「 写本といっても軽く見てはならない」
記紀でさえ原本は残っておらず、東京・永田町にある「国立国会図書館」に保管されている記紀も写本である。
印刷技術のなかった当時、湿度、虫食い、年月の経過等で傷んだ書は、写本するしか手段がなかった。

その古史古伝で代表的なものは、何と言っても武内宿彌の子孫が受け継いだとされる『竹内文書』であろう。
『古事記』には、宿禰は異様なほど長寿で、第12代・景行天皇に始まり、第13代.成務天皇、 第14代・
仲哀天皇、第15代・応神天皇、第16代・仁徳天皇までの5代の天皇に、244年間にわたって仕えたと記されて
いる。それ自体が常軌を逸しているだけに、宿禰の子孫が代々同じ名を継承したとする説が有力視されている。

他にも『竹内文書』と並ぶ古史古伝が全国に伝えられており、富土吉田市の「浅間神社」ら出てきた『宮下
文書』は、日本の神々の発祥をアジア大陸と記している。そして、聖徳太子が蘇我馬子に命じて撰述させた
『先代旧事本紀』は、第3の国史として、今では物部氏の歴史を知る上で欠かせない一書とされている。
『竹内文書』のすべてを偽書とするなら、デタラメな神話を載せ、相矛盾する記述が多々ある「記紀」も偽書
ということになる。となると、記紀が記す日本の起こりが、結果的に"偽り≠ニなるのである。

ところが、ここからが重要なのだが、もし仮に、記紀神話が事実を記していたとすれば、どういうことになる
のだろうか?

ある方法を使えば、記紀神話の記述が絵空事や空想ではなく、全て過去に起きた事実を象徴していたことが
証明できるのである。非常識の権化と揶揄されてきた『竹内文書』のほとんどの記述についても、しかりである。
これまで数多くの研究者が『竹内文書』に挑戦し、様々な角度からその謎を解こうと試みてきたが、残念ながら
これまでに公表された研究内容は、どれも不十分だった。なぜなら古史古伝の謎を紐解くには、ある特別な鍵が
必要であり、これまでの研究では気づかなかったからである。