>>615
あとプリティさんは基本イエスに倣う方だったと思うので助言致しますが

まず日頃からの粘着的なやり取りはすべて無知に基いています。
人は意見を述べるだけで、他者に(自分と同じ)理解をもたらすことはできません。
理解をもたらすのは、神、別次元の力に依るものです。
*この場合、プリティさんの主張が正しいかどうかは別で。

プリティさんがこれを理解されていたら
今のようにしつこく同意を求めることはしないはずです。

また>>444で自己が幼子の心を持つかのように主張されていますが
主イエスの言う幼子の心とは、正確には固定観念、先入観から自由な心のことです。

聖書には詳しい解説はなかったと思いますが
心の知性、純粋性が優勢になると、不幸をもたらす
想念や感情の根にある動機を探り、知ることが出来るようになります。

宗教が本当の意味で人を心理的な不幸から解放できるのは
真理の知でもって、無知や不幸を生じさせる根を破壊するからです。

失礼ですが他の一般の方を同じように、心の穢れは重い傾向にあると感じます。
ここから脱却するには、聖書に基づく聖なる生活が不可欠です。