このスレでも繰り返しいろんな方が書いてきたことだと思いますが、
シーザーのものはシーザーへ、です。

この社会に我々はリアルに生きていると現在は捉えています。
そうである以上、社会の中で普通の社会人として生きてく必要があります。
お金がなければコースの教材も手にすることはできません。
すべて幻影だから、と信号を無視して運転すれば大参事を招きます。
食べなければ飢え死にしてしまいます。

コースの赦しとはそういうレベルで実践することではありません。
原因のレベルにおいて人知れず実践されていくものです。
この社会の中での言動にそれを価値判断の基準として当て嵌めようとすれば
それは結果についてのコースということになってしまいます。

何が原因であり、何が結果なのか、
コース特有の基本的な前提が欠けているからこそ、
この批判者はいつも頓珍漢な言いがかりをつけてくるわけです。