>>116
>以下の章でも経典読誦の功徳で締められているのだが
>この功徳は灌頂を受けた僧侶にのみ与えられた特権で在家の信者には無縁なものなのかな?

当たり前の話ですが、密教のすべてを在家のままで修得することは不可能です。
では、どこまでが在家のまま可能であり、或いは許されたものであり、
また或いは、できれば身につけた方が得策といえるものなのでしょうか?
これはあくまでも個人的な私の見解にしか過ぎないものなのですが、正直なところを述べさせてもらうと、
そもそも経の読誦によって謳われる功徳や霊験というものについては、私などは話ソコソコの話半分程度のものとして受けています。
経に書かれた意味であるとかその読誦の霊験功徳というものはすべて似たり寄ったりが多くて、
ただ唱えるだけで罪障消滅し、五逆罪も救われるだとか、殆どそんな文句ばかりです。
私はそういう文句などは殆ど信用していません。
要するに、ゴータマの説かれた基本的な真理であるところの縁起と業報の教えに反する在り得ない内容でしょう。
だから、この私は大乗諸経の意味などには最初から殆ど価値をみていないのです。
それと読誦による功徳霊験でいうならば、経文ではなくて真言陀羅尼のほうでしょう。そのためのマントラ(呪文)なのだから