聖書で最も人格高潔なのはユダ。最も人格下劣なのがイエス。
イエスがキリストになるために、娼婦からの高価な香油を使って、塗油の真似事を
したのに対し、ユダはそんなことをしないで、売って貧しい人を助けるべきだと堂々と
主張した。全くの正論ではないか。それに怒ったイエスは、「お前など生まれてこなけ
ればよかった」などと暴言。さらに、弟子たちの面前でユダを非難して、彼を悲惨な
自殺に追い込んだ。
ユダは、イエスの宮清めの暴力行為を批判して、イエスを逮捕させたのである。
キリスト教は、イエスのみを称賛し、ユダを徹底的に悪者にする。ここにも、キリスト教の
邪教性と人間に対する愛の欠如が表れているではないか。
イエスの隣人愛も、隣人とは己を信じてくれる者だけ。旧約が定めた「同胞」という不可欠な
枠を勝手に外してしまった。それは、愛ではなく、専ら己のエゴに過ぎない。
どこがイエスが人格者か。イエスの人格は、神どころか、人間としても最も下劣ではないか。
すべてのクリスチャンの具体的な釈明を聴きたい。しかし、イエスの精神病の感染により
狂わされた信者たちは、それは絶対にできない。初めか終わりまで狂気と人間憎悪と殺しの
宗教。こんな宗教が、他のどこにあるか。教会は、ユダとイエスについてどう教えて
いるのか。信者たちは、皆、知性(批判力)が皆無なのか。