先進国の都市部は、個人主義、個人の権利意識が強いから、「家族の宗教」という価値観が薄れる。
そうなるとキリスト教は、より良い生き方論か、メンヘラの精神安定剤か、教育度の低い底辺のルサンチマンになる。

インターネットの普及によって、様々な価値観を持つ人々がいることを知ることも大きい。
またインターネットで、キリスト教の教会や聖職者が抱える問題を知ることも大きな要因。特に教会の秘匿隠蔽性かな。

なんだかんだ言ってもアメリカでキリスト教が根強いのは、保険等を含む公的福祉が手薄く、
キリスト教系ボランティアの活動が、社会システムとして組み込まれているから。

日本では明治期や戦後に、新しい価値観としてのキリスト教が必要とされたが、家族の宗教にはなり得なかった。
現代日本ではキリスト教の広まる余地がない。
特に、新しい居場所を求める人には、キリスト教福音派の位置に、日蓮系新宗教が鉄板すぎて無理ってもん。