【イエス】 あなたは愛されている 【キリスト】
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あなたは神様の前に誰であるか、
あなたはどこから来てどこへ行くのでしょう
あなたは何者なのか
互いに論じ合いましょう。 >>745
どうしてありえないのでしょう。
神は愛であると、人は理解した。
愛って何? 愛と言う言葉は明確でなく、愛されたいだけの
肉欲にも通じる飢えを言い換えている場合もあるのです。
アガペーを指すのであれば、
そういう、飢えを指す混乱が混じらない、
ぶれない、愛は神、愛なる神ではありませんか。 >>723
エイシストさんを簡単に言えば・・・「温厚なリアリスト」だと思うよ。
だいたいの部分は、こんな感じ。
http://www.ipersonic.jp/type/12.html キリストのスレで
愛を肉欲に転義する思考回路の持ち主 愛とは、たとえばカップルや夫婦のそれです。
聖ワレンティヌスが祝福するようなチョコを
インスタか此処で証してください。 >>752
肉欲に気付かない肉欲にあるクリスチャン
キリスト教スレであるなら、そろそろ誤魔化さず、
直視して、気付きましょうね。 人間の愛と違い「神の愛」は無限大かつ永遠です^^
愛しても愛しても尽きる事が無い神の愛。
神にだけはどれ程期待しても我が儘を言っても良いのです。
神さまは決して疲れず困りません。
ヨハネ福 4:14
しかし、わたしが与える水を飲む者は、
いつまでも、かわくことがないばかりか、
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠の命に至る水が、わきあがるであろう
. 愛を考える。
・親が子を体をはっても守ろうとする愛
特に母親は、連れ合い(夫)がべたべたと甘えていたい
ところから、いち早く十月十日、自分の身を削り
子を守る事に命がけになります。
そして、産まれて来ても未熟な赤子を抱きしめ続けます。
夫は、その母子をさらに守る役目があるにも関わらず、
母子を引き裂き、母親を女として性的に接触する事に
関心を持ち続け、子に嫉妬して、夫婦仲が悪くなるというのは、
そこらじゅうで起きています。
男のアガペーのなさ、大人になれない未熟さ、悲惨です。
それと、男は連れ子(妻の前夫の子)に対してはさらに
悲惨な事をしでかします。(継母も場合によっては先の妻の子を
いじめたりしますが、男の様に殺すところまではいきにくい)
ヨセフは、連れ子とその母マリアを愛しました。
愛されるより、愛する。
アガペー。
ヨセフとマリアはアガペー。成熟した霊魂です。 私たちの持てる全ては神さまからの賜物です^^
私たちは地上の命だけを持ちこの世に生まれてきました^^)/
ヤコブ 1:17
あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、
上から、光の父から下って来る。
父には、変化とか回転の影とかいうものはない。 ヨハネ福 9:41
イエスは彼らに言われた、
「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。
しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、
あなたがたの罪がある。 >>759
すべて神の子である人間を、罪人扱いするイエスが、神の目から見れば最大の罪人
なのである。 わたしたちは、愛することができないのか、
その未成熟な男は、あるいは女は、
おそらく自分の生い立ちで、愛に飢えて次世代に悲惨を
連鎖させているのです。
ユダヤ民族は、その典型であったのでしょう。
そこを断ち切れと、その負の連鎖を、
イエスキリストは命がけで訴えたのですよ。
であるのに、いつまでもいつまでも、イエスの愛せよの
言葉を無視して、
愛せよの循環系の構造に転換することよりも
飢えのエネルギーに依存して、
外見は、律法主義で着飾りしつづけるのか。
なぜ、 今日の産経新聞で、曽野綾子は、「愛とは、感情ではなく、身近な人を助ける義務としての行為」
と言っている。これは、イエスのアガペーの完全否定である。 ブルースブラザーズ
Shake Your Tail Feather レイ・チャールズの曲
https://youtu.be/qdbrIrFxas0 まあまあまあ、落ち着け
神に人格は無いしイエスはもう居ない
イエスや神の言葉を無視したからと言って誰が傷つくのだ?
本当に大丈夫か君たちは >>761
折角のご卓論だし
ご自分のスレに寄稿すれば? 曽野は神の威を自分の上着のように羽織りすぎて
ますますサイコの様相を呈しているな
クリスチャンの到達点みたいなもんだ 神の愛と恵みは無限です。
────────────
私たちは神から多くの祝福を期待するが、
神の無限の寛容さはいつも私たちの願いや考えを上回る。
(ジャン・カルヴァン) 人間の倫理や道徳に神を持ち込むから曽野のようなモンスターが出来上がるんだよ >>766
イエスの愛概念が、完全な誤りだということ。イエスがギリシャw哲学を猿真似したからだ。
私も、常に言ってることだw。 >>767
天罰とか実際は起こらないから
許されたと勘違いしてるんじゃね?
糖質の症状だよ
大丈夫か? >>755
>神にだけはどれ程期待しても我が儘を言っても良いのです。
> 神さまは決して疲れず困りません。
うん、そうだね。
だけど、実際人が生きているのは、この世(地上)ですから
その自分の我儘が表出したり現象化したりは、
この世ですよね。
神は疲れず、困らなくても、隣人が困ったりが発生して
キリスト教は、傲慢、身勝手、しまいに他宗教へ被害を及ぼしたり
と、思いっきり、我が儘を保証するようなイエスと無関係な
人々(クリスチャン)製造機になるような、ことになってしまったかも
と・・・
イエスキリストの教えを、シンプルにしてしまうことよりも、
とても精神的、霊的に高度であることをわきまえていなければね。 イエスのように、人間が神を口にした途端に、それは「人間のエゴ」になってしまう。
だから曽野は、神によって、常に人間を語る。イエスには、人間に対する洞察や愛は「皆無」
である。 一神教はサイコパスが利用し糖質が洗脳される
気づけ〜 >>773
人間が語る神は、常に人間のエゴだから、当然のこと。
イエスの「己が神の独り子」という妄想は、極限にまで肥大した彼のエゴである。 イザヤ 55:9
天が地よりも高いように、
わが道は、あなたがたの道よりも高く、
わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。 >>649
だいぶ、反省している様子ですねぇ🎵
⭐🌺🎁 神様の愛は擬人法ですか?
そういう文学表現はなるべく避けていただきたい
誤解を招きます 愛とは聖書に書かれてます
人間同士の議論は間違いが起こりやすい
主に求めるのがなにより正しい うん、「主」からは人にとって良いものも悪いものも降りてくる
ご存知の通りこの世界は悪いもののほうが圧倒的に多い
人にとって良いものと悪いものを峻別しない神に「主体性」を求めても無駄でしょう
人にとって没交渉の存在に意味はありません >>776
人間が「神」という言葉を使うとき、それは人間のエゴの表現以外の
何物でもないことに気付いて下さい。神とは、人間には計り知れない
存在のはずではないのですか。
人間には計り知れないはずの神をペラペラと語るイエスやクリスチャン。
本当に滑稽ですよ。 主体性のない存在を主語に立てた文章を見るにつけ
大人がなんの遊びをしているのかと思うわけです >>783
こんばんは
いつもあなたの書き込み賛成です。
あなたは
昨夜リバイバルミッションの出来事を書き込んだ方なのでしょうか
あなたのような方が何故お酒を飲まれるのか分からないわw 質問: 神は愛であると言うのはどういう意味ですか?
答え: 神は愛であるというのはどういう意味でしょう?まず神のことばである聖書が
「愛」をどのように説明しているか見てみましょう。それから、神に当てはめられることを見ましょう。
「愛は寛容であり、親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」
(第1コリント13章4-8節)
こういうことかな? >>784
どういたしまして^^
>>789
1ヨハネ 4:10
わたしたちが神を愛したのではなく、
神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、
御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
. >>789
出エジプト記 20章 5-6
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、
わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
********************
※ 安っぽくて狭量な愛の神 ( 神は自分でそう言っているではないか えーっと神はどこかで人間の悪行をずっとモニターしてて
頃合いを見て使者を遣わしたということですか?
水戸黄門みたいですね
おやすみなさーい まあ勧善懲悪もののエンターテイメントの基本プロットは押さえられておますね まあ勧善懲悪もののエンターテイメントの基本プロットは押さえられておますね 無神論者は、神とは人間に図り難い存在であることを知っているから、神に付いては
沈黙あるのみで、神によって創造されたあるがままの人間と自然とに、最大の価値を
認める。神のための人間の大殺戮など一切しない。
「神」「神」「神」と、神を人間のおもちゃにしてもてあそんでいるイエスや
クリスチャンよりも、無神論者のほうはるかに神に近い、という逆説が生じる
のです。 >>796の訂正
×無神論者のほうはるかに
○無神論者のほうがはるかに >>796
>>神のための人間の大殺戮など一切しない。
出エジプト記 11章10
モーセとアロンは、すべてこれらの不思議をパロの前に行ったが、【主がパロの心をかたくなにされたので】、彼はイスラエルの人々をその国から去らせなかった。
出エジプト記 12章29-30
夜中になって主はエジプトの国の、すべてのういご、すなわち位に座するパロのういごから、地下のひとやにおる捕虜のういごにいたるまで、また、すべての家畜のういごを撃たれた。
それでパロとその家来およびエジプトびとはみな夜のうちに起きあがり、【エジプトに大いなる叫びがあった。死人のない家がなかったからである。】 シャロンさんの最大のおもちゃが「神」だね。おもちゃなしでは
居られないw。大人になったら、「神遊び」は、いい加減で卒業
すべきでは。 >>799
隠居の大好きな旧約の神:創造主による「大虐殺」なら他にもまだまだあるぞ。
一方、イエスは誰も殺していない。 何故だろうね? 変だよね? >>799
イエスはキリストと呼ばれる。その意味は「救世主」 ・・此の「世」から、「救」い出す、「主」。
「救世」とは何か? ・・・ズバリ、創造主の不条理な殺虐が支配する此の世からの「救世主」なのだよ。
クリスチャンは、誰一人も気付かないでいるが。 出エジプト記や民数記に描かれている異民族の「殺戮」は
実際には考古学的証拠がないので、いわばユダヤ民族の願望の表現と観ることもできるわけだけど
問題になるのは、これらの「殺戮」を、現代の殺戮のための正当化の根拠として
あるいは正当化に至る心理的プロセスのステッピングボードとして
アブラハムの宗教の信者の一部が無意識にせよ、使用してしまう傾向があること
アブラハムの宗教が持つ絶対的価値観がこのような古代の価値観に基づいた記述と
結びついて先鋭化したときにもたらす効果について
どこまで自覚的であるのかは問われる部分だね
ISは言うに及ばず、ユダヤ教キリスト教の原理主義者の一部にまだこういった傾向は
残念ながら残存しているように思える >>802
その通りですね。
気に喰わない者・逆らう人々を片っ端から殺す「創造主(ヤハウェ)」
病者を癒し、死人を生き返らせ、敵をも憐れむ「救世主(イエス)」
・・・好対照ですね。
どちらも神話であるが、アブラハムの宗教は「創造主(ヤハウェ)」神話を聖典として崇めている。
恐ろしいことだ。 >>800
君も大人なら、イエスやクリスチャンのような「神様ゴッコ」は、いい加減で
止めろよ。 >>800
イエスの「教え」が、数十億人を殺している。
麻原の「教え」が人を殺したから、麻原は死刑だ。
大人なら、「神様ゴッコ」は止めなさい。 >>804
アメリカ大陸へ移住したピューリタンは最初の冬が越せずに大勢が死に掛かったが、
彼らを助けたのはインディアンであった。
後にピューリタン達は、アメリカ大陸を「約束の地」と一方的に決め付けてインディアンを殺戮し土地を奪った。
旧約の神:創造主がイスラエルに約束したことを信仰して。
神様ゴッコで殺されたインディアンにとっては「ゴッコ」で済まされない事実だろう。 >>800
イエスの神が、その旧約の神だぞ。イエスは、その旧約の神と
自称している。 >>803
ご隠居はユダヤ教のもつ現実的で、ある意味では実利的な性格を高く評価し
キリスト教がユダヤ教を観念化・思弁化し、肉体を忘れたがゆえに大殺戮が可能になった
という捉え方なんだけど、福音書に描かれるイエスは旧約にある隣人愛の教えを中心化したわけであって
観念化・思弁化ということとは別なんだと思うんだよね
もちろん、肉に対する霊の強調というのはあって、ご隠居の言うこともわからないではないんだけど
少なくともイエスにおいて核心的だったのは、実際に排除された人々に触れたことであって
これは「見ること」と特徴づけられるギリシャ思想に対して
「触れること」と特徴づけられるイエスの思想の大きな特徴だと俺は思うんだよね >>807
それは解釈の相違だ。
パウロと彼に続くキリスト教会が「>>イエスの神が、その旧約の神だぞ。」と決め付けた。
我々グノーシス派は「違う」と最初から主張している。しかしキリスト教会に弾圧されてしまった。
新約聖書正典なんて代物は、パウロの教会成立後に、自分たちに都合よく人為的に選定されたものだ。 イエス・キリストは創世記の冒頭に出てくるエロヒムの一人です。
エホバはユダヤ人の氏神。 >>807
なぜ東京大空襲や川崎大空襲で、また広島長崎の原爆で、我ら直近の先祖が皆殺しにされたのだろうか。
旧約の神が命じた「聖絶」を実行したのではないのかと深く疑われる。 これのどこが「ゴッコ」だったと言うつもりか。
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寝ます アドベンチスト、エホバの証人、イエスの御霊教会など
キリスト教の仮面をかぶったエホバ教をよく調べれば共通点があります。
エホバだけが神ですからイエスは人なのです。 >>808
少なくとも確認可能なイエスの出現後においては、イエス信者のほうが、
ユダヤ教徒とはけた違いに多数の人間を殺している。私はその原因を、
心理学的・精神医学的に追求している。 >>813
あなたは層化でしょ
層化に救いはありませんよ 確かに実在するのはイエスだけだからな
カリスマに仕立ててしまえば少々おかしなこと言ってても
信者が脳内補正してくれる
でもイエスもう死んでしまっているんだよ
今となってはカリスマも糞もない >>813
殺戮規模の違いはそれぞれの信者の政治経済的あるいは軍事的な力の違いだと思うよ
ユダヤの民は1世紀以降のディアスポラで実質的に政治経済的な力も軍事的な力も失ってしまった
対するキリスト教はローマ帝国の国教となったことから世俗の権力と相補的に力を増していったから
これが殺戮規模の違いに現れているんだってことね
実際20世紀になって国家を獲得したユダヤ教徒たちは軍事的な力を背景に殺戮を繰り返してきた
あるいはキリスト教徒が少数派であるところではキリスト教徒は殺戮される側に回るよね
政治的・経済的・軍事的な力の違いのほうが、ユダヤ教とキリスト教の精神医学的違いよりも
よりよく殺戮規模を説明し得るように思えるよ >>808
専ら「貧しい人々の救済」を主張したマルクス主義は、救済どころか
多くの味方を含む無数の人を殺し、巨大な貧富の差を作り上げたね。
心理的には、キリスト教と全く同じパターンだ。 >>817
図式化されたマルクス主義は、たしかにユートピア思想(一種のテレオロジー)に
逆戻りしてしまってるところがあって
歴史的にユートピア思想はディストピアの現実をもたらすね
でもそれは心理的に同一であるからというよりも
やはりひとつの価値観を絶対化してしまう思想・宗教のもつ危うさであって
この危うさはキリスト教やマルクス主義に限ったことじゃないよ
歴史的にこのふたつの影響力が突出して大きかっただけで >>816
ユダヤ教が国家と軍事力を持った後にも、ユダヤ教による殺戮は、
自衛のための必要最小限の殺戮という印象がある。これに対し、
キリスト教は、必要最大限に殺す。イラク戦争を見よ。ブッシュは
自国で3000人が殺されたことの報復として、聖書の言葉を唱えて
14万人の人間を殺した。
ユダヤ教には、「殺すな勿れ」の絶対的掟がある。イエスは、この
絶対的掟を否定して、相対的掟にしてしまった。このことが、無関係
とは言えないだろう。
ユダヤ教は、宣教はやらないが、キリスト教は、狂気のように宣教する。
キリスト教ほど宣教に熱心な宗教は、他にはない。世界を己の「神の国」
にすること、即ち、異教国の侵略が、イエスの中心思想であることを
忘れてはならない。キリスト教による侵略の歴史という「事実」から、目を
逸らすべきではなかろう。 >>818
>歴史的にこのふたつの影響力が突出して大きかっただけで
そこが「問題の核心」なのですよw。「突出して大きい」ためには、そこに「何か」が
なければならない。
例えば、島原の乱の「老若男女皆殺し」という惨状は、「イエスの教え」さえ
無ければ、絶対に生じ得なかった。一揆勢も、「領主が憎いのではない。
宗門のためだ」と言って、幕府側からの一切の有利な和解の申し出を「受け入れる」
ことができなかった。 リチャード ドーキンス
「神は妄想です」
わーーん😢
オカマって言われた❗ >>820の続き
その「何か」は、「弱者のため」という「強者に対する」イエスの人間差別で
しょうね。
人間差別が根底にあるから、「弱者のため」は、「強者のため」という人間差別に
容易に変わり得る。フランス革命において、聖職者は、強者である第一身分として、
批判の対象でした。共産革命も、「弱者のため」から、徹底的に「強者のため」に
変容した。
イエスもパリサイ派神学であり、パリサイ派は弱者の集まりだったようです。
弱者を救えるのは、強者のみ。弱者だけだと、必ず内部紛争が生じ、組織の自滅に
至る。イエスもマルクスも、その社会的真理が理解できなかった。 まあ・・・旧約聖書は、旧約の神を信じる人たちの「独善的で一方的な価値観の視点」で描かれてる。
いわゆる偶像崇拝側の価値観・長所なんてもんは全く考慮されないし、
無知で野蛮で劣った悪い存在として描かれてる。
新約聖書は、イエスをキリストだと信じる人たちの「独善的で一方的な価値観の視点」で描かれてる。
富裕層サドカイ派や、多くは貧乏な大衆層パリサイ派の価値観・長所なんてもんは全く考慮されないし、
ローマやギリシャ文化の価値観・長所なんてもんは全く考慮されないし、
無知で野蛮で劣った悪い存在として描かれてる。
劣等感を選別意識で、優越意識に転換したのが特徴。
優越感が満たされない状況下では一方的な被害者意識に陥り、想定加害者への行為が正当化されてしまうケースも。
「迫害する敵に良くしてやって、恥をかかせてやれ!恥をかかせて悔い改めさせろ」とかいう一方的な優越発想も。
特にキリスト教には「殉教すれば、神にも等しいほどの徳が得られる・完徳・天国行き間違いなし」という思想があって、
自殺が罪化されるまでは、殉教という名目の自殺が横行したそうだ。
「友のために死ぬ」てのも、殉教的な完徳かな? 従軍に躊躇する信者を説得する材料にもなった。
キリスト教での偽善者は、仲間を共食いする裏切り者で、敵よりも嫌悪の対象。
仲間意識が強い分、仲間内への攻撃、排斥や粛清が起こりやすい。
いろいろと問題が多いのは事実だよね。 >>821
最近情緒不安だけど
ホルモンポンプしてんの? >>823
ヘブライ語聖書は古代の書物なので、われわれ現代人が
自分たちの感覚と感性を絶対化すれば、確かに
「独善的で一方的な価値観の視点」だと上から目線で断罪できるのだが、
その種の非知性的な野蛮からは得るものはないのではないか。
もっとフラットにヘブライ語聖書に何が書かれているかを読み解くと
そこに書かれている精神は一貫して「となりびととうまくやっていく術」が
説かれていることに気づく。
「隣人とうまくやっていく為に」、隣人ものを盗まない、殺さない、偽証しなさい。
ということだ。
さて新約も古代人の書物だ。これを忘れて現代人視点を絶対化してよいのであろうか。
新約を「独善的で一方的な価値観の視点」などと断罪するのは知性の放棄にすぎない。
新約をフラットにみると、そこに説かれているのは「愛」だ。
「人様を蔑ろにしない」というラインが引かれる なのでこのラインを踏み外している
者たち、政治権力者や宗教権威者らはイエスから徹底的に叩かれ、
この時代に疎外されて、いじめられていた、蔑ろにされていた売春婦らや取税人ら
おおよそ時代・地域社会から「罪人」と蔑まれていた者ら側にイエスは立っているのだ >>799
>最大のおもちゃが「神」だね
神がおもちゃだとは流石に聖書に書いてありませんね笑 >>825
暇人の「他人様を蔑ろにしない愛」というのは・・・
転校生(よそ者)が、暇人のクラス(あらかじめ暇人の頭の中に存在するフルオープン・ユートピア)に馴染むことだもんなー
「転校生ブロガーゴンガラwith独裁ハゲ&世界の何処でも大阪弁で通じるおっぱいマンバンド」のスレを作ればそこが社会だろうと思うけど。
しかし・・・ゴンガラwithハゲ&おっぱいバンドスレは盛り上がらないというか、ファンがつかないもんな。
異端とカルト、天然の明るさとボケ、キチガイも山の賑わい的な許容力が魅力のまちこは超S級のスレ主だった。
シャロンさんも頑張ってほしい。 >>827
肉だけでも黒胡椒だけでもダメだという事です。
真っ白も真っ黒もまたカルト。
闇が広がれば光(ゴンガラwithハゲおっぱい)が勢いを増すものです。 >>828
ビフテキ(死語)は、塩だけでも黒胡椒だけでもダメだという事です。
真っ白も真っ黒もまたカルト。
闇が広がれば光(ゴンガラwithハゲおっぱい)が勢いを増すものです。
の、ほうがいいような・・・ >>826
「神」「神」「神」と、あなたが、神をおもちゃにして楽しんでいるということですよ。よーく反省して
みてください。神は、人間には計り知れない存在ということに気付かないのですか。
大人になったら、「神様ゴッコ」は止めましょう。 >>825
イエスは、愛とは「行為」であることに思い至らなかっただけ。十戒は、みな「行為」ですね。
新約とは違って、甘ったれた精神論など皆無。
それに、イエスは、「わたしが」「わたしが」が多過ぎ。一読しただけで、イエスの極限までの
自己肥大が分かる。自己肥大は、愛の対極であることに気付きましょう。 >>831
あなたは人間なのに、神が分かると思い込んでいるのですね。それがまさに原罪なのですよ。 聖書の宗教の神って、オールマイティ・ゴッドだね。
軍神であり、立法神・行政神・司法神であり、医療神・福祉神であり、芸術神であり・・・
つまり、ありとあらゆる分野を司る独裁者。
独裁者、且つ、絶対的な善の存在だとされている。
暇人によれば、それが「他人様を蔑ろにしない愛」だという。
結果・・・「ゴンガラを苛める輩は、俺が追放する!」となり、
嫌がるゴンガラに戦いを強要し、恋愛妄想を助長させるリスクを冒してまで戦いを要求する。
成田闘争では、戦いに疲れた農民のことなんか考えなかった。 今も沖縄闘争では、地元民のことなんか考えてはいない。
暇人も、ゴンガラのことなんか本当には考えていない。
「他人様を蔑ろにしない愛」を説く俺の弟子になれ!
俺に従って死ね!(疲労または症状悪化)
あるいは殺せ!(戦って敵を追放しろ!)
従わないヤツは死ね!(俺が追放してやる!)
結局暇人は、ご隠居説を証明してるだけじゃんw アホかと思う。 >>834
三里塚では集会とデモは祭りと言うか、非『日本』地帯で、
文字通り戦争地帯であった。実際に死人も出た。
だが、それはごく一部で夏休みの長く暑い期間のほとんどは
【援農】という農作業だったのだ。 >>834
>結局暇人は、ご隠居説を証明してるだけじゃんw アホかと思う。
暇人さんは、それを、イエスという赤の他人に従っている。私はそれを、己の生命という聖霊の
指示に従っている、そこが違いますよ。 聖書の規定で驚くのは「利子を取るな」だ。
出エジプト22:25あなたが、共におるわたしの民の貧しい者に金を貸す時は、
これに対して金貸しのようになってはならない。これから利子を取ってはならない。
聖書の精神は、このうようなものだ。
しかし現実社会は貧しい者から利子を取り立てる社会だ。
こういう社会は神から裁かれるし、革命も起こるのは当然なのだ >>833
ローマ 1:20
神の見えない性質、
すなわち、神の永遠の力と神性とは、
天地創造このかた、被造物において知られていて、
明らかに認められるからである。
したがって、彼らには弁解の余地がない。
. >>837
>こういう社会は神から裁かれるし、革命も起こるのは当然なのだ
歴史上、革命によって社会が良い方向に変わった国はありません
皆無と言っても過言ではない。革命後もっと悪くなるのは歴史が証明済み。
したがって決して革命は起こすべきではありません。 シャロンは明治維新もダメと思っているわけ?
フランス革命も? >>839
イエスは、己の一方的な信念で、平和なユダヤ教社会に革命を起こしましたw。
共産主義革命は、このイエスの思想から生じました。 >>840
最悪なものでしょ
フリーメイソンですからね >>841
ロマと、宗教権威に二重支配されていたユダヤは平和ではないでしょう。
イエスがしたのは、癒しなどの奇跡とチンピラ的な神殿批判だけで
おおよそ非革命的だ。
マルクスの共産主義は、100%、聖書の影響だね
しかも共産党も収入の1/10を党費として献上する什一なので福音派と同じ インターナショナルもコミンテルンも中共も日本共産党も
トイチの会費なんか無いですよ >>840
とに角、力と暴力による既存の政府転覆&奪取はいけない。
革命では社会は何も変わりません。 日本共産党は什一だと思っていたがネットで規約を確認すると
実収入の1%となっていた。信じられん。変更されたのだろうか >とに角、力と暴力による既存の政府転覆&奪取はいけない。
同意
いかなる場合においても軍事攻撃は悪である
ゆえにアメリカによる北朝鮮に対する軍事攻撃は正当性がない
朝鮮半島の非核化が目的だとほざいているアメリカだが
であるならばまずアメリカが率先して核放棄しなければならない --
† 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこから入って行く者が多いのです。
(新約聖書 マタイによる福音書7章13節)
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