まず誤りを見ないと真実に辿り着けない
https://youtu.be/nZgZHNNizSw

世界に快楽や苦痛を与えるパワー、
幸不幸を決定するパワーがあると考えるのは、

小さな狂気の考えの木霊です。

小さな狂気の考えは問題じゃなく、
それを本気にしたのが問題でした。

それは分離の考えだったので、
分離の夢になります。

だからそれに微笑むのが答えになります。

なぜ我々には一人ずつ個別の世界があるのでしょうか?
それは心を隠すためです。

世界で物事を直そうとするのは狂気だし、
世界自体が幻覚です。

選ぶ心は観察者です。
聖霊と共に戦場の上に居り、
これは攻撃だけれども、
本物ではない、とわかること、

誤りを裁かないこと、
裁くべき誤りを見ないことが奇跡です。

誰の自我を見ても裁かず、
自分の自我を見ても裁かず、
しかし、見ることをやめないのが
赦しです。

なぜなら一度本気にしてしまったものは、
もう一度見直さないと正体に気づかないからです。
それがただの煙であっても、
なんの正体もないただの無であっても。

問題は誰かの自我ではなく
自分の自我です。
誰かなんかいません。
みんな投影です。

投影を心に引き戻し、
イエスに赦してもらうことで平和にいたります。