【大失恋から】ピッピの証し【の回復】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ヨハネによる福音書/ 03章 16節
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハネの手紙一/ 02章 15節
世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。 悪魔のもたらす悲しい世界をなくしてほしいです。
神様、早く偽りのない愛と喜びの世界にしてください。そこであなたの子供たちが安心して楽しみ暮らすことができますように。 >>6
ちなみに私の財布もネイビーです。
ネイビーにして良かったですね。 毎日死にたくてたまらないのに、ミサにあずかる決意をしたのは、私のイエズスと教会の皆さんが信じているイエズスとの一致を願うからです。
私には悪魔がついている。悪魔はイエズスのふりをして私を騙している。
でも私は悪魔ではなくイエズスキリストを主とあおぎ信じているのです。 今朝は雨が降りました。
白い雲が低い位置に降りていてまるで霧のかたまりのように浮いています。
雲は神の臨在を表すと言いますね。再臨のキリストは雲に乗って地に戻って来られます。
ああ早く雲のひとかたまりと共にキリストがみ使いと一緒に現れてくださったらいいのに!
空を見上げるといつもキリストの再臨を思います。
私は今、あなたを求めます。夕方や明日や来週ではなく、今、来てください。 生前整理がただの大掃除になってしまい、やる気をなくしました。
今日やれたことは保存瓶を二本整理したことだけです。
昼はおじやを食べました。 日課
□ ディボーションガイド manna
□ 箴言カレンダー
□ 感謝/悔い改め
□ 日ごとの福音 (ミサ朗読)
□ 教皇フランシスコ Twitter
□ 片付け
□ 猫の餌
□ ニュース
□ ネット巡回 ロザリオの祈りを追加したいのですよね。時間だけはたっぷりありますので。
ほーんとテレビ観なくなりました。世間話もつまらないです。
将来やりたいこともありません。
お迎えがいつ来るのかわからないのだから、寿命を生きることを前提に何かやっていたらいいのでしょうけれども。たとえば正式なカトリック信者になるためのお勉強を開始するとかです。
しかし暇があるとお迎えを願っていますから私は。
目標を持つと死ねない雰囲気ってあるじゃないですか。
いつも、片付けの途中ですがお迎えに来てください、と祈ります。 『教会の祈り』が提供する「読書」を連続読みしました。
イザヤと創世記。
紙の聖書はなかなか進まないけれど電子聖書はあっという間に前後まで読めます。ふと調べたくなったら検索して説教や研究結果を複数読みこんで考えにふけって、参考画像によって理解を深めています。
*仮庵の祭りにはベランダにテントを張るそうですね。
字の大きさも関係していると思います。 今までの人生でお正月にテレビ特番を観ていた理由は、お正月を迎えている私のお正月気分をさらに高め味わうためでした。
クリスマスの日もそうです。クリスマスケーキを食べてクリスマス特番を観て、クリスマス気分を高め味わうためだったのです。
でも前ほどは特番少なくなってないですか? ふさわしい人生を生きて来なかったことを神の御前に恥じます。
イスカリオテのユダが絶望して自殺するしか選択肢がないように感じた気持ちも理解できます。
ハガルのように女主人のサラの顔を避けて逃げ出した気持ちもわかります。
私は立ち上がれません。
悲しくて悲しくて逃げ場もわからない。つらいです。
神様、私にも「光あれ!」とおっしゃってください。あなたのみことばをください。
私の中のいらないものを処分してください。あなたは完璧な方ですからあなたに似たものを残して、他のいらないものを焼き尽くし、私を救ってください。思い出すこともないように希望で埋め尽くしてください。 ピッピはズラやみるなに吹き込まれてイエス様を疑いましたからね。
蒔いたものを存分に刈り取られると良いでしょう。 淫乱妄想を続けながらでは、何をやっても無駄だろうな ソロモンの博識ぶりを読もうとして列王上を読みながら、またふさぎこむ。男はどうして多くの(または複数の)女を愛するのか。
神の約束はいつも〈永遠〉を提示する。しかし条件は守られず、躓くと約束は反故にされ〈捨てられる〉のだ。
11章
3 彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。
4 ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。 どうしても男女の性愛に心が向いてしまうピッピであった 神話上の神々(多神)に従う→移り気の愛情(多妻)
主(一神)に従う→一途な愛情(一妻)
個人的な考え >>27
偽りの愛(移り気)と真実の愛(一途)についてである事と考えられます。 「蟻はありのままだった。」
これ うけたよね?<(`^´)> >>28
偽りの愛に依る「永遠」→「裏切り」
真実の愛に依る「永遠」→「真実」となる。
(「愛情」では無く、「愛」の方)
個人的な考え >>25
墜ちた時点で人間か、あるいは、それ以下の存在となるからですよ。
神は人間など相手にしなかった。
しかし、新約で最後の審判も始まるという今、神々は再度降臨しようとしている。 >>30
愛に偽りも真実もありません。
聖書的に言ってしまえば只の言葉に過ぎませんが、
実質的な話し、相手が男性か女性。それだけです。 みことばを軽んじる人は
みことばから軽んじられます。 >>28
あなたは相変わらずの男性主義者のようですね。
女など奴隷であれば、とも思っているのでしょう。 >>34
本文が「彼」目線に於いての男性視点で書かれておりますが? 天使か神か、それくらいの話でしょう。
しかしイエスは選ばない。人間としての人の子でいたかった。
例え、自身が真に神であっても。
自分が神であり、そのことについに気づいた私は、やはり、
人間と自分等が異質であり、決断を躊躇している。
というところだが・・・ >>35
つまり、あなたは、神というものの性格を男性一辺倒でしか考えていないのですよ。
人間、人の子等は神に優しさや母性。ひいては女神やイヴのような存在を
求める割りに、神をただの便利な男としての父であればいいと思っている。 「愛」→「主の右座(キリスト・イエス)」(赦しの愛(光)、「絶対善」) >>39
スレ主へ
少しスレッドが荒れてしまい、申し訳ありませんので少し書き込みを控えさせて頂きます。 >>39
確かに絶対善とは万民の理想ですが、宗教や民族の異なりにより、
闘争は興るでしょう。それを認識するかどうかは自由ですが、
是ならば対立や揉め事がおこり、非ならば、価値観を放棄した悪が生じます。 絶対善:
「世界は、在って正しいもの、事しか存在し得ない。」 聖書の人物や神を
異教の神話や周囲にいる人物と対応させて混ぜこぜにするのはやめなさい。 >>43
それは数多の犠牲の上に成り立つべきものですが、正当な合理化であり、
無視されてきた者たちには失礼です。 「全て」の「変化」は絶対善の元に行われているのであり、貴方が述べられている通りに犠牲の上でこれが後から成立すると「自己言及パラドクス(論理破綻)」となります。
(変化も在る為) >>49
破綻する論理はあんたのそれだけで、すべてが絶対善のわけねーだろ。
鉄の杖でも持って神のつもりか。
ヤハウェでも善の象徴に過ぎないというのに。
人間の観念論だな。 もう一度スレ主へ
何故だか知らないけど、変に絡んで来る方々がおります故、暫く書き込みを控えさせて頂きます。
私のせいでスレッドが少し荒れてしまい、誠に申し訳ありませんでした。 心配するな。
神は完全な愛と公正な方。
善と愛を愛する者は必ず大きく報われるし、
悪を行う者は、必ずその結果を受け取ることになるから。
せっかく教えてもらったのに「世界ふしぎ発見!」を観るの忘れてました。
まあどうせ娯楽になるような気がします。正月幕の内のファミリー番組ですから。
ミサにあずかるたびに何事か起きてましたが落ち着いてきました。
最初のミサの日は、夜、たちまち酷い湿疹ができました。首から始まり身体中にミミズ腫れがあらわれたのです。二週間続きました。
次のミサは湿疹が治まった頃行きましたが、ミサの後、夕方お風呂に浸かろうとしたその時来訪者がありました。
排水管が詰まっているのではないかという指摘でした。それで急遽専門家を呼び高圧洗浄してもらうことになりました。
悪いものが出ているのだと信じています。
三回目のミサの日は朝まで眠れませんでした。ようやく睡魔がきてカクンと落ちた直後、アラームが鳴り、迷いましたがミサを選び祝福をいただいて帰宅。 ーわっしょい!わっしょい!わっしょい!
やっほー! >>54
ピッピさん、よいお証しをありがとう。
あなたに神様のお働き掛けがあるのを目にする思いです。 日課を増やしました。
□ ディボーションガイド manna
■ 『こんにちは、マリアさま』
■ 『マリアと祈りながら イエスの徳に学ぶ』
■ 『キリストにならう』
□ 『箴言カレンダー』
■ ロザリオの祈り
□ 感謝/悔い改め
□ 日ごとの福音 (ミサ朗読)
□ 教皇フランシスコ Twitter
■ バチカン放送局 内容を読む
□ 片付け
□ 猫の餌
□ ニュース
□ ネット巡回 ピッピさん、
あの状態で
勇気を出して教会へ行ったんですね
偉い! と、聖餐式のある日しか教会に行かないシャロンが申しております ご聖体が安置されている聖櫃のそばに赤いランプがあります。これはキリストのご臨在をあらわすそうですが、私の夢の中でも見たことがあります。
例の「イエズス」が赤い豆ランプをご自身の頭を照らすようにカチッと点けたのですよ。
あれは何か意味があるのだろうかと不思議に思っていたのですが、そうなのかと。 だから何か?という話ですけど。
今はもうすべてが悪魔の仕業だと思えています。
私は霊の判別ができません。 私が夢やビジョンで見る「イエズス」は殆どいつも後ろ姿です。 聖ファウスティナが伝えてくれたイエズスの言葉。
「わたしの手は、正義の剣を取ることを好まない。正義の日の前に、わたしはいつくしみの日を送っている」 もう5ちゃんやめようかな。
ナルミさんもいないし。 あんな淫乱妄想書き込んだんだから、オレだったら恥ずかしくて戻って来れないわ 夜は骨付ラムをいただきました。
ちょっと考え事をしている間にスープが煮詰まり焦げてしまいましたが、肉はかろうじて無事だったので。
あの「イエズス」が偽物だったら本物はなかなか出ていらっしゃらないでしょうね。混乱するだけですから。
ですから聖母マリアにとりなしを祈ることにしました。私は弱く罪の深い者ですから、神様のお助け以外に悪魔を追い出す力はありません。 ハム♂が尻尾を怪我してる。
さっきの声か。
私が至らぬばかりにペットまで守っていただけず、すまぬ。 夜中3時頃、私の嫌いな霊的包みがありました。
思考できなくなり判断つきかねるので聖母にとりなしのお祈りをしました。
このような霊的包みに身を委ねるのは、睡魔に身を委ねる時のような心地よさがあります。「完徳」という言葉が湧いてきます。
しばらくお祈りで対応すると、奥心から傲慢の芽(悪魔のにやつき)が出てきました。
やはりこれは危ないやつなんだと確信し、眠らず起きてました。
電気をつけてハム♂の傷跡を消毒したり、餌を入れたり、今日やりたい片付けなどのリストを作るなどして霊に飲み込まれないよう努めました。
悪魔を追い出してくれるように絶えず祈ることが大事だと思います。 外は強い風が吹いています。
私の体はまだブルブル震えており、このまま召されて死ぬのならどんなにいいかと思えるほどです。
この仕業が神であったらどんなに喜ばしいか。
こういう霊的震えが地震の揺れと重なり過去何度も地の震えと一致してきました。
それで、あたかも私が地震を引き起こしているような錯覚に陥り、ごめんなさいと謝りながら肉体の器に自分の霊を収めなおす努力を強いたものです。
今そうした地震が体の揺れと関係してないようなのがホッとするところです。 この体がブルブル震えるのは、夜中にあった霊的包みとは別です。
霊的包みはゆらゆらするものに覆われるもので、夢や幻が視えてくる兆候とよく似ています。
地震と一致する時は霊的包みと体の震えが混在します。
今ある体の震えはもっと覚醒的です。寒さが引き起こす体の芯からの震えと似ています。 >>71
それでもピッピは神様の光の方を向いていますので
大丈夫なの。 ゆらゆらするのは夢や幻が視えてくる兆候とよく似ていると書きましたが、いつもそうなのではありません。
普通に考え事をしながら視ることも多いからです。
自分の内部から来ているのではなく、外からの働きかけが強く感じられるというのが霊的包みの特徴です。
この感覚を避けなければなりません。 旧約の他の預言者にもありますが、これも黙示録の主の日を描写していると言われています。
イザヤ24章
21 その日、主は天において、天の軍勢を罰し、地の上で、地のもろもろの王を罰せられる。
22 彼らは囚人が土ろうの中に/集められるように集められて、獄屋の中に閉ざされ、多くの日を経て後、罰せられる。
23 こうして万軍の主がシオンの山/およびエルサレムで統べ治め、かつその長老たちの前に/その栄光をあらわされるので、月はあわて、日は恥じる。 カトリックのミサで毎回歌われている歌詞。
信仰の神秘
主の死を思い、復活をたたえよう
主が来られるまで(再臨)
アーメン そういうの、心療内科の先生に話してアドバイスもらったほうが良いのでは? 再臨はないとか
終わりの日は来ないとか
裁きの日は来ないとか
自分勝手に決め込んでる愚か者にはならないようにしましょう。 >>82
それ、シャロンだろ。
はっきり終末はないと言い張ってるし。 私の嫌いなタイプ
・残酷な男(悪魔サタン)
・的外れな男(LAに住む男)
・気持ち悪い男(ストーカー)
・エラソーな男(ふ〜ん) イザヤ24章
月はあわて、日は恥じる。
の「日」は太陽のことです。
黙示録にも次のように書いてあります。
21章
23 都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。 神様に感謝します。
ハム♂は朝から元気そうに見えます。
怪我してる尻尾にホータイを巻こうとするもツルッとすべり落ちてしまうため、消毒だけですが。 地獄の刑罰を逃れられない人についてイエズスははっきり警告しておられます。
地獄はないとか、地獄行きを宣告なさっていないとか、自分勝手な希望的観測による偽りを信じてはいけません。
具体的な例をあげて、こういう人は終わりの日に永遠の罰を受けるとあらゆる箇所に書いてあるのです。
マタイ23章
29 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、
30 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。
31 このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。
32 あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。
33 へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。 偽善より、喧嘩して後仲直りすることの大切さをたとえ話の中で学びましょう。
リンゴさんのスレによく貼ってあります。
あとから考え直して父の言いつけを守る弟の話です。
また放蕩息子の悔い改めです。
私たちには希望があります。
信じるからこそ神は回復させてくださるのです。その無限の泉を飲ませてくださるからです。
私たちが主のゆえに生きる者となるのは神が永遠だからです。 確かに黙示録を見る限りにおいて、
終末、再臨は聖書的でしょう。
しかしその時期は誰にもわからない、主でさえも。
大切な事は、気候変動や世界の動き、戦争等の噂を聞いて
再臨が近い、裁きが近いと勝手に推測し、怖れたり喜んだり
するのでなく「今」を感謝して生き切る、ではないでしょうか。 人を見るとつまずく、とよく言われたものです。私たちはよく罪を犯すからです。
ミサの中では毎回こう唱えられます。
わたしたちの罪ではなく教会の信仰を顧み、おことばの通り教会に平和と一致をお与えください
私たちは十字架の主を見上げて生きましょう。 また雪の予報です。明日と明後日。
今朝も我が家は積雪してました。
落雷も夜中から何回かあり、物凄い地響きがしました。
当然寒いです。
お風呂には一日に二度浸かりました。なんて恵まれた生活でしょう。
私は神の助けも得られないほど罪深いのだと考えて毎日苦悩していますが、神は善人にも悪人にも平等に愛を注ぐお方です。
信仰の薄いこんな私にも現代人が浴する贅沢をお許しになられます。
しかし私はこのことをなかなか気づけなかったのです。 広角泡吹かせている悪人のために
お祈りしている人は何人いますか? ヘブライ12章
26 あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
27 この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
28 このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。 悪人のために祈っている人はどれくらいいるのでしょう。
聖母は迫害者のサウロやヘロデ大王のために回心を祈りました。
サウロは回心しましたが、ヘロデは悪に凝り固まっていたので主に癒されることはありませんでした。 プロテスタント教会はその呼びかけ人である初めの改革者が聖母崇敬をしていたのに、いつのまにか侮りの道へと落ちていきました。
結果的には聖母の計らいに沿っています。聖母は謙遜な方で主をキリストであり神であられることをまず優先して、自らの役割を小さなものとされました。
伝承から遠くなり過ぎ、伝承から離れて聖母の役割を知ることも許されなくなった新しい教会はキリストを中心にした信仰を形成していきました。 軒下に氷柱(つらら)。
山茶花の花びらからも氷柱(つらら)。
水道は大丈夫でした。雪もありません。青空が見えるほどです。でも風が強いのがわかります。
私の心も寒いです。
何の悪いことも起きてないのに。 ホットワインを飲みました。
蜂蜜いれて。
匂いがくさい。鼻を閉じて飲みました。なんかレモン湯を飲んでるみたいだあと感じました。
その通りレモンのお酒でした。
カルディのレモンバッグに入ってたものだと思います。
体質的にアルコールは苦手ですが、ラベルとか見た目がオシャレだと誘惑されてしまうのですよ。
でも飲めない、というジレンマ。
体が暖まるのではないかと期待して飲みましたが、アルコール分はとんでいるため、その後ぶるぶるでした。 霊的包みあり。
天使の助けを制するキリストが見えた。
聖母にとりなしの祈りをする。
サディストが求めるものは涙。
私は泣いた。
私は餌。撒かれた餌。 これで助けの来ない理由がわかった。私は見捨てられ放置されている。
また霊的包みや熱が、神からのものではないことが判明した。
私は偽りの霊と闘うことを期待されている。
自信はない。いつも死にたいから。 私の心奥から聞こえる声も無視するべきでしょうか。
愛してるという言葉。
私は缶詰みたいに閉じこもる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています