世界はとっくに終わっている。それを作り、少しの間愛した
 心の中からも、考えは消えている。
 罪悪の結果ももうない。罪悪は終わった。帰結は元凶もろともに去った。
 なぜ記憶にこだわる、その結果を望まないなら?

この結果とは、他人に罪をなすりつけた上での無垢、
従って罰は相手に下るという自己概念である。
そんな無垢な自分をとっておくために、
神を自分の側につける以上のやり方があるだろうか?
だから自我は見事に思考体系と世界を作る。
神をそこに持ち込み、分離したと確約するだけでなく、
そこから出来上がる世界はいっぺんに神聖で罪深く、
そしてもちろん重要だと。
こうして世界とそれを作った罪悪の幻想性反して
ーどっちもとっくに終わっているー私たちはそれを信じる。
差異をもつアイデンティティ欲しさに。