>>239
「応に住する所無くして、而も其の心を生ずべし」の「心」というのが
眼耳鼻舌身(六根)とかに思いをつけていない(主体対象に分かれていない)
本来のありよう(面目)ってやつで
これを「不生不滅」と呼んでいると思う

これに気付きまみえて、そこに居るようにできれば
生死の不安というのも無くなるか減るかでは?

「生死」は生死として現れではあるけど
生死に引っ付く「失われる不安や恐怖」は
「生死」という対象に引っ付けた思いだから