> あなたは、どのように悟りの道を歩まれておられますでしょうか? 差し支えなければ、お教え願いますでしょうか? 』

目覚めた人Buddha、ガウタマ・シッダールタと言う人格的な人物がいらっしゃるわけであります。
Budha 目覚めた者、仏陀、とは聖者に対する尊称 です。
ほとけは、仰ぎ見るものではありません。ことさらにさげすむものでもありません。
自他一如ですから、ほとけとも、地獄の鬼とも、二ではない、一の如し、です。どちらも、わたしです。
ほとけとは、真理さとり の事です。

わたしは 30歳を過ぎて公案に取り組みました。
隻手の音声(せきしゅのおんじょう)、と言うものです。

「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい」、と言う公案です。

32〜33歳の頃、無師独悟(むしどくご)、あるいは、独覚(どっかく)、と言いますか、さとりました。
もちろん、お師家さまのもとで修行した事も無く、したがって印可状がありません。

ある曹洞宗の僧が言います、引導を渡すのが、僧の資格での仕事、だと。
だからそれぞれの宗派の大学を卒業してから、門を叩け、と言います。

片手の人がたたく拍手の音を聞いたので、これを、さとりとしました。
色即是空です。
臨済宗の僧が、隻手の音声に取り組んだそうですが、「聞いた!」 とお師家さまもさぞや喜んでいただくだろうと、方丈に喜び勇んで駆け込んだそうです。
ところが、お師家さまは小さな静かな声で、「片手でたたく音は聞こえない」、と、色即是空は空即是色へと還(かえ)る、と教えられた。
それで、今のわたしは、色即是空は空即是色へと還(かえ)る、です。
お師家様は、と言うものは実にあったかい存在ですね、まさに老婆禅のお師家さまばかりです。
師弟関係とは、いいものですね。
整備された高速道路を弾丸のようにすっ飛んでいくようなものです。
無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく)は、向こうが見えない草丈の高い大草原を一歩一歩掻き分け踏みしだいて行き、その歩みの跡に細い一本の道が続くのです。

公案は、ひとつ透ればすべて透る、と言われますが、一つずつ取り組んで、一つずつ透っていきます。