X



トップページ心と宗教
764コメント723KB

外道の独り言 8

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/10(日) 16:35:46.20ID:QdzHGF9T
☆彡
「ここは誰もが好き勝手に書き込んで良い」というスレではありません
このスレの趣旨は、仏教に関する様々な論点に関して
パーピマン殿が私見、疑問点等を提示いたします
「外道がぶつぶつと独り言を書き散らしているスレ」です
極めて恣意性の強いスレであることを了解願います
上げておりますのは、別段大勢の人たちに来てほしいからではなく
(むしろその逆で過疎って欲しいくらいです)
「真摯なる碩学」が
パーピマン殿の書き込みを目に留め、その瑕疵を指摘してくれることを望むが故です
自由に好きな相手と対論したいと思う人は、このスレを覗かずに他スレに移動してください
昨今、スレ立てが大変困難であり、好き勝手にスレを消費されことは大変迷惑なのです

自由に書き込みしたい方は↓こちらへ
ひだ =^・ ・^= まり
ttp://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2
ttps://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1500265524

前スレ
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1491547539
ログ保管庫
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html
0183神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/06(火) 20:50:24.01ID:SLvLDYi7
「チェンダよ。あなたの用意したきのこの料理をわたしにください。また用意された他の噛む食物・柔らかい食物を修行僧に上げてください。
残ったきのこ料理は、それを穴に埋めなさい。世の中で、修行完成者のほかには、それを食して完全に消化し得る人を見出しません」
岩波文庫『ブッダ最後の旅』

と言いつつも、結局はそのきのこ料理を食べて死んでしまった釈迦…。

いくら
「わたしには忘れがたい供養があり、一つは悟りを開いた直後のスジャータの食物と、チェンダの供養を受けた食物だ。それは、最高の功徳である。」
との言葉をチェンダに伝えさせても後の祭り。
チェンダは釈迦を結果殺してしまった料理を振る舞ったことを死ぬまで後悔したであろう…。
0184神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/06(火) 23:50:57.57ID:diZfcPt3
>>183
心底崇拝する聖者から(―しかも、その人物は嘘を言わない!―)、
「最高の供養・功徳である」とお墨付きをもらって、
懼れの解消、安堵こそあれ、どうしてそこに後悔が生じようかw

もっとも、
子供にとっての、
見ず知らずの人の痛いの痛いの飛んでけと、母親の痛いの痛いの飛んでけの違いと似てるかも知らんがw
0185神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/07(水) 01:36:03.28ID:Qn8D6MkS
「残ったきのこ料理は、それを穴に埋めなさい。世の中で、修行完成者のほかには、それを食して完全に消化し得る人を見出しません」

この言葉は嘘には当たらないのかな??
釈迦は如来、仏陀、一切智者と自称していたが
0187宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/08(木) 00:23:57.23ID:QniibLD9
>>183
>チェンダは釈迦を結果殺してしまった料理を振る舞ったことを死ぬまで後悔したであろう…。

使命を全うした完成者は肉体を放棄する手段を自ら選択するのです。
ちょうど食中毒を起こすと見られる料理に気付いたゴータマは、
これをそのまま頂いて自分の肉体死のための引き金としたということ
(もしかしたら、調理過程のすべてにおいてゴータマの意図した神通が発揮されていた、
という可能性すらも私はあると思っている)。

>「わたしには忘れがたい供養があり、一つは悟りを開いた直後のスジャータの食物と、チェンダの供養を受けた食物だ。
>それは、最高の功徳である。」これは、大いなる完成者の肉体放棄のためのキッカケ作りに寄与した食事なのだから、

これは間違いなく最高の功徳となる供養に値する料理だった...。
そしてまた、この言葉はチェンダの自責の念を払い、
尚且つ、周囲からの咎めを止めるためにもとても効果的な言葉だった。

これに対して、
十字架上の死(磔刑)へと繋がることになった祭司長らにイエスを売り渡した裏切者のイスカリオテのユダの場合は、
その真実においては、伝統クリスチャンらが信じるような単純な裏切などではなくて、
すべてはイエスの命令(計画)にそのまま従った結果のことだった。
ユダは、イエスの力ならば(そして神の御力により)捕らわれから簡単に逃れることができるからこそ
自分へ裏切りを命令したものと思い込んだけれども、
ところがしかし、結果はあえなくイエスがそのまま処刑されてしまったので、このあまりの展開に驚いて、
そのキッカケを作ってしまったという自責の念に強く駆られて首を吊って死んでしまった(他伝では事故死だが...)。
0188宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/08(木) 00:24:57.84ID:QniibLD9
>>185
そのように言わないと、
他の弟子たちが食べてしまったら困るわけなんだから、
自分以外には食べさせないためには最適の発言でしょうよ。

それとも、
もしも、このときゴータマがこのような発言をせずにいて
これを一緒に食べて弟子たちも中毒を起こしたり、死んだリしてしまっていたとしたのなら、
また、あなたはこれについてどのような悪評を垂れるのですか?

>>186
貴重な情報をありがとうございました。
0190神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/10(土) 10:48:59.41ID:Xapt4hTV
ブッダ最期の旅でアーナンダの罪と過失を厳しく咎めているのはパーリ涅槃経だけ
https://i.imgur.com/S3BR5EV.jpg
0191神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/10(土) 10:50:54.34ID:7zPI1lYf
>>188
釈迦を滅尽させたのだ
しかし、カッサバ?
以外の弟子はそのとき、釈迦は涅槃に入られたと述べた
そこで、弟子代表、そのときは、サーリープッタも、モッガーナもいないから、仕方なく、代表となったと言えども、非常に優れた男
だいかしょうは、
世尊は、
滅尽定に入られたのだ
涅槃ではない
0192宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/10(土) 17:45:39.18ID:hCIbS2cw
>>191
通常、ゴータマの“大いなる死”のことを
一般的には「涅槃」(無余依涅槃/肉体死の状態にあるニルヴァーナ)に入ったという。
しかし、このことをマハーカッサパが
“滅尽定(外見上は肉体死と類似の究極的瞑想状態)に入られた”
と述べたとするのならば、

その考えられる理由としては、
 @ブッダである師には、不慮の肉体死など訪れることがないという思いがあった。
か、もしくは、
 A不慮の肉体死による弟子たちの深い悲しみの心を少しでも軽減したいとする思いがあった。
といったものが上げられるのではないかと、私は思う。

例えば、
このことと非常に酷似している話としては、真言宗/空海における場合の、
大師は今もなお“瞑想状態にて生存を続けている”(祈りと救済の活動をされている)
という信仰が高野山にはある。
0193宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/10(土) 17:56:37.23ID:hCIbS2cw
追記:

また、修行完成者や熟達者の場合には、
その肉体死は瞑想状態にて迎えるというのもよく知られていることです。
尚、ゴータマの最後は滅尽定からの涅槃(肉体死)ではなく、第四禅からの涅槃(肉体死)入りだったともいう。
http://meditationultimate.web.fc2.com/meisou/metuzinn.html
0194パーピマン
垢版 |
2018/02/14(水) 10:57:47.57ID:d8ulMj09
最近は特に忙しくて、ゆっくり2ちゃんを見る暇がないw

とりあえず上げw
0195神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/14(水) 15:10:46.67ID:uVDpCmei
>>194
彼女が出来たかな?Www
0196神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/14(水) 15:20:23.21ID:569xZKPw
まことって、よく、朝鮮人の悪口を書くだろ?
あれも、人に認められるのが不可能なやつのやることなんだってよ
0197神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/16(金) 09:55:32.14ID:f/WZfllF
★★★【お経好き集まれ】★★★ P35
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1321994135/

625 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2013/01/14(月) 10:33:35.98
読誦するのが好きな人いませんか。
どんなの読んでます?
私は阿弥陀経、観音経、大般若理趣分、般若心経など。

他にお薦めあったら教えてくんろ。

630 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2013/01/15(火) 23:31:47.91
>>625
大悲心陀羅尼はいかがですか。
まさに読誦向きだと思いますが。

632 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2013/01/16(水) 20:32:01.08
読むと金持ちに成れる現世利益のお経はないかね。

633 名前:名無しさん@京都板じゃないよ [sage] :2013/01/16(水) 20:33:47.80
>>632
大般若理趣分には得財の功徳があると言われている。

634 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2013/01/17(木) 11:18:20.51
超人になりたいのだが読むと神通力が得られるお経はないかね。

635 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2013/01/17(木) 13:05:11.35
大般若経おすすめ
0198神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/16(金) 11:33:27.86ID:53y2VTuE
お坊さんQ& Aサイト

般若心経を素人が唱えると、成仏出来ない霊が寄って来る、取り付かれると聞きましたが本当ですか?

後、寝る前に聞いたり唱えたりすると悪夢を見るとも聞きました、、

写経や坐禅に興味があるのですがこの事を聞いて恐くなり始める勇気がありません。
https://hasunoha.jp/questions/4622
0200宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/17(土) 17:15:25.42ID:h4LZ55zm
>>197
読経については、
基本的には自分の好きなものを好きなだけやればいいのです。

読経の習慣というのは、
元々はゴータマの教えを口授によって伝承してきた習慣がそのまま継承された行為で、
確かに、真剣な態度で読経に対して取り組むのならば、これも一つの立派な修行にはなるでしょう。
でも、5分やそこらのものじゃとても話にならないので、一回に最低20分とか、
できれば30分以上〜を毎日することが必要でしょう(やれる人なら1時間位とか)。
何故なら、自分自身で“大変だなぁ〜”と感じられるものでなれば修行にはならないからです。

あと、>>117-118でも述べたように、
私個人は、読経(或いは所持)による霊験であるとか、経文中に書かれてある功徳(利益)というものは
大乗が信者集めを目的にして勝手に書いたデタラメと見ているので、まったく信用しません。
ただし、真言陀羅尼(日本のものは原語からかなり掛離れた日本語訛りでしかないが...)については
古代インドの梵語によるマントラ(バラモン呪法)がベースなので、
これについてはある程度は期待できるものと見なしています。
0201宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/17(土) 17:42:41.69ID:h4LZ55zm
>>198
まず、
どういう意図が在ってこの投稿をしたのか? ということ...。

つまり、
 ・私も解答やアドバイスを得たいから、ここで参考意見を投稿して欲しいからか
 ・そのサイトで解答している僧侶の教えがためになるものなので、
   同じような不安を持たれている皆さんへ読まれることを奨めたい
って、ことなのかな??

ハッキリいうと、
そのサイトで解答している僧侶の話というのは、パッと見では見事な解説ではあるけれども、
しかし実際上、彼らはゴータマ(原始経典上にて)が霊の存在を認めている、
という基本的な事実すらも知らない無知な人々だということ。

尚且つ、
仏教は「無我」を説く教えだから霊魂を否定するものなので、当然も霊存在なるものもないだとか...
同じようにして、仏教ではこの世に実体のあるものは一つも存在しないと説くから、
霊などというものも実体のあるものではない、だから気にする必要なし。
といった、ゴータマの無我の教えについての勘違い者ばかり。

まっ、ここでも精々、
殆どこれに毛の生えた見解しか得られないでしょう。

この私、以外には。
0202神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/18(日) 00:44:35.18ID:G/RZXLvh
>>200
大悲心陀羅尼などは神秘的で不思議な霊力を確かに感じますね
言葉の響きからでしょうか?
https://youtu.be/9hlu-FNtZwc

しかしそれは日本の禅宗で読まれる場合だけであって
YouTubeでサンスクリット大悲心陀羅尼やら他の陀羅尼やら聞いても伴奏付きの歌になってしまってます(笑)

パーリ語のお経の読経も伴奏こそないですがまた然り
歌を歌ってるが如くは浄土真宗の正信偈といい勝負です
https://youtu.be/DC3sHntlIxE
0204宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/19(月) 01:27:22.40ID:nu/X4o3o
>>203
まず、
あまりにも基本的な認識不足と間違いが随所に散見されていて話にならないと思う。
何故、投稿者はこの画像の書籍名と著者名を明らかにしないのかな?
そういった常識からしてどうなのかな??
印象から、この私の推測としてはスマナサーラ長老の訳著ではないか、
という感じがしていますが...。

取りあえず、一言だけいっておくとすると、
たとえ南伝仏教のテーラワーダといえども、
ゴータマの教えをそのまま正しく継承したものではないということ。
これもその実態としては、部派仏教の生き残りが伝承したものに過ぎないのです。
そして残念ながら、現存する仏教教団にはゴータマの教えを
そのまま正しく継承したところは一つも存在していないようだということ。

今のところ、我々のレベルにおいては、
“間違った信仰”(伝統だから正しいものと信じること/つまり「迷信」)を打ち破るものは、
唯一にして、信仰に拠らないものであるところの「学問」以外にはない。
0205おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/20(火) 00:25:23.46ID:H8qRhb/p
 
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
近代の文献学上は
原始経典さえも
(意図的に?)編纂されたものなので
釈迦の言説が記録されているか明らかでない

それは、さておき
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E4%B8%80%E5%88%87%E6%9C%89%E9%83%A8
未来世の法が現在にあらわれて、一瞬間我々に認識され、すぐに過去に去っていく
映画のフィルムのコマを見るように、瞬間ごとに異なった法を経験している

ttp://d.hatena.ne.jp/shi3z/20141222/1419203377
宇宙が
『時間軸を持った三次元空間である』というのは
(2次元の情報をもとにした)
スクリーン上に映し出された幻想のようなものである

青目(ピンガラ)中論 觀如來品 第二十二

人は戯論を生じている
戯論して慧眼を破れば
是の人達は皆
仏を見ることはない

如来は戯論を超えている
0206神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/20(火) 10:05:44.02ID:kUh30IV9
外道バービーちゅわん&宝珠にネタ笑。

最澄に貸したらがらなかった、「理趣釈」の現代語チラ読みしてやると笑。
強烈なエネルギーがワイてくる笑。
俺って、頭オカシイわ笑。
0207神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/20(火) 10:16:46.67ID:IKe/KOFi
https://i.imgur.com/JTSTmvR.jpg

>現象の世界が実際の世界であって、現象の背後に隠れて「実体」の世界があるわけではないのです。

実体を空に入れ替えても同じこと
仏教では現象の世界こそが全てである
仏教は二諦を説くというパーピちゃんの決まり文句は間違い
0208神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/20(火) 11:49:52.84ID:fxE0eGGU
>>205
刹那滅の思想はテーラワーダもそうじゃん
テーラワーダでは法有の法(無為法)はニルバーナだけけという違いはあるが

しかし刹那滅は観察して実証されるものなのかねえ?
それこそ観念論じゃないのかなあ
禅でも刹那滅を説くけどこのルーツは何なんだろう?

>>207
二諦は古代バラモン教以来の伝統
バラモン教では私(アートマン)は認識出来ないものとされた(非らず、非らず
しかしその認識できない私を世俗のなかでは私がという主語で使っていた
ヴェーダに精通しているバラモン僧がそのように「私」を使い分けていた
0209おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/20(火) 19:30:01.59ID:H8qRhb/p
 
>刹那滅は観察して実証されるものなのかねえ?

刹那滅
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E7%82%BA
未来の領域から現在の時点に生起し、次の瞬間には過去の領域に滅し去る
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
最終的には心にも実体はない
このような識の転変は無常であり
一瞬のうちに生滅を繰り返す(刹那滅)ものであり
その瞬間が終わると過去に消えてゆく
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%B9%E9%82%A3
刹那と仏教思想
説一切有部では
人間の意識は一刹那の間に
生成消滅(刹那消滅)を繰り返す
心の相続運動である
www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.chienohikari.pdf
刹那定
四界分別観
大念処経
この身には地界、水界、火界、風界がある

「実証すること」ではなくて
「般若の智慧と慈悲によって観照すること」かもしれない?
0210おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/20(火) 19:47:36.45ID:H8qRhb/p
 
刹那滅も
バラモン(ヒンドゥー)から → 仏教へ?

ttps://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-11J08097/
「刹那滅性に対する論駁はないことの証明」の章のサンスクリット原典写本の
ディプロマティック・エディション(写本を書写されたその通りにローマ字に起こしたもの)を作成した。
今年度は、アメリカ合衆国-ハーヴァード大学・教養学部・南アジア学科(受入 : Parimal G.Pati1教授)に約11カ月間研究滞在し、
前年度の研究成果をもとに、同著作のサンスクリット校訂テキスト、並びに、その暫定的な翻訳を作成した。
その文献学的基礎研究の成果として、シャンカラナンダナが対論者としていたと推測される、
正統派バラモン教哲学学派に属する幾人かの思想家クマーリラやウッドヨータカラなどを同定することが出来たほか、
『ダルマ・アランカーラ』第3章の章の構成、成り立ちについて、幾つかの興味深い知見を得ることができた。
また本年度は、昨年度に引き続き、『ダルマ・アランカーラ』第3章に対する文献学的基礎研究と並行して、
7世紀以降の刹那滅論を中心としたインド仏教思想史を再構築するべく、
ダルモーッタラ(ca.740-800)の刹那滅論に関する研究を更に推し進めた。
この研究では、刹那滅論証で使用される論証因「存在性」の成立をめぐるダルモーッタラの理論を明らかにし、
また、その理論が、後代の思想家ジュニャーナシュリーミトラ(ca-980-1030)にある程度の影響を与えたことを実証した。
ダルモーッタラやシャンカラナンダナなど、カシュミール系の思想家たちが、ジュニャーナシュリーミトラなど、
いわゆるヴィクラマシラー系の思想家たちの思想形成に与えた影響を具体的な事例のレヴェルで明らかにして行くことは、
7世紀以降のインド仏教思想史を再構築する上で、極めて重要な作業と言える。
0211宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/21(水) 02:02:19.21ID:3PX0XAs0
>>207
うーん.違う。

我々に認識可能なのは現象界のみであるから、
一切法だけが仏法の実践項目だということ。
ただし、有為としての現象界だけが知覚対象であるからといって、
この現象界を実体視する勘違いを起こすことのないように、
有為に対する無為法(有為を超越した世界)があることを説くのです。
であるから、その結果して二諦となる。
中には、無為法だけを説く連中(修行無用を説くナンチャッテ覚者たち)がいるが、
そういう一方通行の勘違いは実践に役立たない無用の長物。

>https://i.imgur.com/JTSTmvR.jpg

説一切有部の最大主張とは、恒常の存在を認めない上座部に対して、
一切法の法則そのものは永遠であるからこれこそが唯一の実在だとしたことです。


>>208
>バラモン教では私(アートマン)は認識出来ないものとされた(非らず、非らず

ただし、
それは仏教でいう凡夫、及び、未完成者についての場合です。
完成者はアートマンを知覚する。当たり前のことですが...。
0212神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/21(水) 02:36:32.12ID:sf1af/5m
>>211
>中には、無為法だけを説く連中(修行無用を説くナンチャッテ覚者たち)がいる

これって誰のこと?
0213宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/21(水) 03:34:39.11ID:3PX0XAs0
>>212
誰ということではありませんが、
龍樹の「第一義諦(勝義諦、真諦)」を読んで勘違いを起こし、
業報輪廻や縁起を否定して、更には、修行の必要すらないなどとする一部の禅者たちのこと。
失礼。無為法というよりは、第一義/勝義諦です。
0214おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/21(水) 08:14:41.54ID:/Qt7esAQ
 
>無為法だけを説く(修行無用を説くナンチャッテ覚者たち)

机師匠とか
閻魔師匠とか
禅宗系のナンチャッテ覚者師匠の方々とか

道元 普勧坐禅儀
そもそも仏法というものは
円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもない

仏そのもの
それゆえに
無苦集滅道

机師匠とかは
「(仏そのものなので)只管打坐も必要がない!」とか逝ってた

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%8B%90%E7%A6%85
仮設としての
無明している世界の中で
我癡・我見・我慢・我愛に依存している

野狐禅
ナンチャッテ覚者師匠の方々
0215おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/21(水) 08:44:07.47ID:/Qt7esAQ
 
ナンチャッテ覚者師匠の方々の場合は
無明している世界は
仮設としての
仮の現れで
(縁起に依存して?)滅するものなので
「無明している世界を手放しする!」という方法も必要がないらしい

 − これに対して −

ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
上座部  パオ・セヤドー
第一禅定
どこかへ飛んでいってしまう心の働きを
呼吸の観察に戻してくる要素があります
(仏そのものに戻る帰る要素があります)
  _  _  _

ちなみに
おじゃるは
ヒンドゥー外道でつ スマソ m(_ _)m

(『永遠に変化することのないプルシャがある!』みたいな?)
0216おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/21(水) 09:12:11.14ID:/Qt7esAQ
 
(縁起に依存して?)滅するもの

ttps://www.nhk.or.jp/special/stress/02.html
マインドフルネス

何か雑念が出てきたことに気づいても
その辺りに漂わせておくようにして
縁起(を超えたもの)に依存して
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じて
衆生が ← 仏が大悲・大智を受け入れて
そして
(雑念が)自然に消えていくのを見届けます

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0
フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)
縁起(を超えたもの)に依存して
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じて
衆生が ← 仏が大悲・大智を受け入れて
そして
まだ言葉にならない意味のある感覚(フェルト・センス)に注意を向け、その感覚と共に過ごす
胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向けながら
何かの気がかりにまつわる感じ(フェルト・センス)が感じられるのを、受容的な態度で待つ
  _  _  _

ナンチャッテ覚者師匠の方々にとっては、このような
「認知行動療法のようなものも不要である!」ということであるらしい
0217おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/21(水) 10:14:58.59ID:/Qt7esAQ
 
×衆生が ← 仏が大悲・大智を受け入れて
〇衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れて
  _  _  _

(優等生も劣等生も)
すべて仏そのもの

 − これに対して −

極端な優等生・極端な劣等生
ttp://gno.blog.jp/izumi/21601008.html
リトルウィッチアカデミア 第20話
ttp://gno.blog.jp/izumi/29664591.html
ブラッククローバー 第20話

たとえば
第一禅定から → 第二禅定へというように
「少しずつでも段階を超えていく」というところは
上座部的な感じがする

ナンチャッテ覚者師匠の方々にとっては
無明している世界の中で
『段階を進めていく。というところが間違いである!』ということであるらしい
それゆえに
『仏の世界から → 縁起している世界を観照せよ!』ということであるらしい
0218神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/21(水) 23:19:22.25ID:oHiaWbMu
上座部仏教の長老、スマナサーラ師の著書をいくつか読んでみた。
「釈迦の瞑想法」シリーズの3『自分につよくなる――サティ瞑想法』と『ついに悟りをひらく――七覚支瞑想法』、それに『死後はどうなるの?』、『ブッダの実践心理学』である。

(略)

これらの本に優れた点は多々あるのだが、一宗一派的だといったのは、自分の教団の教えが一番優れていることを不動の前提として、何とかその価値観の正しさを説得しようという動機が読み取れるということ。
つまりやっぱり「坊さんの説法」になっている。
それと、大乗仏教やキリスト教、ヒンドゥー教などの他宗教を、深く理解しようという欲求もなしに、あからさまにバカにしたりちくちくと嫌みを言ったりするところがところどころに出てくるので、どうもそれが気になった
(つまり、各宗教を「その最高の高み」においてつかまえた上で比較するのではなく、ごく低次レベルでつかまえて批判している)。
「この人は師匠としてはどうだろうか」という目で見るときには、その論の展開の正しさということよりも、むしろそういった「気になり方」が重要な要素になってくるものである。

(略)

というわけで、他にもいろいろそう判断する理由はあるのだが、要するにスマナサーラ師は、ある一定の境地には達しているんだろうが、決して悟ってはいないと思う(おっと、抗議メールが恐い・・)。
彼は、唯識で言う阿頼耶識なんてあるかどうかわからないのだからそんなもの空論だと断定しているが、ヴァスバンドゥとか唯識思想をつくった祖師たちは、瞑想の深みにおいて阿頼耶識を実際に直覚し、その経験をもとに書いていたのだと思う
(玉城康四郎も阿頼耶識を直覚していたらしいが)。
スマナサーラ師にはそのような経験がないのでわからないというだけの話ではないだろうか。
というか、上座部仏教にはそうした経験を促すような修行法はないし、そういう経験が出たとしてもその意味を否定していくだろう。
(なお、私が魂といっているのはほぼ阿頼耶識に相当する。それはもちろん究極的見地から言えば実体ではない。
しかし阿頼耶識が存立している次元より低次の世界から見れば、それは個別的実体と錯視されるものである)。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/20316/21924/10175383
0219神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/22(木) 01:52:15.91ID:p7HidkbA
阿頼耶識とはコザール体のことなるぞ
末那識がアストラル体
0220神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/22(木) 07:41:02.47ID:2wfULcaq
217.
ナンチャッテ覚者が正しい。
バカおじゃる、は救いようがないよ。
0222宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/23(金) 03:14:44.62ID:pING1c03
>>214-215
>机師匠とか
>閻魔師匠とか
>禅宗系のナンチャッテ覚者師匠の方々とか
>
>修行したり、悟り証したりすることもない

そだねー.そだねー..

ブッダの教え(と最後の遺言)は「修行しなさい」であって、
「しなくていい」などとは述べたことは一度もないから。
よって、彼らの言説(勝手デタラメ)は仏教を破壊するものです。
0223宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/23(金) 04:49:32.60ID:pING1c03
>>218
全文に同意。

>(なお、私が魂といっているのはほぼ阿頼耶識に相当する。それはもちろん究極的見地から言えば実体ではない。
>しかし阿頼耶識が存立している次元より低次の世界から見れば、それは個別的実体と錯視されるものである)。

正解。
0224神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/23(金) 07:38:00.98ID:Aes4L/E+
218.
心理学をやっている場合ではないよ。
0225神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/23(金) 07:40:50.32ID:Aes4L/E+
222.
修行しなさい、か。
それは生活の問題であるよ。
それは宗教の問題ではないよ。
その両者の区別ができないからして、バカ丸出しであるよ。
0226宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/25(日) 10:11:43.36ID:1B/EOksL
>>225
何が、「バカ丸出し」だ。
その言葉、そっくりそのままおまえに返してやるから!
それとも何か? おまえは、「修行」が宗教とは無関係の普通生活だとでもいいたいのか?

いいか。
親切に教えてやるから、よーく覚えとけ!!
「修行」というのはだな.つまりは「仏道生活」ということをいってるわけだ。
仏道生活とは、「仏教」の教えに乗っ取った生き方であり、
自らが意識的に“仏教の説く境地”を目指して自己の向上に努める生活のことをいう。
そして、その仏教というのは、「宗教」の一つなんだという単純、かつ基本的な事実すらもおまえは知らないのか???
仏典の説く通り、物質科学、自然科学の説く常識を超えた超常的な部分を必ず持つというのが宗教としての一大特徴だ。
その仏教は、「世界三大宗教」だと学校でも習うだろ。辞書くらいは見とけ!!
従って、つまり修行を伴う仏道生活は、無宗教/無信仰者らの生活とは
根本的に(生きる目的と、そして行為の数々が)異なる。

 『世界三大宗教(せかいさんだいしゅうきょう)とは、仏教、キリスト教、イスラム教の三つを指した言葉。
三大宗教ともいう。また、これにユダヤ教、ヒンドゥー教を加え、五大宗教[1]とする場合もある。』(Wikipedia)

 『宗教(しゅうきょう、英: religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、
また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。』(Wikipedia)
 『神または、なんらかの超越的な絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰、行事。
又それらの関連的体系。』(広辞苑)
0227宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/25(日) 10:16:26.96ID:1B/EOksL
『ブッダは超一流の科学者なのです。その態度は徹底して客観的なのです。』>>203
というのはいいと思う。

確かに、
ゴータマの態度というのはまさに徹底して科学的!!
ただし、勘違いしてはならないのは、ゴータマがどれほど科学的であろうとも、
その教えの根拠となっているのはゴータマ自身が実体験した内的経験に基くものであるということです。
その体験は自然科学では認められていない超越性を伴ったものです。

また、中には「仏教」は哲学であって、宗教ではないという人もいる。
一昔前の西洋の宗教哲学者らもそう見なした時期もありました。
5ちゃんに巣食う唯物者たちも同様のことをいうのです。
仏典に記載されている超常部分はすべて、神格化と迷信に過ぎない、と。
しかし、こういう主張こそ愚かの極みであって、修行者は修業が進んでいくことで
段階的に仏典に在るその超常的な教えを本物の事実として経験する。
未経験ららよる机上の空論などは何も的を得たものではない。

また神智学のように、崇拝せず、礼拝行為を説かず、
読誦のお勤めをせず、聖典を持たず、仏像神像を造らず、お祀りをせず...といった
諸宗教の“信仰の次元”を超えたものとなって初めて常識的なカテゴリーを逸脱する。
何故ならば、超常的な世界への信仰(心)に拠らずともただ説かれた通りに実践すれば、
その通りの結果を得る科学的なものだからだ。

そして、万人すべてがそれら(超常的)が事実であると知り、
そのことが常識となった時代には、“それは宗教の話に過ぎない”といった枠は取れて、
非宗教/唯物論は間違った過去の思想(迷信)だとして扱われることとなる。
0228DJ学術 
垢版 |
2018/02/25(日) 10:38:06.99ID:wJ/p8hTx
ゴータマは座されたよねえ。
0229宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/25(日) 11:31:05.63ID:1B/EOksL
>>198
ここの僧侶の解説の中には、
「病人が医師の元へと行くように迷える霊がいたとしても頼るのは素人のところではない」といった説明がある。
けれども実態からいうと、浮遊霊というものは相手が誰かを確認してから行くのではなくて、
空中に放射されている電波から周波数を合わせたチャンネルのラジオやTV番組を受信するのと同じように、
意識の波長の合った人間によって感知されるのだということ。
そして、意図せず望むことなしに、これが頻繁に起こってしまうような人間のことをを霊媒体質という。

霊媒体質者は基本的に、
読経(経の読誦)や瞑想は合わない。
死者のための読経を意識した途端にチャンネルが繋がる構図(体質)であり、
また、彼らは死者とは無関係に行う瞑想行為ですらも霊界と結びつきやすいので無理な場合が多いと思う。
霊媒体質者が行うべきは、まずはその体質改善です。
そうでなければ、彼らにとっては読経や瞑想などの修行は
益々、霊達とのコンタクトを増長するものとなるので寧ろしない方がいいだろうと思う。
彼ら霊媒体質というのは全員、みぞおちにある丹田、マニピューラ・チャクラが活性化しているので、
ここの暴走を制御すべく、眉間にあるアジュナー・チャクラに意識を保つ訓練をして、
習慣化できるようになる必要がある。
これが有る程度、無意識に維持できるようになったときマニピューラは制御下に置かれて、
望まぬ死霊達とのコンタクトを遮断できる。
もし、本気で体質改善に取り組みたい人は、他に食事などについても調べてみることをお薦めする。

尚、私の勉強不足にて般若心経が他の読誦経文よりも霊を呼びやすいのかどうかについては分からない。
それは本人にそういう認識(死者供養に重宝されてきたという歴史的経緯)
があるから霊と繋がり易くなるということなのか、
或いは、後半のギャティの呪文と何か関係あるのかどうか...


以上
0230神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/25(日) 16:56:34.08ID:zKcXBeBp
226.
仏道生活、か。
バカ丸出しであるよ。
生活の問題ではないよ。
数学の生活修行をすれば、数学の答え、が出るのかや。
それはバカの考えることである。
0231宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/25(日) 17:24:38.68ID:1B/EOksL
>>230
仏教の教えは、
もし定めらた通りに実践を続けるならば、
当然、その言われた通りの結果が出る。
その為に皆、仏道生活を過ごす。
当たり前の話だろ。

でなければその意味がない。
誰もこの道を歩むことなく、ただ好き放題に生きることになるだろう。
数学は定めれた方程式を正しく用いれば、
一つの正しい解答を引き出せることになっている。

バカ丸出しはおまえだ!
0232神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/25(日) 17:36:42.98ID:zKcXBeBp
231.
仏道生活でもってして、当然、その言われた通りの結果が出る、か。
バカ丸出し、の言い分であるよ。
その結果が出ることはない。
それならば、バカでも結果が出ることになる。
そんなに簡単なことではない。
それは迷信であるよ。バカのやることであるよ。
0233神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/25(日) 17:52:46.79ID:fv3KixQr
釈迦ももうダメです。不動と同じです。悪い部分があったらKSAの薬師如来に事前になおしてもらうと言っているのに
いつまでも善人の邪魔をしてきたり、もはや悪いほうへ行ってしまい上の神々仏々に抹消されることになりました。
おまいりしてると、中道ではなく中途半端になるところからやる気をなくしダメになるよううながされます。
「おまえを助けると悪いほうへ言ってしまい怖い」といいわけしていたが、単に自分をこえられるのがこわいだけという
個人的な理由だったりします。どうか仏教徒はこれからは、これからはしゃかをおまいりしないように。
KSA(月読神、アポロン神、ガブリエル神、降三世明王神、アルテミス神、如意輪観音神、他元仏教からKSAに移動してきた
ブッダ、他もと違うところからKSAにきた西洋の神々などでこうせいされている神仏のグループ)を拝むようにしてください。
0234宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/25(日) 17:58:27.54ID:1B/EOksL
>>232
>それならば、バカでも結果が出ることになる。

バカでもバカなりの結果が出る。
やった分だけの進歩がある。それが仏教。
その意味すらも分からないのがバカ!
0236神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 00:59:06.13ID:lculIPhJ
情熱大陸、若き日本人のヨガ行者。


本来、
比丘(→行者→遊行者→≒僧侶)のあるべき姿かもな・・・w
 >年一は本場の研修会に参加し、その他日々は各地で指導、定住定職とは程遠い。
妹さんの心配も、よくわかる・・・w
0237神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 01:11:52.46ID:lculIPhJ
けど、
ヨガ行で、
どれだけ鍛錬しても、どれだけテクニカルに上達して指導し得るスキルを得たとしても、
たぶん、「お悟り」へのベクトルではないのだろう・・。
心身の健康・調整には絶大な効果はあろうが、
お釈迦さんの立ち位置へ向かう道標にはならないのかも・・。

とするなら、
釈子の採るべき「ベクトル」は何か?どの方向をどの角度で向いているか?
が、問われるべきであり、
なぜ「出家」でなければならないか?ということを、暗に示す部分かもしれない・・・。
0238神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 01:15:41.16ID:lculIPhJ
>>237

勿論、お釈迦さんの向かった先に 《真我》 なぞある筈もないわけだがw
0239神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 06:35:24.52ID:NqXb98gQ
宗教は基本的に超常的な事柄に関する憧れを内包していると思います
創造主、太陽、仏(釈迦)のような、または、自然神や霊魂をそこに持ってくる場合もありますが、何らかの現実を超えたものへの到達を目指すものではないでしょうか?
0240神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 06:50:43.75ID:LQ2Fuxpo
靖国神社はアメリカ建国記念神社。

http://3rd.geocities.jp/jcon_tline/02/n/1/8/6/9/n1869_8_06J.html

やってられません。

(個人の意見)

http://park.geocities.jp/j_con4/0204/p042.html#page278
http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p036.html#page245
http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p034.html#page225
http://park.geocities.jp/jpcdebate/0103/p037.html#page256
http://park.geocities.jp/j_con4/0104/p046.html#page302
http://park.geocities.jp/j_con4/0104/p044.html#page295
0241神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 08:14:20.45ID:Ekps3V7l
234.
迷信をやっているか、否かも判断できないのがバカ宝珠であるよ。
0242おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/26(月) 09:15:30.48ID:fJmNLW1b
 
>超えたもの

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%BC
宇宙に満ちている根源的エネルギー

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6
神智学
神あるいは超越者が叡智的性格をもち
宇宙や自然もこのような叡智からつくられ
人間の智も神の智に通ずる性格をもっており…

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84
心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている

ttps://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E5%A6%82%E7%B8%81%E8%B5%B7-538672
(光り輝いている)
仏性からの真如縁起

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
釈迦
菩提樹の下に坐して
戒律・禅定(サマタ)・智慧(ヴィパッサナー)とかをもって
悟りに達して仏陀となった(成道)

ttp://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
中観帰謬派
仮設としての
縁起している世界は
空性なので
変化しないものではない

ttp://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
すべての事象は独立してではなく
原因と条件(因縁)から成り立っており、それゆえ常に変化しています
0243おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/02/26(月) 09:47:30.13ID:fJmNLW1b
 
おじゃるの場合は
手放し出来てないけど

もし
色受想行識の
想いが依存している
無明している世界を
手放し出来ているのなら

>お釈迦さんの向かった先に 《真我》 なぞある筈もないわけだ

手放し出来てないのなら
仮設としての
無明している世界の中で
「我はあるはずだ!」と掴もうとしている想いが現れ(そして滅し)ている

(それ自体、単独で成立してる我は)存在しないにも関わらず
(それ自体、単独で成立してる我が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性が現れ(そして滅し)ている

青目(ピンガラ)中論 觀如來品 第二十二

人(おじゃる)は戯論を生じている
戯論して慧眼を破れば
是の人達は皆
仏を見ることはない

如来は戯論を超えている
0244神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 21:43:50.78ID:ZkL1AZF5
スマナサーラ長老の仏教法話@jtba_talk

ヴィパッサナーは一体感で気持ちよくなる実践ではなく、身体、感覚、心などの動きを観察して無執着に至ること。
ヨーガなどで「魂」にしがみつくことは、億万長者よりも激しい執着です。

9月23日@jtba_talk
スマナサーラ長老の仏教法話@jtba_talk

Q ヨガや気功と瞑想の関係は?

A 基本的にヨガや気功は肉体中心の訓練なんですね。
シンプルな動きをしていると肉体の激しい波は落ち着いてくる。それで終わり。心の成長というものはないんです。
ヨガはそこから魂論を説く。仏教から見ると無知はそのまま。煩悩はそのまま。幻覚はそのままです。
http://twilog.org/jtba_talk/month-1509 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
0245神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/26(月) 23:26:03.46ID:nbnqEp3B
心理学をやっている、のがバカおじゃる、であるよ。
0246宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:00:48.69ID:6ufSQlP8
>>238
必死だな...

しかし、すでに古くてお役に立たなくなったもの、
間違った従来の常識はいつか必ず捨て去られる時がやってくる。
その時に必要なものは、強い勇気です。

『(師ブッダが現れていった)、
 ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去った
 ように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。』(スッタニパータ.1146)
0247宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:03:58.33ID:6ufSQlP8
>>244
どうやら、テーラワーダだけが唯一の真理であって、
それ以外の仏教諸派やその他すべての諸宗教は間違いだとして、もう悪口が止まらないという感じ...。
印象としては、他教団/他宗教すべてを邪視する日本の日蓮系諸団体と何ら変わらず同レベルの印象を受けます。

偉そうな割に、
とにかくこの方はピンからキリまで、何もかもすべてがまるで分かってない。
これから簡単に説明するのでよく勉強するように。

まず、アートマンというのは今日、「真我」と訳されるのが通例で、文字通り“真実の自己”だという意味です。
この真実の自己についてはおじゃるさんが度々、取り上げているように、
 『比丘らよ、この心は浄潔である。そしてそ〔の心〕は外来の諸随煩悩によって染汚されている。』
(パーリ増支部1.5/水野 弘元訳)として、この私はゴータマが本来、
大乗の採った最重要テーマとしての仏性(如来蔵思想)についても説いたものだと見ています。
経典というものは、編纂と発展の歴史の中でしだいに付加増大したり、或いはまた、都合の悪いものについては意図的に削除されたりして伝えられてきた。
「縁起」を根幹に据えた場合には誤解を生みやすく不都合とされたものは削除されたが、この経文ついては残ったということでしょう。
そして、真実の自己の追求こそが我々のしなければならない最重要目的であることについてはこうある。
 『“アートマンをアートマンとみて、それを追及し真実の自己を見いだせ”“婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ』
〈Vinaya, Mahavagga 1.13.p.23/attanam gaveseti.〉”

また、注目すべきは、
 『自己こそ自己の主である。一体、他の誰が主であろうか? 自己がよく調御されたならば、彼は得難い主を得る。』(Dhp.160)
さて、自己の主であるところの自己とは何か? よく考えてみよう。
そしてズバリ、一切を超越し縁起にも拠らない境地であるところのニルヴァーナについて語った経文『ウダーナ』には、こうある。
0248宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:06:34.65ID:6ufSQlP8
 【「比丘たちよ、しかしながら、まさに、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく
『形成されたもの』でないもの(涅槃)が存在することから、それゆえに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』
『形成されたもの』からの出離が覚知される」と。】(ウダーナ8.3)

つまり、一切である現象界の有為と涅槃である無為とはまったく異なるものであるからこそ、
その違いを認識できるということを述べているのだけれども、重要なのはこの“有為からの出離”
(すなわち、一切からの完全な解脱)を覚知しているのは誰(何)なのか?ということ。
縁起に拠らない永遠なる恒常世界としてのニルヴァーナにおいて、そのことを覚知している存在であるのだから当然、
現象界における仮和合の自己や煩悩に塗れた自己である筈はないのであって、
これこそが必然的に本来、清浄にして真実の自己であるところのアートマン、
恒常にして不滅のアートマン以外にはないということになる。

だから、確かにゴータマは「アートマンは在る」などという言い方はしなかったけれども、
理解できる人間、分かる者だけには分かる教えを残されたのだということ。
分からない者は所詮、それだけの者に過ぎないということ。
ただの幽霊レベルのこと一つすらも理解できず「在り得ない!」などと言ってるよう者などには到底、永遠に無理だから。
0249宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:08:22.87ID:6ufSQlP8
それから、「魂」はアートマンではないので勘違いしないように。
これも時空を超越した深層域の自己存在ではあるけれども、しかし、これは究極のアートマンのことではないから。
この魂については、ゴータマは五蘊の「識」のことであるとして明確に説いている。この識こそが母胎に宿る転生の主体です。
大乗の唯識派は、人間の心の奥底に潜むこの深層域部分を細かく分析し、かつ八つの識として分類。彼らは、これを「阿頼耶識」だとした。
これはつまり、我々の日常言葉でいうと転生の主体である「魂」だということであって、
転生毎において経験した記憶とデータのすべては魂の鞘であるコーザル体に蓄積されており、
修行者は魂との連結が次第に強固なものとなり、第四段階のアールハットのイニシエーションにおいてコーザル体は破壊され、
過去一切におけるあらゆる転生の記憶が蘇り、獲得した経験の記録データを自在に引き出せるようになる。
これがブッダの宿命智通です。

尚、これを究極のアートマンと誤認する間違いを犯しやすいので注意しなければならないのであって、
そのような勘違いのバラモン聖者たちについて間違いを指摘した教説がパーリ『梵網経』です。
0250宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:10:51.80ID:6ufSQlP8
 『「識に縁って名色がある」と、このようにすでに説いた。どのように識に縁って名色があるかというこのことは、アーナンダよ、この
ような観点からも知らなければならない。
 アーナンダよ、もし識が母胎に入らないとすれば、いったい名色は母胎において凝固するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 アーナンダよ、もし識が母胎に入ってから消失するとすれば、いったい名色はそのようなものとして現起するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 アーナンダよ、もし識が男児あるいは女児にせよ幼児の時に断たれるとすれば、いったい名色は増大し、成長し、発達するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 それゆえここでは、アーナンダよ、これが名色の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがす
なわち識である。「名色に縁って識がある」と、このようにすでに説いた。どのように名色に縁って識
があるかというこのことは、アーナンダよ、このような観点からも知らなければならない。
 アーナンダよ、もし識が名色のもとに依り処をうることがないとすれば、いったい未来に生老死苦の生起の存在が知られるであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 それゆえここでは、アーナンダよ、これが識の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがすな
わち名色である。
 アーナンダよ、この限りにおいて、あるいは生まれ、あるいは老い、あるいは死に、あるいは逝去し、あるいは生処に達するのであり、
この限りにおいて言葉の通路があり、この限りにおいて語義解釈の通路があり、この限りにおいて定立の通路があり、この限りにおいて
慧の領域があり、この限りにおいて流転を繰り返し、この況位を表すことになる。それはすなわち、名色は識とともに互いに縁って生起
するのである。(ディーガ・ニカーヤ 15, Mahānidānasuttanta /PTS vol.2, pp.55-71)』
0251宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:18:16.80ID:6ufSQlP8
 『atmanという言葉は必ずしも否定の対象となっていないのである。以上のように、古い経典ではatmanやattaと言われた我の否定ではなく、
atmanでないものをatmanの如くみることを斥ける意味で無我を説き、atmanをatmanとして正しくみ、“真実の自己をたずねよ”といっている
のである。非我なるものを我とみてはならないというのである。この意味で、佛陀の教えは必ずしもインド的なものから全く別であったといっ
てはならないであろう。ところが、やがて此の“アートマンでないもの”ということが“アートマンを有しない”という形容詞として用いられ、
我の存在の否定の意味をもつようになり、これが、部派佛教の考え方となったのである。我を常一主宰と規定して、そのような何者かがあると
するのが、輪廻転生を説くバラモン教のおしえであり、其にたいしてそのような我はないというのが釈尊の教えであると考えたのである。この
ように、古い経典に用いられた「我」の理解がどうして解釈の違いをおこすことになったのであろうか。恐らく、かの『ミリンダ王問経』に見
られるような、ギリシャ的な思想の影響をうけて形成された説一切有部の教学の性格によるのであろう。』
(武邑尚邦著『東西思潮と仏教思想』)

「アートマンは無い」が無我の教えであるなどというのは、
部派時代に生じた誤解がそのまま今日まで継承されてしまったものです。
それが近代仏教学の常識なのです。
0252宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/02/27(火) 16:20:59.65ID:6ufSQlP8
それから締め括りにいっておくけれども。
スリランカ仏教の出身者ならば、恩をアダで返すような真似は止めなさい!
テーラワーダでは、人の恩というものついては説かないのかな???

今日、あなた方(長老)のように悠々と日本で布教できる余裕が持てるようになったのは、
消滅の危機に苦しんだスリランカ仏教を復興すべく自分の残りの全生涯を捧げた英雄、
神智学協会初代会長オルコット大佐の尽力の賜物であることに感謝しなさい!
神智学協会は、国家や人種や宗教の違いを超えて全人類にとっての共通する有益財産を守る奉仕活動をしている。
インド独立運動の支援もスリランカ仏教の復興などもその一つです。

http://barc.ryukoku.ac.jp/research/upload_file/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E2%85%A2_web.pdf
(第T部 報告U-スリランカ仏教におけるオルコットの業績/龍谷大学アジア仏教文化研究センター2012年度 第1回 国内シンポジウム)
http://www.j-theravada.net/gallery/bukki.html
(仏教旗の制定・ウェーサクの祝日化)
0253神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 16:54:53.24ID:ZsN30tYn
誰が気づくって普段の自己でしょうがw
0254神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 16:58:29.40ID:ZsN30tYn
真実の自己なら、自己なんでしょうw
そのようなものを仮定すると認識が動いて見失うから、そのようなものはないと説いたのでしょう
一切法の内にないものを、あるよー
と言ってみても仕方ないからでしょう
わからんけど
0255神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 20:48:51.44ID:aXuRGX+p
各画像とも読み方は下のツイートから上のツイートへ
https://i.imgur.com/HFNJXGH.jpg
https://i.imgur.com/sb7kgZG.jpg
https://i.imgur.com/Xm6iGWn.jpg
https://i.imgur.com/xkLwr9T.jpg

さらに

ヨガのブラフマンやアートマンはニルバーナか?
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/12/04/050000
の特に冒頭と結び

スマ長老の恩知らずは残念かもしれないが、バラモン教ヒンドゥー教への指摘は正論に思える
0256神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/02/28(水) 07:46:04.35ID:YRq823wR
https://i.imgur.com/sb7kgZG.jpg

こういう考えよりも

パラマハンサ・ヨガナンダのコトバ・2
罪とは無知
http://mandalaya.com/pa-yo.html

こちらの考え(思想)の方が好きだな

「犯した間違いと自分自身を、決して同一視してはなりません。
 あなたは神の子です。神との永遠の絆を結ぶ権利を主張しなさい。」

この短い言葉一つにでも目覚めることができれば罪は自制される
0257宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 14:50:11.96ID:JghjPGMn
>>255
>バラモン教ヒンドゥー教への指摘は正論に思える

指摘が正論ね...
まっ、一般的な論調としては確かにそうかもしれない。
池上 彰先生だったら、或いは『いい質問ですね〜』ときたでしょうかね。
けれども正直、この私から見ればただの小学生といった感じでしかない。
或いは、ただの「駄々っ子」ってところかな...。
たぶん批判したくてウズウズしてるから、こういった感じの論調なのかもしれませんが...、

>『ブッダは古代インドにあった創造神(ブラフマー)のような屁理屈を認めていたわけではない』

細かい話ですが、「ブラフマー」とは後代のヒンドゥー教の人格神なので、
古代バラモン教時代であれば「ブラフマン」とすべきでしょう。
まずいえることは、ゴータマが創造神について馬鹿にする筈はないのであって、
実際、当時のバラモンたちはゴータマのことをブラフマンと呼称して褒め讃えていたのであり(『Sn.508』)、
そのこと自体をゴータマ自身が否定(「わたしはブラフマンなどではない」と)したこともなければ、
「そのような呼称は不適切なので止めるべきである」などと相手を諭したこともないのだということ。
まさか長老は、ゴータマが「創造神などはない」として否定していたものだと誤認してるわけじゃないでしょうね。
確かに、“原始仏教において創造神は説かれておらず、寧ろ、そのようなものはない”
という立場にあるものと見なしている人も多いのも事実です。
しかしながら、実際に原始経典を読むならば、ゴータマは創造神の存在を当然のごとく認めているのであり、
そのことが当たり前過ぎることだからこそ、敢えて態々、このことを説く必要がないものだとしていたことが分かる。
自分で確認することなしにただ信じている人々と一緒にするな、ということ、

『「本当に、神は、この世に存在しているのですか。」
「私は、神が居ることを、自ら確めている。故に、居るのかと問われたら、居ると答える。
しかし、問われないならば、答えることはない。」
「ゴータマよ、その訳は、如何してですか。」
「人々は、神が居ることを、徒に信じている。確めることなく、信じられている、からである。」』
(パーリ中部.第100経/サンガーラヴァ経.第4章)
0258宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 14:52:31.39ID:JghjPGMn
>『人間の感情(貪瞋痴)が強ければ強いほど、永遠の魂について考えたりする。』

「魂」とは阿頼耶識のことであり、
先にも述べた通り、ゴータマ自らが母胎へと宿る転生の主体であるところの「識」として説かれたものです。
また、“永遠の意識(生命) ”についての希求という意味合いにおいては、あらゆる人々が当然のごとくそれを望むのみならず、
これは仏教においても、その目指すところの目標であるニルヴァーナこそが“究極の不滅の境地”だとしているのであるから、
これこそが真実の不滅の意識だということになる。
ある意味ではこれを「ニルヴァーナ」と呼ぼうが、または「アートマン」と呼ぼうが、
キリスト教が「永遠の生命」だと呼ぼうが、実際にはそれは大した問題ではない。

 『ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、
不滅のニルヴァーナの境地である。』(Sn.1086)
 『これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である。』
(ウダーナヴァルガ26-29)

 『涅槃の語は仏教以前から存在したらしく、---中略---しかし涅槃と同じく生死輪廻を超えた悟りの境地として、
パラモン教では古くから不死(amrta甘露)の語があり、仏教でも不死は涅槃の同義語とされた。』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』p170-171新版第1刷/春秋社刊)
0259宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 14:53:26.96ID:JghjPGMn
>『不変の我は在り得ないが』

だからそれは、この現象世界であるところの“一切(有為) ”においては、ということ。
そのことが「諸行無常」(現象界におけるあらゆる諸々の物質的存在のすべては流転変滅を続ける)であり、
「諸法無我」(同じくこの一切には不変不滅の存在はない)です。仏教における一切とは無為を含めない限定意です
(勝手に一切内にも「無為」を含めたのは部派であり、その結果が『阿毘達磨』だということ)。

>『(汚れない魂があるなら、)人は罪を犯してもいい事になる。絶対的な我が在るなら、悪を犯しても善を行っても、我に与える影響がない。』

汚れない魂があるなら影響しない筈だから、だったら悪事を行っても何をしてもいいということではないのであって、
我々は本来、その清浄なる魂(真我)であるということを自覚することができないから誰しも過ちを犯すし、悪事すらも働いてしまうのだということ。
であるから、我々はこの意識に目覚める必要があり、それを可能にするには修行が必要だということ。
修行によって煩悩という汚れが除去されるならば、当然、本来の清浄なる自己に目覚めることになる。
そうすれば、もちろん悪事を働くことはないし、二度と苦悩することもない。

>『我はアートマンのこと。無我はアートマンがないという意味』

違います。ゴータマはそんなことを言ったことは一度もない。
ゴータマが説いたのは、「それらはアートマンではない(非我)」、
「アートマンでないものをアートマンとして見ることなかれ(つまり、アートマンであるものをアートマンとして正しく見よ!)です。
先にも述べたように(>>251)、無我を「アートマンではない」などという間違った解釈をしたのは部派仏教であって、
これがそのまま間違って今日の仏教教団へと継承されました。つまりは伝承ミスです。
世の中には100%完全無欠のものはないというのが仏教の見方ですが、
そのことはブッダの教説の伝承においてすらも例外ではなかったということ。
悲しいことですが、これが近代仏教学における現在の統一的な見解です。
0260宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 14:54:57.84ID:JghjPGMn
 『anattan(無我、我ならざるもの)の語は、ブッダも使います。ブッダの教えの中で重要な用語です。 これは、「主語+述語」の文の、
述語に置かれます。「苦であるものは、我ならざるものである(=我 ではない)」ということで、「無我」は「我がない」という意味では
ありません。「我ではない」という意味 です。
 ブッダの教説の中では、attanが主語におかれて「我がない」とか「我がある」とかいう文は作ることはできないのです。『ブッダ論理学
』の【難問5】にあります。彼の教説は、生じ滅するものだけを扱うからです。しかし、生じ滅する「色」が、我ならざるものであること
は、述べることができます。述語には、規定はありません。だから、「無我(我ならざるもの)」という言葉も出てきます。
 ただ、いつの頃からか「無我(anattan)」に「我がない」という意味が混入してきますね。(部派時代頃かな) これは、経典を作りかえ
たとかそういうことではなくて、解釈として、このような解釈が入ってくるということです。』
(石飛道子ヴェブサイト『マニカナ掲示板過去ログ2739.』)

この点、同じ南方上座部でもタイのテーラワーダ高僧プッタタート比丘の場合は、
「涅槃をアートマンと呼んでも良いのだが、仏教では人格化を避けてこの表現を使わないのだ」と述べたらしい。
それが本当ならば、実に素直で正直な僧侶です。これこそ本物の高僧ですね。
0261宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 14:56:45.18ID:JghjPGMn
>http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2016/11/17/040000
> (覚りをひらいたと長老が思われる人は、どれくらいの頻度で現れますか? 回答(スマナサーラ長老))

たまたま、関連リンクを開いたところ、とても気になってしまった長老の小学生レベルの解説があったので取り上げておきます。
長老によれば、覚りというのはたったの1日で十分だそうです。
できる人は午前中にも覚れるとのこと。ただし、“心が素直”ならばということらしい。
しかし、この心が素直という部分が曲者であり、そんな人間がいるはずはない? のだから、
結果的には簡単に覚れる者などはいない、ということになるのかどうか?
いや、そうではなくて、やっぱり覚りは誰でも簡単にすぐできるもの、ということをいいたいのか否か?

とにかく何れにせよ、こういった日本の禅的な発想は話にならないので止めてもらいたいものです。
非常によく見られるパターンなのですが、“コンダンニャの悟り”を
まるで最終解脱した一切智者と混同するかのような同一表現で以て、「悟り」「覚り」と呼ぶ人があまりにも多い。
正しく、「悟り」というものは多様かつ段階的なものであって、
それはクイズや数学の解答がわかったようなレベルから、究極のニルヴァーナに達するレベルまでピンキリだということ。
コンダンニャの場合には、四沙門果(修行者が得る四つの結果)の、
つまり「預流果(須陀洹)」、「一来果(斯陀含)」、「不還果(阿那含)」、「阿羅漢果」の四段階における預流果のレベルです。
この四沙門果をみれば分かるように、ニルヴァーナに達するには修行を始めてから何生涯もかかるものだということ。
そして、本来的には仏教のいう「悟り」というのは、最終段階の解脱においてのみ該当するもの。これ以外を指すものではない。
だから、安易に自分は「悟った」だの、これこれしかじかで「悟れる」だのと軽々しく喋るべきじゃないから。
これは、とても恥ずかしいことです...。

>http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/12/04/050000
>(ヨガのブラフマンやアートマンはニルバーナか?)

次、これはまた後でやります...。
0262宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/01(木) 15:09:32.66ID:JghjPGMn
>>259
訂正:
 ×「無我を「アートマンではない」などという間違った解釈をしたのは部派仏教であって、」
 ○「無我を「アートマンはない」などという間違った解釈をしたのは部派仏教であって、」
0263神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/02(金) 00:46:05.18ID:qyHSFcwn
>>262
色々お詳しいですね
仏教においてコレだけを読んでおけば大体のことは理解できるっていう書物ってありますか?
0264神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/02(金) 21:50:45.43ID:dUAjjc97
スマナサーラ長老の仏教法話

>ですから「我」説と悪の存在は両立できません。
>(汚れない魂があるなら、)人は罪を犯してもいい事になる。
>絶対的な我があるなら、悪を犯しても善を行っても、我に与える影響がない。
>無常だから(無我)、道徳が成り立つ。つねに改良しないといけなくなる。
http://twilog.org/jtba_talk/month-1106

これはバラモン教ーヒンドゥー教よりもむしろ、六師外道の一人、道徳否定論者のプーラナ・カッサパの思想そのものかな?

プーラナ・カッサパ

>その哲学上の立場をアキリヤヴァーダ akiriyavâda (非業論)と称する。
>人には永遠の魂があり、たとえ人が死んでも魂がなくなることはない、
>したがって、行為自体は魂に影響を与えず、
>どのような行為をとってしまってとしても魂は永久に存在し続けることを、道徳無用論のかたちで主張した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%91

六師外道についてはスマナサーラ長老も詳しく解説してたはずと思って調べたらあった
沙門果経への解説の中に
http://www.j-theravada.net/explain/index.html
0265神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/03(土) 09:16:09.97ID:6ygDAt8L
【悲報】仏教僧は、他教徒よりも「死を恐れ、自己中」だと研究で判明! 僧侶のイメージ完全崩壊… 全宗教で断トツの俗物
http://tocana.jp/2018/03/post_16177_entry.html
0266神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/03(土) 09:38:28.29ID:q/DaS+xX
261.
悟りの心理学である。
宗教は心理学ではないよ。
0267宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/03(土) 12:54:55.21ID:CkacnKX3
>>262
・田上 太秀(著)『図解 ブッダの教え』歴史がおもしろいシリーズ Kindle版/西東社
・水野 弘元(著)『仏教要語の基礎知識』春秋社刊

今は、様々に分かり易い良い書籍が出てるので自分でアレコレ手に取ってみるといいです。
ただし、“超訳ブッダ”とかの仏典訳書はダメです。あれでは変質し過ぎていて意味が正しく伝わらないから。
私からは、入門書として強くお薦めできるのは田上氏のこの本です。
一つ一つについてはさすがに深い処までは掘り下げていませんが、
しかし、仏教の教えについての殆どすべての事柄について丁寧に網羅してある。
そして、深く調べるためのヒントも提供してくれている。まさに持ち歩き向きのミニ辞典といった感じ。
それから、内容はかなり難しいですけれど、仏教を学ぶならば絶対的に必読必携すべき辞書としてお薦めしたいのが、
水野『---要語』です。とりあえずは、この二冊かな。

それと、
「無我」の正しい意味は「我ではない(非我)」ということであり、
決して、「我はない(我がない)」という意味ではないことについては、
最近の書籍を開いても、あまり明確には触れられてはいないと思います(石飛氏くらいかな)。
何故ならば、著名な仏教学者の多くがいずれかの宗門に属している僧侶でもあるからです。
つまり、それがどんなに素晴らしい研究であり、真実であろうとも決してしてはならないのが、
宗門の教えに反する内容や宗門の権威を傷つけるような内容を書くことなのです。
これをすると、最悪の場合には破門されて除籍となります。
つまり、どうしても書きたいのであれば門外漢の部外者として勝手にやれ!ということ。
だから、差し障りない程度のものしか書けないのです。

また、基本的にはすべての僧侶が、「我は無い」と教わっているので、
それはダライラマも例外ではなりませんが、けれどもこの方は実に頭がイイです。キレキレ!! 
なので、法王猊下の書籍はとても良いと思います。
0268宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/03(土) 13:03:29.13ID:CkacnKX3
>>264
すでに>>259にも述べたように、
魂そのものは清浄であるから何をしてもいい、悪事を働いてもいいということにはならない。
魂自体が清浄のままであってもその周囲には煩悩の汚れが纏わりつき、
悪しき行為による業作用を受けて魂が留まる環境が悪化するから。
魂が清浄なのに、それは何故? などと言われても困るのであって、「だから、そうなっているからそうなんだ」としか言いようはない。
何故、魂は在る? 何故、それは最初から清浄なのか? といったものはそもそも愚問だということ。
地球があるのは何故か? 空気は何故、見えないのか? 見えたら、どうしてダメなのか? といった愚問と同じです。
もしも、それが科学だったならば無意味ではないでしょうが...。
「そんなことは分かり得ないし、もしも分かったところでどうなる?」(毒矢の譬え)というのが仏教の採る姿勢だから。
そして、現実問題としては、煩悩という汚れを取り去って悪しき業を積まないようにしなければ、
結果的に苦しみを受け続けるのは自分自身(魂ではないが)なのだということ。
この本来、清浄そのものの真実の自己に目覚めるためには修行が必要なのです。
一度、すべての汚れが取り払われて本来の自己に目覚めたならば、二度とその状態が失われることはない。

>魂は永久に存在し続けることを

それから、
勘違い者があまりにも多いので少しだけ細かな話をしておくと、
「魂」(ジーヴァ)というのは永久不滅ではないから。
これは転生のための主体であり、要するに転生が止めばその役目を終えて消滅するもの。
正確には、元々の本体であるところの真我(アートマン)へと吸収されて消滅する。
それが完全解脱の本当の意味。

まっ、仏教圏にはそのことを知る術はないでしょう。
そもそも仏教はそういったメカニズム的なものや理論値を解説するような教えの性質ではない。
だから、経典にも書かれていないし、歴代の僧侶たちもそのことを分からない。
0269宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/03/03(土) 13:05:29.71ID:CkacnKX3
レス番ミス
>>267は、>>263宛てのレスです。
0270神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/03(土) 18:09:28.80ID:3YcTkeyd
268.
完全解脱、か。
転生、か。
バカ丸出しであるよ。
そんなものは存在しないよ。
迷信である。
0272262
垢版 |
2018/03/03(土) 21:45:34.45ID:6eJWFV+M
>>269
ありがとう
0273パーピマン
垢版 |
2018/03/04(日) 09:34:14.43ID:VZkRmQHA
>>265
>仏教僧は、他教徒よりも「死を恐れ、自己中」だと研究で判明!

うん、これぞまさに道の人の理想形w

仏教僧の鏡だねwww
0274パーピマン
垢版 |
2018/03/04(日) 09:49:06.09ID:VZkRmQHA
鏡・・・・・・変換間違えたw

鑑 ねw
0275神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/04(日) 10:27:21.26ID:cgP1AOda
末尾のまとめは、よくできてるじゃないかw  >>265
(見出しは煽る気満満としか思えないがw)



>研究チームは、30人の仏教学者に仏教の教義に照らして最適な回答を聞いて 『 >仏教学者に 』

>実験に参加した修行僧の瞑想レベルを考慮していない

>ここから反照的に明らかにされることは、「仏教僧は無我で利他的な聖人君子」という極めて東洋趣味的なイメージを持つアメリカ人研究者
0276パーピマン
垢版 |
2018/03/04(日) 12:10:39.84ID:VZkRmQHA
>末尾のまとめは、よくできてるじゃないかw  >>265
>(見出しは煽る気満満としか思えないがw)

そだねーーーww

見出しで煽って読ませる作戦ww
0277DJ学術 
垢版 |
2018/03/04(日) 12:24:49.38ID:xZ3E/ah9
外道路。
0278承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/03/04(日) 14:03:36.44ID:juHYUncI
鏡には虚像が写るっつー、猿でも知ってる常識を教えられて喜ぶ悪魔の図。(笑)

(^。^)面白いよ、うん。(笑)
0279パーピマン
垢版 |
2018/03/04(日) 14:43:58.38ID:VZkRmQHA
なんだ? 珍しく承狂がきてるじゃないかw

せっかく来たんだw  宝珠に密教について教えてもらいなさい。

最近、彼は頑張ってるからww
0280承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/03/04(日) 15:11:09.09ID:fHf9nY0f
>279
密教は師子相承の法ですので、資格のない人に教えてもらえと奨めるのもアウト。(笑)

(^。^)良かったな、故郷に帰れるぞ?(笑)
0281神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/03/04(日) 17:10:00.22ID:nplr6MfC
主治医と話をして
反応から妊娠は嘘
だと感じてるけど
ね…
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況