>>584
とてもいい質問だと思います。

業報輪廻の理解で中には勘違いしている人もいるのですが、
これは完全なる運命決定論などではないということ。
つまり、すべてがすでにガンジ絡め状態で事象が決定しているのではなくて、
生じた業報の結果に対して我々がどのように反応して、
そして、如何に対処していくかによって、
その人のその後の人生は大きく変わるということ。
将棋の先の手とそのまた先の手のように...当然、その変化は無限的に広がっています。
なので、希望は常にあるということ。

一つの業はその果報が生じればそれ自体は終結します。
それは悪い果報でも良い果報でも同じことで、
一つの結果を受けたらその業作用はそれで終了する(それまでは滅ぶことがない)。
後は、それを受けて如何に生きてゆくかです。
それから、一つの悪業を一つの善行(善業)で帳消しにはならないようで逆も然りです。
けれども、我々が善行を積むことで意識も成長していく(心も浄化する)ので、
必然的に悪業を積むことも減っていきます。
仏教に限らず、キリスト教の原罪思想と懺悔の人生のように、
宗教というのは戒めを強調するものとして出来上がっているので、
あまりそのことに過剰に反応して自分を責め過ぎたり悔いたりすることは。
逆に、自分の心を必要以上に委縮してしまうので逆効果を生じます。
ごく普通の一般的な人々の多くは、悪業などよりも善業のほうが遥かに多いのです。
だから、過剰な心配には及びません。

それから普通、仏教で扱う業報は来世に対しての作用として話されていますけれど、
もちろん、今の努力や真面目な生き方はこの今の生涯の中での前途を開くのにも必然であることは当然です。

これで質問の解答になったかどうか?
また、何かあったらいつでも気軽に聞いて下さい。