「想念はその源を離れず」、「投影が知覚を作る」のだから、
私たちが外側にあると信じるものは内側にある。
コースの中心的教義は「世界はない」である。それは
起こったこともない「小さな狂気の考え」の投影である。
つまり問題は世界ではなく世界を信じることである。
ーなぜありもしないものが問題となるだろうー
この区別は決定的である、天国がそれにかかっている。
自我は文字通り、問題と解決の両方のありかである
心をないものにするために、
世界とそれを占める肉体たちを作ったのである。
心へと戻らなければ選び直すことはない。
天国か地獄か、神か自我か、大いなる心か世界か。
つまり救われなければならないのはありもしない世界ではなく、
源を離れられると信じる神の子の心である。

世界を救おうとすることの狂気は、だから、二つの幻想の競演である。
ありもしない自己がありもしない世界を救う。
幻想で終わる以外ありえない。