私たちは、出来れば、そのような残酷な思いを感じていたくはありません。
だから、その、危害を与えたと思っている人に、
出来れば消えてほしいし、どこかに行って欲しいし、
あるいは、殺してしまいたい、と、どこかで思っているのかもしれません。

そうすれば、自分の残酷な思いに、直面せずにいられるし、自分は善人で、
相手が悪人でいられるからです。

つまり、その残酷な思いの原因は、兄弟にあるのではなくて、
神に対してひどいことをした、とうい内的な夢に原因があるといいます。

本当は、こんな心の底にしまってある、残酷な思いを直視したくありません。
というより、あまりに恐ろしくて直視できないといいます。

でも、兄弟が、変わりに、苦々しい人として、投影として現れることで、
自分の内面に何があるのかを教えてくれるのです。

本当は、ここを赦さないといけないんだけど、
ここが一番むずかしいのだと思う。

ここを少しずつ赦せるように、聖霊と一緒に、一歩づつ階段を上がってゆければと思う・・。

長文ごめんね。