玉城さんの正法眼蔵 十方解説文より ・・・最後の項目は光明である。十方全体は自己の光明
であると言う。その自己とは、父母未生以前の鼻の孔である。その本当の自己が実現すると、仏殿
が開いて仏にまみえる。しかしいつの間にか、別人のために別のものに取り替えられてしまう。
またそれを打破して相まみえる。私はこの繰り返しを、何と何十年もの間性懲りもなく繰り返し
続けてきた事であろうか。道元もまた同じ思いを経験していることに、格別の親しみを覚える。
道元はさらに、次のような一文を綴る「本来の面目を呼び出す事はやさしいが、忘れ去る事は
難しい。しかし呼び出されるならば、これまでの私はぐるりと回転する。回転すれば何の用も
なくなる。おやおや、まだわからぬか三十棒を恵んでやったではないか」???さあとりあえず
の私には???でも何で書いているのか昨日の蒼い風の 私一人を残してを孝子さんがしっこく
繰り返しているのを考えたとき、玉城さんの解説が出てきた。それにしても蒼い風とは?
ルールにこだわつたとは?さあ蒼い風青いさあ鳥は自分のルールではなく青い鳥の勝手なルール
の風を受けて飛ばなきゃ墜落するのか?当たり前の鴨?今の私は今のまあ良いのありのままを
相手にしてあるかなきゃ鬼さんの実践じゃの鴨 
青い風 https://www.youtube.com/watch?v=hi4VibDAPqs