『以上のようにブッダは(1)まったくウパニシャッドのアートマンの思想を否定し、新たな何らかの自己を説かれたのか、(2)ウパニシ
ャッドのアートマン思想は受け入れてもそれをうる方法に相違があったというのか。これら二点に解答を与えうると思われる例証を指摘
することができる。
 「私(ブッダ)は《梵となりたる(もの) 》であり、無比であり、魔軍をほろぼしすべての敵を屈服させ、おそれることなく喜ぶ。」(Sn.561)
 この例に類する詩句は、563にもあり、そこでも傍点《》の部分は同じである。これはバラモンのセーラとの対話の中で述べられたもの。
「梵となりたる<もの>」はbrahma bhu^taが原語であり、これは最高であり絶対なる存在であるブラフマンとなったものという意味である。
ブッダはこのように自称された。この部分の翻訳では学者によって異なるが、ブッダ、あるいは原始仏教の我説を考える場合には特に注意
すべき表現句であるといえる。この場合は、率直にブラフマンになったものと訳して良いと思う。かくして、ブッダは「ブラフマンとなっ
た人」である。
 また、バラモンのマーガが、どのような人が解脱し、現身をもって梵天界(Brahmaloka)に行けるか教えてくれるように、ブッダに懇願し、
さらに、
 「私(マーガ)はいま梵(brahma)に遭うことができた。あなたこそ本当に梵(brahma)と等しい方である。光明をもっている方である。どう
すれば梵天界に生まれるのか。」(Sn.508)
と尋ねた。これに対してブッダは親切に梵天界に生まれる方法を説かれる。