>>587
大変ありがとうございます。
果報を受けるまでは業はなくならないということは、今なにかを選択するとしてなぜそれを選択する理由は現世に因果がないのならば過去世からの業によるものと考えるのが正しいですか?
生まれてきてすみませんと思ってしまうような人は宿業によりそういう思いをもってしまうのでしょうか?
いくら善行を積んで悪行による業を減らそうとしても、
自分のした失敗で人に迷惑をかけたりしたことを思い出すと善行をいくら積もうとしても積み増しした実感が湧かないものです。
悪行の宿業を果報により清算して減らしていくよりもむしろ業を増やしてしまっているばかりのような、
そんな失敗ばかりの人生を送っていて人間失格といってもいい状況にあっても、
それでも何かを信じて善行を成していく努力はしなけばならないと思いつつも
神仏も法も自分も信じられなくなっているくらいの失敗人生を好転させるのが難しいです。