>>360
見るものと見られるものは同じである
と、クリシュナムルティが言ったという
しかし、この見るものは見られるものであるという不二の事実、は、確かに、そのとおりであるが、それに気がつくことが、即、悟りというわけではない
これらは縁起しえいるわけだが、つまり、相寄っているのだが、その、自然活動の中で、人間の肉体の欲求や反射的行為、それに付随する快楽への依存や、不快感への怒りなど、様々な精神活動から、わたしなる思いが、休止する必要があるからである
この休止は、欲するという機能との戦いなしには達成されない
心理的な修練なのだ
この力には様々なレベルがあるのである