>>614 如雲斎基地蔵 さん
> >>611
> 重ねて言うが他人にも分かる様に噛み砕いた言葉で語ればウザいから尊敬にも変わるかもよ?

うんちをするとき、抱えてしてくれたのは父か、母か、祖父母か。
わからない、と、ただそういえばよいものなのに、
分からないのはお前が悪いと言い出す。

手を取り、足を取り、教えたくても 真理(さとり)は、そこでしにたえる。

自求不了

 「問う、如何なるか是れ西来意(せいらいい。禅の初祖ダルマ大師が西の国インドから中国にやって来た真意)。
師いわく、もし意あらば自救不了(じぐふりょう。自分を救うこともできない)。

いわく、すでに意無くんば、いかんが二祖、法を得たる。
師いわく、得というは是れ不得なり。

いわく、もし不得ならば、いかんが是れ不得底の意。
師いわく、汝が一切処に向かって馳求の心やむこと能わざるが為なり。ゆえに祖師言う、咄哉(とつさい。コラッ)丈夫、頭をもって頭をもとむと。

汝、言下にすなわち自ら回光返照(えこうへんしょう。自心を照らし自心に目ざめる)して、さらに別に求めず、身心の祖仏と別ならざるを知って、当下に無事なるを、まさに得法と名づく」。