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悟りへの第一歩、「無」の体験 [スマナサーラ]

「ヴィパッサナー瞑想」をすると、悟りの境地へ行けると言いましたが、では、悟りとはいったい何でしょうか? それをわかりやすく説明してみます。

悟りを理解する上では、「ものごとは実体としては存在しない。すべてのものは波動である」ということが、大きなポイントとなります。
ものごとは、実際には「もの」ではありません。

(略)

ものごとの波動は生滅(しょうめつ)という言葉で理解します。また、「有(う)」と「無(む)」という言葉で理解してもよいです。
現象は「有」の状態にいるときは認識します。

(略)

ものは「有る」けれど、魂はやっぱり「有る」けれど、神様はやっぱり「いる」のでしょうけれど、それは半分の世界です。
仏教は、そういう「有(う)」と「無(む)」の論を語りました。

それが大乗仏教では、法身(ほっしん)という概念が出てきて、大宇宙を支配している法身如来、大日如来がいると言ったりしています。
そこまで「有(う)」論は発展しました。
初期仏教の、世界は「有(う)」と「無(む)」からできているというポイントからみれば、それは正しいとは言えません。

とかく人間は「有(う)」論しか語れません。「有(う)」論しか考えることができません。
実際、「有る」ことは「有る」のです。
でも、ものには「有る」だけではなくて、「無い」状態もあるのです。