入した第一人者の直弟子だよ
(*_*;my mother
(´▽`*)看板と違う!!!パートU
(*ノωノ)トランスパーソナル心理学のセラピストに会いました。
(@_@)霊障なので霊能者に見てもらえと言われました。
(;・∀・)看板と違う!!!パートV
(-ω-)/しかたがないので霊能者に見てもらったら
嘘のように治りました。
ここが実相社会なのね!!!パートV
(;´Д`)魂が体から出てしまっていると言われました。
(>_<)えいっ魂を体に戻す
(^O^)わーいフラバの巣だー
(´・ω・)そこに金魚登場
(`・ω・´)金魚にはすべてが説明可能。
(^^♪だが
('◇')ゞしたくないっ (-"-)その昔金魚は代筆の人だった、いや
(T_T)しょうじきにいおう、金魚こそ代筆の人である、その一部であるが
一部は全部のため完全に代筆の人である。
( 一一)みんなの中のグッピーやらなんやらもみんな代筆の人たちである
(~_~;)その昔、いや、しょうじきにいおう
いまだに、金魚は
永遠の生命なんか嫌である
(*‘ω‘ *)とくべつなかんけいがほしい
とくべつなじぶん
とくべつなせかいがほしい
(-。-)y-゜゜゜えいっわるい煙
(*'ω'*)代筆の人はやめて、金魚になった
((+_+))そして入院女をつくった
(゜_゜)えいっ忘却の術
<(`^´)>入院女になった!!!
(゜レ゜)ついでに世界と物体をつくっておいた。
(-_-;)しめしめ、これでばれまい。
_(._.)_どうしよう、びょうきになってきちゃった。
Σ(゚Д゚)たすけて代筆の人!!!
<代筆の人にはすべてが解決可能だった。 <まともの階段のぼる〜きみはまだヤンデレラさ
正気は誰かがきっと運んでくれると信じてるね
投影だったといつの日かわかる日がくるのさ〜
代筆の人は口下手だった。
解説
まともの…永遠の生命のほうがいいに決まっている
階段…だがまともではないほうへ行ったので戻らなければならない
のぼる〜…それはだんだんとまともに近づく道のりである
きみは…これは金魚と入院女と両方に言っている
まだ…なぜなら金魚が入院女になりきっているためである
ヤンデレラさ…そのことと、入院女の精神病をかけている
正気は…永遠の生命を選択すること
誰かが…つまり、自分の選択ではないと思っている
きっと…つまり、外側の力を信じている
運んでくれると…責任をとりたくない
信じてるね…責任をとるべき力を喪失したと信じているが
隠して忘れているだけであることを言っている
投影だったと…代筆の人は外部の力ではない
いつの日か…選択をするときのこと
わかる日が…思い出すこと
くるのさ〜…それが確実であることを知らせている >>136
イエスキリストは、エリートだとかそういう基準で人を選んだりしないでしょ だから私たちは世界に関する思考、感覚、そして
知覚に注意深くなければならない、
なぜならこれらが癒されるためのただ一つの
希望だからである。錠のかけられた心はただ
赦しの鍵によってだけ開くことが
できる、もう一つの知覚する方法がある
という認識とともに始まる過程である。
イエスに助けを求めることが彼が誤った
知覚を訂正してくれることを許す、内側の
視覚を誘導することによって。そうして
彼は、彼のように世界を見ることを教える
ー十字架刑か復活か、断罪か聖性かという心の
決断を映す鏡として。 断罪はあなたのあなた自身への裁きである、そして
あなたはこれを世界の上に投影する。断罪されていると
それを見る、するとあなたが神の子を傷つけるために
したことばかりを見る。もしあなたが目にするのが災害
と惨事ならば、彼を磔刑に処そうとしたのだ。もし聖性と
希望を目にするなら、あなたは神の意志に参加したのだ、
彼を自由にするために。この二つの決断の間に横たわる
選択はない。そうしてどの選択をしたかの証人を見る、
そうしてどちらを選んだのかこれによって認識する
ことを学ぶ。 赦しの終わりは私たちの心が選択する力の
回復である。世界の運命が文字通りこの
力の均衡の中にかかっている、なぜなら
世界が心の決断する力だからである。喜びと
希望、それとも惨事と絶望の場所であるかその
状態は選択にのみよっている。どちらになるだろう
か?イエスは問いかける。彼の声と眼になるという
のは彼の希望のメッセージのみを聞き、心に固有の
一体性からの視野のみを見たいという意味である。
他のいかなるものも世界にその喜びを私たちに
希望を拒絶する。選び直せ、兄弟は呼びかける、
なぜなら「神の愛が彼を掲げているとき誰が
奇跡と殺人の選択を難しく見出すだろう?」。 この世界は自我が作ったものだから
この世界のことを深刻に考える必要はない
狂った自我が作った狂った世界なんだから
この世界に深くのめり込むとこちらまで狂ってしまう 結論
あなたの内なるキリストはとても
静かに止まっている。
【彼】はあなたがどこへ行くのか知っており、
そして優しさと祝福のうちに
あなたを導いてゆく。
【彼】の【神への愛】はあなたがあなたの
内に見たと思ったすべての恐れを
取り換える。
【彼】の聖性はあなたが手を取り、【彼】へと
導く彼の中に【彼自身】見せる。
そしてあなたが見るものはあなたのようである。
なぜならキリストをおいてほかに
我が家を見、聞き、愛し、追うものがあるだろうか?
【彼】は先にあなたを見た、がしかし
あなたが完成していないのに気づいた。
そしてだから【彼】は【彼】が目にし愛する
一つ一つの生きとし生けるものに
あなたの完成を探し出した。
そしていまだに探している、その一つ一つがあなたへ
【神の愛】を差し出すかもしれないと。 しかし、ほとんどの人は自分=肉体だと思っているからね
もしくは自己イメージ(自己像)ってのがあって、それを自分だと思っている
わたしは…に続く言葉のことね、アイデンティティっていうのかな?
わたしは男です、わたしは親です、わたしは日本人です、わたしは○○です(職業とか)
わたしは善人です、わたしは勇敢な人間です、わたしは…
そんでもって見たくない自己の側面を隠すために仮面(ペルソナ)被ってたり
演技したりしている、肉体と自己イメージを守るために生きてる
と言っても過言ではない?ww
自分が体=物質ではなく、スピリットだと実感できたとき、革命的変化だろうな
自分は体から一時的に抜けることができるけど、それでも霊体というか
ボディーイメージは残っているし、自己イメージってのを保持したまま
つまり身体が滅んでも、ボディ感覚と自己イメージってのは残ろる
エゴの思考体系も残る、いくつかの死を経て本当の自己に戻っていくのだけど
戻ったあとも再び生まれるんだろうな、エゴが浄化されるまで 自分のことを体だと思うと、他の人も体として見るよな
つまりは物質としての価値があるかどうか?それがこの世の価値に繋がってるんだけど
肉体としての価値ってのは
若い(繁殖能力がある)、美しい(これも生殖に関わる)、賢い(生産性に関わる)
何かしら生み出す能力才能がある…それだって時代によって価値が変わるからね
可愛いらしいぬいぐるみをつくる才能より、野球とかサッカーとかスポーツの才能の方が
何万倍(以上)も金になるw
時代によって求められる才能とか才能に対する価値が違う、それがこの世だな
肉体とか物質という視点で見ると
役に立たない年寄だとか、働けない障碍者、精神疾患や労働意欲がない人たちも含めて
価値がないと判断される、過去にもそういう人たちを嫌な言葉だけど
色んな形で始末してきた、間引きだとか座敷牢に閉じ込めるだとか
役に立たない人間=恥として社会から消し去るか隠した
未来は…ヨーロッパの一部じゃ安楽死…まぁね、ちょっと嫌な話になる
いらないから殺して(消して)しまえ的な発想になるのな
すでにその兆候が見えているし…これから物質主義が強くなっていく傾向…なんだろう
世界的に、今の中国的価値観なんてまさに物質至上主義だし 肉体に価値があると思うから、痛い思いして改造?してみたり、アンチエイジングなんて
言葉が生まれて市場が賑わう、今も昔も若返りは永遠の夢www
そのうちあれだ、映画「ダカダ」みたいに、遺伝子に価値を見るようになるかもね
その人の遺伝子が優秀で病気になる因子が少ないと価値が高くて
結婚や就職に有利で、その逆だと価値が低いと観なされる
科学が発達すれば遺伝子操作で長生きする人種と、奴隷労働で短い一生を送る短命種が
生まれるかもしれない、肉体に価値を置くとそういう未来が…ってSFだなww
いや実際そうなっていく、中国あたりからそういう人体実験あいやwww
自分の核がなにか?益々わからなくなっていく
しかし極僅かではあっても、魂(スピリット)の感覚ってのが人間にはあって
どんな命でも尊いと宗教が説くのも、スピリットの感覚があるから
それがどんどん希薄になっていくと、怖いよな、物凄くグロテスクな世界が見えるから 安全で快適な生活のために金が必要だ、金を得るためには闘わねばならない
(自由競争って奴ねww)他人を蹴落としてでも勝たねばならない
そういう信念を人類が共有しているから、この世界はいつまでたっても平和にならないs
分かち合いより奪い合う世界(だよね?公平に見ても)与えるより奪い取る
まぁそれも一方では必要なんだよね、それが世界の現実なんだし
でもそればっかりじゃな界はどんどん地獄に向かっていくよな
この世界は意味はいらないとか、意味がないと一部のACIM信者?はいうけど
そうじゃない、いやこの世界を活用して地獄にしない、良い世界を築けなかったら
他の世界に移行したところで同じだな、 この世界はいらないとか意味がない・・・って書きたかったの
だめだ しかしあれだな、肉体を離れて高い波動界に行くとね、今はいけないけど…
人の見方が変わるんだよ、変な話相手の性別も年齢も職業もあんまり気にならなくなる
しばらくすると元に戻るけどね、偶然隣に座った人やすれ違う人に愛を感じる
といっても相手の関心を引きたいとか、相手に良く思われたい類の安い愛じゃなくてね
マザーテレサが、行き倒れの人を、飢えたキリスト、裸のキリストと言って
拾って寺院に連れて来たって話だけど、自分の神性に目覚めると、相手の神性も見えるんだろうね 一部のヨガとか仙道なんかでは、肉体が生きているうちに
「もうひとつの身体」をつくっておくんだよ。
もちろん物理的な身体ではなく肉体より抽象度は高い。
(当然このもうひとつの身体もエゴの産物だよ)
肉体の死後、その「もうひとつの身体」に速やかに移行し、
その「もうひとつの身体」で修行の残りを完遂させる。
幸い「もうひとつの身体」は肉体と違いかなり長持ちする。
少なくとも、その人はもう生まれ変わる必要はない。
新たな肉体として新たな両親のもとに生まれ変わり、
そしてゼロから教育を受け社会生活を送れるようになり、
様々な挫折や苦しみを体験し、人生とは何かを探究し始め、
そして再び「教え」(コースでもなんでも)に出会う。
さあその教えを実践していこう、という段階になったときは、
すでにある程度歳を取ってしまっている。
そしてそのうちタイムオーバーになってしまい、
また頃合いを見計らって生まれ変わり、
またゼロからスタートして成長して・・・。
これではいかにも効率が悪すぎる。
僕なら、まずその「もうひとつの身体」を創り出すことを目指す。
言い忘れたけどチベット仏教の虹の身体というのもそれのことだ。
虹の身体を完成させた上でまだ肉体人生の残り時間に余裕があれば、
コースのような直接的な道に着手してもいい。 他人を肉体と見るのは失礼に当たる
なぜなら肉体は自我の分離の象徴だから
他人を肉体と見ることは他人を自我と見ることと一緒である >>162
どうしたらその、「もうひとつの身体」が創れているかどうかわかるんですか? 心が銀河系、太陽系、地球など全宇宙を動かしている
その心を変えないとダメだ
自分の周りの人間や物を赦しただけではほとんど効果はない この世は仮想通貨以外は幻想だから仮想通貨だけを頼りに生きればいいと気づきました
それ以外はただの幻想だから相手にしないようにしましょう >>164
いろいろな徴(しるし)が物理的な肉体上にも現れるようです。
頭頂部に振動が起きる→ナタラージャ(シヴァのダンス)
http://opencage.info/pics/files/800_3963.jpg
ヨギは頭頂でシヴァがダンスをしているとシンボリックに表現しています。
さらに肉髻(にっけい)と呼ばれる頭頂部の盛りあがりが生じ、
そして所謂出神という体外離脱に似た現象が頻繁に起こり始めます。
ユクテスワールもヨガナンダも、死後に生前とそっくりの、
「もうひとつの身体」で弟子たちの前に出現しています。
まあでもこれらも所詮エゴにより設定されたものに過ぎません。
それを利用できるかどうか、だと思います。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています