>>255
>バラモン教ヒンドゥー教への指摘は正論に思える

指摘が正論ね...
まっ、一般的な論調としては確かにそうかもしれない。
池上 彰先生だったら、或いは『いい質問ですね〜』ときたでしょうかね。
けれども正直、この私から見ればただの小学生といった感じでしかない。
或いは、ただの「駄々っ子」ってところかな...。
たぶん批判したくてウズウズしてるから、こういった感じの論調なのかもしれませんが...、

>『ブッダは古代インドにあった創造神(ブラフマー)のような屁理屈を認めていたわけではない』

細かい話ですが、「ブラフマー」とは後代のヒンドゥー教の人格神なので、
古代バラモン教時代であれば「ブラフマン」とすべきでしょう。
まずいえることは、ゴータマが創造神について馬鹿にする筈はないのであって、
実際、当時のバラモンたちはゴータマのことをブラフマンと呼称して褒め讃えていたのであり(『Sn.508』)、
そのこと自体をゴータマ自身が否定(「わたしはブラフマンなどではない」と)したこともなければ、
「そのような呼称は不適切なので止めるべきである」などと相手を諭したこともないのだということ。
まさか長老は、ゴータマが「創造神などはない」として否定していたものだと誤認してるわけじゃないでしょうね。
確かに、“原始仏教において創造神は説かれておらず、寧ろ、そのようなものはない”
という立場にあるものと見なしている人も多いのも事実です。
しかしながら、実際に原始経典を読むならば、ゴータマは創造神の存在を当然のごとく認めているのであり、
そのことが当たり前過ぎることだからこそ、敢えて態々、このことを説く必要がないものだとしていたことが分かる。
自分で確認することなしにただ信じている人々と一緒にするな、ということ、

『「本当に、神は、この世に存在しているのですか。」
「私は、神が居ることを、自ら確めている。故に、居るのかと問われたら、居ると答える。
しかし、問われないならば、答えることはない。」
「ゴータマよ、その訳は、如何してですか。」
「人々は、神が居ることを、徒に信じている。確めることなく、信じられている、からである。」』
(パーリ中部.第100経/サンガーラヴァ経.第4章)