まとめると、私たちは神の愛が全員を包むために
私たちを通じて延長されるとき神を選んだと
知るだろう、無論、行動上ではなく、想いのレベルで、
そこで誰も愛から排除したくないと願うときに。もし
この裁きなしの条件に見合わないときは、自我と
その特別性を選んだとわかる。これは学ぶと助かる、なぜなら、
そうでなければ無意識となる、愛の完全な一元性と子らの
対等性への恐怖を、さらけ出させるからである。この愛を
体験するかわりに、小さな神々の特別性、差異、そして
裁きへの祭壇と教会を建て続ける、存在の継続を確約するから。
心の自我への選択の合図に気づくことを学ぶのは、自分自身や
他人に罪悪感をなすりつけることなしに、苦しみと
不幸に対する全的な責任を受け入れることを助ける。
コースのメッセージへの恐れを理解することにより、それを
重要になるために投影しなくなる、そしてこれは
心を変えるためのコースであり世界を変えるための
ものではないと気づくようになる。