プロテスタントの分際でエホバの証人批判するとか馬鹿なの?その10
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>>490
調べてみたよ。「主の使い」「エホバの使い」「ヤハウェの使い」
と呼ばれているユニークな方が 旧約に度々登場しているね。
アブラハムの妻サラに仕えていたエジプト女ハガルに最初に現れている。ハガルが女主人に虐められ 逃げ出した時 ハガルを慰めた「主の使い」を 彼女自身は「エルロイ」と呼んでいる。伝承では「拝んだ」とされている。 父イサクを騙した罪で家出して叔父のいるハランへの道中
青年ヤコブに現れた「主の使い」は 天からの梯子の上に座しておられ ヤコブは「ベテルの神」と呼び 石を積んで拝んでいる。
数十年後、ヤコブが妻や子ども、家畜等を連れて凱旋帰国の際に 再び現れたベテルの神 主の使い 真夜中から明け方まで格闘しヤコブを祝福 「イスラエル」と命名したのも 「彼」でした。 モーセにシナイ山の燃える柴から現れたの 「主の使い」
自ら 「我は有りて在る者」と呼んでいる。
また 昼は雲の柱 夜は火の柱からヤコブの子孫たちイスラエルを導いたのは他でもない「彼」でした。 約束の地カナンのエリコ攻略の前にヨシュアに現れた「主の使い」自らを 「萬軍のヤハウェの軍の将」と名乗っている。
また、マノアには「不思議」と名乗り、アッシリア軍を一夜で全滅させたのも「主の使い」である「彼」だ。他にも度々登場 旧約に於いて大活躍している。まるで 正義の味方ヒーローだ。 >>492-495
エホバの証人は この「エホバの使い」を=イエスとは認めているが、肝心要なポイントがズレている。すなわち、=御子なる神イエス を否定。代わりに=ミカエル、箴言の知恵 最初にエホバに直接創造された被造物の長 イエス
と 非聖書的発想で妄想垂れ流している。 >>490
この「主の使い」たる存在者が 天使長ミカエルでない理由を見出だすのは簡単だ。
ハガルに拝まれても拒否していない、ヤコブにはベテルの神として登場 また、ヤコブの証言「わたしは神と直に見て触れても生きている」
モーセにエホバだと証した み使いがいるだろうか。マノアと妻の前に現れた「不思議」なる主の使いは 燃え盛る犠牲の炎と共に昇天している。神以外このような事が許され得るだろうか。しかも 不思議とは後にイザヤに示された 9・6「霊妙なる議士」霊妙 不思議と同じ原語 >>490
そもそも 目に見えない神は 人の前に現れ得るのか?実はあるのだ、出エジプト24・9-11に モーセはじめ74人が イスラエルの神を見 共に会食している驚くべき出来事が書いてある。神の幻とJWははぐらかしているが 現実の神(主の使い)であることは 考察すると明らかになる ◆問題 出エジプトの神を見た者が中途半端な74人である意味を説明しなさい。
ヒント
77−74=3
会食した総数は神を入れて77と考える根拠も示せ。 >>486
本当だ
こりゃ失敬
>>491
>されど、本当に最初の「わたし」が「太郎」でない可能性も否定出来ないのもアリじゃない。
この場合それはない
なぜなら創世記2章4節でYHWYが天地を創造されたことが明記されているのだから サブちゃんが一日も早く三位一体の嘘に気づきますように。アーメン(笑) 洗脳はなかなか解けないよ。
三位一体なんて信じてても特に害はないし、いいんじゃない?(笑) >>503
信じてるだけなら害はないけど
他宗教批判するプロテスタントは害があるからな 三位一体が本当かどうかってのは、もういくら議論しても平行線のような気がするな
どっちにしても信じてるんだから、その人の信仰を覆そうとするのはナンセンスのような気がする
でも、プロテスタントが数々の宗教戦争を起こし、カトリックと殺し合っていたことや、世界大戦で自国の兵士を神の名のもとに祝福して敵のプロテスタント信者をさえ殺すことを黙認していた事は紛れもない事実
なおかつ異教由来の祭りを容認していることも…
だから、三位一体の神だろうが唯一の神だろうが、プロテスタント信者が人殺しをしていたってことだけで、プロテスタントが糞だと思う
そんなプロテスタントが、他の宗教を批判できる立場にはないよ >>483
はじめに神は天と地を創造された。
神は時間(はじめに)と空間(天)と物質(地)を創造された。
創造と訳されたヘブル語 bara は無から有を生じることを意味する。物理的時空間と物質(エネルギー)は無から存在するに至る。 >>483
はじめに神は天と地を創造された。
神は時間(はじめに)と空間(天)と物質(地)を創造された。
創造と訳されたヘブル語 bara は無から有を生じることを意味する。物理的時空間と物質(エネルギー)は無から存在するに至る。 >>483
はじめに神は天と地を創造された。
神は時間(はじめに)と空間(天)と物質(地)を創造された。
創造と訳されたヘブル語 bara は無から有を生じることを意味する。物理的時空間と物質(エネルギー)は無から存在するに至る。 集団そのものを批判するときに、その中の一部をあげて、その集団の一部を集団そのもののように扱うのはやめた方がいいんじゃないかな
末端の信者には関係ない
過去の戦争、しかも中世や古代の戦争なんて本当の特権者のような一部の上層部が起こしただけで、その集団に属しているすべての人には当てはまらないし、総意だったとも思えない
それに人殺しを持たない集団(宗派)なんて存在しない
カトリックはダメでプロテスタントはいいとかじゃなくて、カトリックでもプロテスタントでもいい個人がいて悪い個人がいるに過ぎないと思うけど
言い争いをするなら教えの不一致についてのみがいいと思う ウワア三回強調してしまっ た
創世記1の1 はじめに神は の「はじめに」は正確にはヘブル語で BaRaSheet
スペルは BRAShYT(ヘブル語は母音を略し Aは発音しない)
ゲマトリアによると 次のような意味になる
B:家あるいは幕屋
R:最初 A:雄牛 第一の Sh:歯 破壊 殺すこと Y:腕 わざ T:十字 完成 しるしと契約 >>510
同じ事三回も言われなくてもわかってるよ
で、その神(エロヒム)はYHWHを指してるかどうかってのが論点な訳だ
創世記2章4節を読めばYHWHが天地創造をしている事が書かれているので
創世記1章1節の神はYHWHを指している事になる >>512
文字ごとに意味があるわけないだろ
ベレシートは
ベは前置詞で「(場所又は時間)〜に」「(場所又は時間)〜で」
といった意味
レシートは最初、初めという意味
よってベレシートでまず初めにといういみになる
日本語の「まずはじめに」は
ま:間 あいだ、ず:図 画像、は:歯 葉、じ:字 文字、め:目 眼、に:二 ふたつ
という分析するのか?
文字ごとに分析するとかネタとしか思えない 創世記1の1の 「はじめに」
BRAShYT だけをジェネシスコードでゲマトリア解読しています。
BとRで BARと読め これは「誰々の息子」の意味です そこで以上の意味を解読すると次のような言葉が埋め込まれていた、
「神の最初の息子が十字架で自らの手によって殺され契約となる」
これは誰を指すのか ルカ24:44 イエス自身 聖書はすべて自分について語るとある。まさか 最初の最初の僅かなWordに聖書のダイジェストが語られていただなんて
だったら最後 黙示録にも何か書いてあるのか 書いてあるのだ なお この「神」はElohimで複数形 ところが単数形の動詞で受けています この事実は後に考察する「我々」と同じ意義を有します >>515
だからその解釈がネタだって言ってるの
日本語の「まずはじめに」という言葉は
「画像の間の葉に文字が書かれており、全ての生き物の目は二つある事が記されている」
という事を暗示しているのか?
どう考えてもネタだろ >>516
聖書のはじめ 創世記のはじめ 何か暗号コードが隠されていないほうがおかしいんだよ、ゲマトリア解読 ジェネシスコードで検索してご覧 出てくる 神の言葉ってのは人間の常識さえぶっ飛ばすんだ ましてやヘブル語で B R A Sh Y T
以上のように解読できるのさ 否定したいだろうがね 創世記2:7 新共同訳
主なる神は 土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる魂となった。
2:4から YHWHテトラグラマトン神聖四文字登場 = ヤハウェ(エホバ)だ
1:1 のエロヒム(神の複数形)ともちろん 同一だろうが微妙に意味が異なることを説明します。 創世記1の1 神の複数形 エロヒム
創世記2の4 .または7
YHWH ヤハウェ(エホバ)主なる神
1:26 そして神(エロヒム)は、「われわれに似るように われわれの形に 人を造ろう 」
ここで神がご自身を指して「われわれ」との呼称を用いている ヘブル語における 権威強調表現とする説も否定できないが 父 子 聖霊なる三つの人格を持つ本質において一つである いわゆる三位一体の啓示と説くか わたしは後者を取ります。
エロヒム(複数形)そして 「われわれ」(複数形)
この神が 2:4から YHWH と取るならば、 また 飛んだか?
仕方ない コロサイ1章から
御子は 見えない神の形であり…万物は御子にあって造られ …万物は御子により造られ、御子のために造られたのです。
YHWHヤハウェの中に 父 子 霊 が存在していること そして天地創造は御子が携わったとある。 だから 結論 創世記1の1のはじめに神は… のエロヒムは YHWHなるヤハウェ を形成する父 子 聖霊 の内の 特に御子なる神 言 ロゴスが責任を担って実行したことがわかる。勿論 父と聖霊もエロヒムなのですが 働いておられましたが
ヘブル1:3 御子は神の栄光の輝き 神の本質の真の姿 第一ヨハネ1:1 参照
なかなか難解ですが 天地創造は特に御子なるロゴスが率先して働かれたと結論になります。
ヘブル11:3 …この世界が神の言レーマで造られたのであり 創世記で神エロヒムは「光よ、あれ」と語り この言葉をレーマと言います。対して客観的に説明する言をロゴスと言い 共にイエスのサブスタンスを現れです
ヘブル11:3 この世界は神の言葉で造られた…
第一ヨハネ1:1 いのちゾーエの言について
詩編19:4 その言葉は世界の果てにまで及ぶ
ルカ1:37 語り出された神の言葉レーマ
ヨハネ14:10 24 イエスは父の言葉の実体化だと ヨハネ1:1-
はじめに ことばロゴスがいた ことばは神のもとにいた ことばは神であった … ことばは肉なる人となって 私たちの間に幕屋を張った…
イザヤ43:7 参照
素粒子が場の波動であるように 神のことばレーマが この世界を生み出し 御子は言葉によって今も世界を支えている ヘブル1:3 7 以上 もう少し噛み砕いて説明したかったのだが所詮は 人間のWordでは不可能だと痛感した
結局 何をか言わん。
創世記1の1 はじめに天地創造した神 は YHWHなるエロヒムなんだが、父なる神 聖霊なる神 そして特に御子なるロゴスである神が レーマを用いて創造したことを聖句から 説明した次第
最後にイザヤ書から引用しよう 旧約 イザヤ45:5 われはヤハウェなり 我のほかに神なし 一人もなし…
人々我のほかに神なしと知るべし 我はヤハウェなり 他にひとりもなし われは光をつくり また 暗きを創造す われは平和をつくり また災いを創造す 我はヤハウェなり我すべてこれらの事をなすなり
イザヤ45:12では神エロヒムは ミカエルや知恵なる存在を通じて創造活動したのでなく 神が直接自らの手をもて万物を造られたとあります。 >>471
あ 忘れた!われわれの表現に天使を含めない理由
これは 結局 エロヒム(神の複数形)だから ってこと
唯一のエホバ神がみ使いたちに語られているのではないって意味だ。よし、此れで一応スッキリ約束通り説明した 以上の説を受け入れるか拒否するかは 自己責任で よろしく。少し ハードワークだったので 此れでフィニッシュ終わりとする。 ●イエスの言葉
イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」
●拝まれるイエス
ルカ24章 52節
彼らは【イエスを伏し拝んだ後、】大喜びでエルサレムに帰り、
マタイ14章 33節
舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言って【イエスを拝んだ。 】
●仕えるのは主のみ
●仕えられているイエス
マタイ4章 11節
そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来て【イエスに仕えた。 】
イエスは主、独り子の神、力ある神、とこしえの父、言葉は神、永遠の王、王の王、主の主、主イエス
聖霊は神、御霊なる主 なるほど三位一体は素晴らしくクソみたいな教理ですね!よく分かりました! 久しぶりにものみの塔を受け取って読んでみたら(去年のことですが)、
「イエスとミカエルが同一」と解釈できる旨が書いてありました。
20年ほど前、自分がエホバの証人から教えを受けていた時には、「天使」とか「ミカエル」という言葉なんて一度も目にしたことがなかった気がします。
ここ10数年でなにか解釈が深化したのでしょうか? ここに現役来ないから直接エホ証に聞けよ、わざとらしい。本当、小細工が下手だなお前 >>533〜536
自演失敗を必死でごまかすプロテスタント信者の哀れな姿をどうぞごゆっくりご覧ください(爆笑)
ホントクソだなぁ(笑) >>520
「われわれ」については前にも言ったように
例えるなら、安部総理が「我々が野党の時代は〜」という発言をしても、
安倍総理が複数いる事にはならないよね?
それとエロヒム(複数形)についてだが、偉大なものを表現する時、ヘブライ語では単数でも複数形になる事がある
現にエロヒムが主語となっている文の動詞は単数形だし、
ヤハウェエルではなく、ヤハウェエロヒム(主なる神)と言っていることからも
この場合のエロヒムは複数ではない これが〜!プロテスタントのぉ〜!やり方かあああああぁぁぁぁっっっっ!!!!! 神が人間を創ったのなら、すべての人間が「神の子」であるはず。
よって、「神の独り子」の命題は成立し得ない。 「イエス・キリスト=唯一の主」という信仰告白と対照的に、「父=唯一の神」と告白されているのが、第一コリント8:6です。
原文は「ヘミーン(私たちには)/エイス(一)/セオス(神)/ホ パテール(父)」という語順であり、
青野太潮訳では、「われらには唯一の父なる神〔がいるのみ〕」となっていますが、
新共同訳では「わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ」、
口語訳では「わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである」、
新改訳では「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで」となっています。
私訳は「私たちには、唯一の神である父〔がおられる〕」です。 自信あるなら臭い自演やめりゃいいのに。
三位一体の矛盾指摘されるとミカエル説にシフトしようとする。
それじゃ誰も納得せんよ。イエスがミカエルじゃなかったら三位一体になるわけじゃあるまいしw
本当こいつらアホだわ。 ワールドメイトの会員サイトを検索して片っ端から見てみたが、かなり前に更新が止まったサイトばかりでつまらんのばかりだった。
【会員】「ワールドメイト住吉熊野道」【2017/01/29で更新が止まっている】
『ワールドメイトのアンチは精神が不安定な人』という記事も書いていて、『サルでもわかる「世界中に愛をワールドメイト」入門』の管理人であるサルのことを嫌っている。
〜絶対的なシンパでマトモな記事を挙げているのはWINとこと備忘録とわが青春の〜の三つか。
支部で書いているようなブログは多いが更新もまともにされていないということは、ワールドメイト内部ではネットを使った情報伝達がかなり抑えられている〜またはかなり弱いと見れる。
教祖のメルマガや会員の体験談を発行するメルマガだけで会員が増えるわけもないだろうに。
これだけSNSやネットが普及しているのに、昔の西谷氏の書籍時代が一番最盛期だったのはなんという皮肉だろう。
教祖のネットに対するマイナスの部分が大きすぎる。
たぶん、推測では現正会員は23000人くらいではなかろうか。これに家族会員を足して25000〜27000人弱だろう。
【会員】「わが青春のワールドメイト」【更新中】
教祖である深見氏の活動や世界情勢の話が多く、内容からはけっこう年輩ぽい印象を受ける。WINのようにおちゃらけた記事はないので、ある意味、WINよりスタッフっぽい内容に感じる。
【会員】「ワールドメイトの備忘録」【2016/12で更新が止まっている】
こちらも教祖である深見氏の活動や世界情勢の話が多く、内容からはけっこう年輩ぽい印象を受ける。
【会員】「ワールドメイト 和魂」【更新中】
ご存知、現関西エリアスタッフWINのブログ。開設10年以上。
ワールドメイトの神事の話は過去のことを少々。教祖のコンサート活動やゴルフ活動など社会活動の話は無い。個人での神社参拝やオカルト体験、PC自作やゲームや怪我の記事のほうが多く、一見しただけではワールドメイトと関係ないようにも見える。
ただし、『世界中に愛をワールドメイト会員としての20年(2015年8月25)】という記事をはじめ、救霊体験や2007年箱根神業の現地突撃記事やエンゼル会員として支部にいた頃の話、証や奇跡の体験談など、とても興味深い内容は他の会員サイトでは読めない。記事が多いので読みごたえがあって会員サイトではやはりトップの情報量だ。
〜他の会員サイトで有名なのは以下くらいだが更新が滞っている。
【会員】「ワールドメイトの感動を伝える ブログ アンタレスの愛」【2013/11で更新が止まっている】
【会員】「ワールドメイト会員が思ったことを書くブログ」【2009/09で更新が止まっている】
思ったとこでは、教祖の深見氏が行う神事の話や体験談が圧倒的に少ない。
これだけネットが普及しても更新中のサイトが数えるほどしかないのだから、ワールドメイトも風前の灯といったところか。 こWWれWWはWWひWWどWWいWWWWWWW
>>533
>>534
>>535
>>536 本気で聖書を理解しようと言う思いで読んでいないからこうなる。
人間が会議で決めたことなんて頭から切り離せ http://www.nestle-aland.com/en/read-na28-online/text/bibeltext/lesen/stelle/56/80001/89999/
NA28 一コリ8:6
ἀλλ’ ἡμῖν εἷς θεὸς ὁ πατὴρ
ἀλλ’ 反意接続詞 しかし けれども
ἡμῖν 一人称複数与格 我々に
εἷς θεὸς 数詞+男単主格 一つの神
ὁ πατὴρ 冠詞+男単主格 父は
ειμι動詞(それは〜である)を省略した文章。
動詞がειμι動詞で名詞が二つ併記されている場合、冠詞のある方が主語だ。
なので直訳は
「けれども私たちに、父が一つの神である」
しかも
καὶ εἷς κύριος Ἰησοῦς Χριστὸς
「また、イエス・キリストが一つの主である」 ま、普通に考えて三位一体なんて政治絡みで決められたことに他ならないんだけど、論点はそんなとこじゃないんだよね。
三位一体だろうが、そうじゃなかろうが聖書が伝えたいことは愛だろ。
そこを有耶無耶にする為にあえてどうでもいいことで揉めてんだろうね。 >>533〜>>536さすがは三位一体を信じるプロテスタント!
一人二役もお手の物!
クソみたいな自演する奴が信じてる神ならクソみたいな自演する神でも納得だわwww >>556
まさに君の言う通りだ
聖書が伝えたい事は愛であり、プロテスタントの中にも愛を実践している人はいるだろう
私たちはそういう人達に対しては何も言わない
ただエホバの証人のような他宗教を批判するプロテスタントには愛があるとは思えない
だからこのスレのタイトルは「プロテスタントは馬鹿なの?」ではなく、「プロテスタントの分際でエホバの証人批判するとか馬鹿なの?」なんだよ 自演開始
↓↓↓↓↓↓
533 神も仏も名無しさん 2018/01/21(日) 21:57:06.65 ID:ySU90Cm2
三位一体なのです
自演失敗
↓↓↓↓↓↓
534 神も仏も名無しさん 2018/01/21(日) 22:01:16.29 ID:ySU90Cm2
>>533
確かに
慌ててごまかし(笑)
↓↓↓↓↓↓
535 神も仏も名無しさん 2018/01/21(日) 22:01:34.68 ID:ySU90Cm2
>>533
アーメン
ヤケクソモード突入(笑)
↓↓↓↓↓↓↓
536 神も仏も名無しさん 2018/01/21(日) 22:01:51.55 ID:ySU90Cm2
>>533
ハレルヤ 自作自演の神を信じると信者も自作自演するんですね(笑)
教理もクソならやる事もクソ(笑) ダッサwww
本当に三位一体が正しいんなら小細工やめろや、カス ↑こういうガキみたいな書き込みをジジイがやってるの想像すると寒気がするわ。 キリストの言動に関して、「人性においては・・・」「神性においては・・・」という二分法を用いて、自説に都合よく区別しているわけです。
しかし、そもそもカルケドン信条におけるキリストの神性と人性とは分離することはできないのであり、このように分けて考えることに妥当性はありません。
そして何より、福音書でイエス自身がこのような思弁を拒否なさる発言をしておられます。
マルコによる福音書で言えば12章35節以下の箇所で、律法学者たちの「ダビデの子キリスト論」に対するイエスの反論が対話として表わされている場面です。
37節に記されたイエスの発言は「ダビデ自身が彼を『主』と言っている。
それなら彼はどういうわけでダビデの子なのか。」というもので、
ここで言われている「彼」とは36節で引用されている詩編110:1の冒頭の言葉、「主はわが主に言われた」における「わが主」の「主」であり(主語の「主」は「ヤハウェ」を指す)、
これはメシア(=キリスト)を指しています。そしてイエスはこの「主=メシア」と自身を同定しているわけで、
イエスはその時現在、自分をただ、「まことに人」であるとか「まことに神」である、などとは思っておられなかったのです。
あくまでも「神」と「人」との仲介者としての「メシア」であると自認しておられたのです。
この点で私は、新約聖書の中でイエス・キリストの立場を最も明瞭に示しているのは第一テモテ2:5だと思います。
「神は唯(ただ)一人、神と人間との仲介者も人間キリスト・イエス唯(ただ)一人。」・・・キリスト・イエスは神性を有したわけではありません。
この点、私は小田切信男氏のキリスト論とも一線を画すところです。
つまり、同時に「神」であるような「人」とは違って、あくまでも「神と人間との仲介者」としての人間です。 創世記2章4節でYHWHが天地創造をした事が書かれているにも関わらず
イエスが天地創造したと勘違いしちゃうのが三位一体論者 >>578
創世記1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
とある。
この言われたロゴスが、イエスなのだ。
また三位一体が勝ってしまった。イスラエル君が無能すぎ 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。 そして雲行きが悪くなれば自演で擁護するんだろ(笑)
見てるこっちが恥ずかしいわ! あなたは三位一体厨が自演するのを知ってますか?
@知ってた。
A今知った。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています