ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 40
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ACIM(A Course In Miracles)「奇跡のコース/奇跡講座/他」とは、
純粋に非二元論的な霊性(スピリチュアリティ)の教えのひとつで
NYのコロンビア大学医学部の助教授だったヘレン・シャックマン博士が
7年間に渡りイエス・キリストから来たとされるインスピレーションを書きとめ
編集・校正し出版された本です。(現在では25の言語で出版されています。)
ACIMはテキストとワークブック、教師用マニュアルの3つから成り、
実践を通じて真理の悟りにたどり着く事を目標としています。
JACIM
http://www.jacim.com/acim/
前スレ
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 38
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1494430576/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 39
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1502976262/ ☆公認版ACIM邦訳書☆
『奇跡講座・上巻』(テキスト)
『奇跡講座・下巻』(ワークブック・マニュアル)
いずれも中央アート出版社から出版。FACIMワープニック博士の監督下、
JACIMの加藤三代子氏・澤井美子氏による共訳で邦訳。FIP公認版
☆JACIM副読本☆
『奇跡講座入門』 (中央アート出版)
ケン・ワプニックによるACIM紹介ワークショップの記録
『この宇宙は夢なんだ』 (中央アート出版)
奇跡講座を紹介する異色のコミック
『DVDビデオ:原因についてのコース/『奇跡講座』の概説』 (JACIM)
ACIMの骨子となるポイントの概説講義
『小冊子「原因についてのコース」』 (JACIM)
上記DVDの書き起こし
『DVDビデオ:「思考の逆転 – 『奇跡講座』の赦しのプロセス」』 (JACIM)
ACIMにおける「赦し」に絞って詳細に解説
『赦しのカリキュラム』 (中央アート出版)
ACIMについて最もよく訊かれる72のQ&A
『奇跡の原理』 (中央アート出版)
奇跡に関する50の原理について解説
『天国から離れて』 (中央アート出版)
ヘレン・シャックマンの生涯とACIM誕生の物語 ☆その他の重要関連図書☆
『神の使者』 (河出書房新社)
アセンデットマスター、アーテンとパーサとの対話
『不死というあなたの現実』 (河出書房新社)
アーテンとパーサとの対話の続刊
『愛は誰も忘れていない』(ナチュラルスピリット)
アーテンとパーサとの対話の3部作完結編
『奇跡の道― 兄イエズスの教え ― 1 本文・序文~第六章』(ナチュラルスピリット)
カトリック系修道会に在籍していた著者渾身のACIM邦訳、その第1巻 インターネット上の『奇跡講座』関連のやりとりを詳しく見てみるなら、
『奇跡講座』を歪曲してしまう自我の狂気の実例をたくさん見つけることができる。
しかし、分裂させ、歪曲することこそが自我の行うことなのだ。だから、赦せばいい。
原則として、インターネット上の論争には巻き込まれないほうがいい。
とりわけ、『奇跡講座』に関する論争の場合は、それが言える。
インターネツトでは、人々はたいてい匿名で語り、ただの書かれた言葉としてしか
存在していないので、それが無意識の罪悪感の投影のための肥沃な土壌を
提供している。君が目指すべきものは、赦しの達人になることであって、
論争の達人になることではない。
(『この宇宙は夢なんだ』より) 【ニセの赦し】自我のニセノ赦しっていうのは、こんな感じだ。
「世界は実在している。だから罪も実在している。
そして君は罪を犯した。でも僕ってすごく善良な人間だから、
君の罪は咎めないことにしてあげる。
だけど本当は君は有罪なんだから、そのことを忘れちゃだめだよ。」
【本物の赦し】対照的に、聖霊の真の赦しはこんな感じになる。
「世界は実在しない。だから罪も実在しない。
僕はこれらの有罪性のシンボルを見ている。
でも本当は僕らはみんなひとつの存在で、みんな無罪なんだ。
僕は今、この聖なる瞬間に聖霊の力につながって、
時間という非神聖な三位一体を超えて、
自我の罪悪のシンボルを咎めずに見る。
そうすれば僕の罪悪感は解けてなくなる。」
(『この宇宙は夢なんだ』より) まあ、テレビのワイドショーなんかをみていると、世界は罪悪感で成り立っているよな。 世界は自分の考えなんだから、その考えを赦すしかない。
神は想念であり、私も想念。
神の子が神の力で想念を実在のものにしてしまったんだね。
この世界でほんとにやるべきことって、
実はすごくシンプルかも。 ☆関係者の主な死因☆
『ヘレン•シャックマン』 (すい臓がん)
『ケネス•ワプニック』 (肺がん)
『ウィリアム•セトフォード』 (心臓発作)
☆名言等☆
『I hate that damnbook』 (Helen Schucman)
著者が晩期に自分の本を評価した際の言葉
作者の言行不一致や、病気についての過大妄想的な表現に注意。
チャネリングだからといって納得するのではなく、批判的な見方も必要。スピリチュアル界は玉石混交。 実践中は賞賛意見しか見たくない時期が訪れるが、批判的な意見も目を背けずに見るべき。
その上で実感するかどうか決めよう。
少しでも自分の良心に違和感を覚えるならば熟孝しよう。信仰者の解釈をそのまま受け入れるのではなく、批判的にも考えて見ることも必要。 ☆注意等☆
程度を問わず、精神疾患を患っている場合はコースを含むスピリチュアルには関わるべきではない。
精神疾患を患った状態でコースを実践して、妄想がより悪化した例が掲示板の書き込みやブログに散見される。 まさしく。
何年間にも渡ってACIMへの敵愾心を滾らせ続け、
嫌がらせを繰り返す精神疾患患者の例が直近の書き込みに。 意地悪な奴が邪魔したwwのでこっち書かせて、スレ汚しごめん
わたしたちが自分をエゴだと思っているうちは、この世界も不完全だってこと
私たちのエゴが破壊的だから、世界も破壊的で残酷だ
足らないと信じていれば、足らない世界という幻を観る(この世界に作り出す)し
満ち足りていると信じれば、世界は飢えることはない
だって中世では餓死する人が大勢いたけれど、人口少なかったのに
今その時に比べたらどんだけ人口増えてるの?少なくてもこの日本で飢え死にする人は
稀だよ、多くの日本人が見ている世界と、例えば北朝鮮の人々が見ている、信じている
世界観は全く違う、北朝鮮の一部の人を覗いた国民は、足らない飢えているのが当たり前
自分の意志や行動で自分を取り巻く環境を変えられるとは思ってない人が多い
(何がチュチェ思想だ〜そんな体制を支持しているかの国の大統領は気が狂ってるとしか
思えない…ってまた悪口になってしまった)
わたしたちはある程度ドラマ(物語)を共有している、共同幻想って奴かww >>8この世界を許すってさ、そんな簡単じゃないよ
頭でわかっていても、自分の心、心じゃないな想念がつくりだしたドラマなんだと
言い聞かせても、やっぱ許せん奴は許せんww
肉体や日々湧いてくる思い=自分だという根強い信念から抜け出すのは容易ではない >>9だから〜これは宗教つーか信じるものじゃなくて実践するものなんだってば
身体が病気になるのは、エネルギー的に見てってこっから語ると長くなるからやめるが
身体も世界も道具と言ったら語弊があるかな?
ACIMを実践したからと言って必ずしも悟れる(解脱するほどにww)とは限らないが
何かにも書いてあったけど、少なくとも1000年の時短にはなるなと
個人的に思うけどね
このコースも、身体も物理的世界も、真実を知るための道具だと思えばいい 身体は使い切って死ぬ、ただ大事な道具だから大切に使う
まぁあっちへ逝っても想念ぐるぐるからは逃れられない
今目の前に問題や課題があったとする、苦しいから自殺して逃げようったって無理だから
目覚めるまで繰り返し同じテーマでドラマが展開される
それがねぇひとつやふたつじゃねーの、なんか気が遠くなるわ
とくに人間関係がねぇ、わたしゃ苦手なのよ、だから坊主とか修道僧とか孤独を選んだのか
そういう人生ドラマだけにたどり着いたのか知らんけど
いや一気に解決ってこともあるかもしれない、悟ればねww この偽りのちぃっぽけな世界は、神の巨大な王国の極々一部にあって
許容されている…香咲さんのワークブックのどっかにそんな絵があったな
今は闇の中にいて光が見えなくても、光はほんとうはすぐそこにある
のだと思いたいよ 新スレありがとうございます
よろしくお願いいたします🙇 もうエゴを錨(怒り)として使って、
自分をこの世界に繋ぎ留めるのは止めようよ
もうそろそろ神との完全融合状態に回帰すべきだ んなこたぁ〜わかってんだよ、頭ではww
ああ腹が立つ、怒っているわたし
どうしたらいいんだぁ〜、途方に暮れているわたし
想念ぐるぐるぐるぐるぐ…、堂々巡りしているわたしも
本当の私ではなく、エゴなんだってことはわかっているわかっているのに
んぁああああってなっているわたしww 自分の考えをみているのだから、自分の考えを修正することだ。
これが当面の目標だな。 我々は人間ではなく、人間を体験している霊的存在であーる。 世界を許すというよりは、世界は自分の考えである。
どっかで間違っちゃったんだね。考えなおそうぜ。 カエルの子はカエルであるのと同じように、神の子は神。
海の水の一滴が塩辛いのと同じように、私たちも塩辛いw
つまりは同じ味だということ。
神が光なら私たちも光。
神が愛なら私たちも愛。
神が心なら私たちも心。・・・
本来受け継いだ嗣業さ。
ベールの裏側にはこんなに素敵な世界が待っているのに、
世界に自分の考えを上書きしてみちゃうんだよね。
わかるよ。 わたしたち(のエゴ)を投影した世界が、今わたしたちが見えている世界だ
ってよく考えてみれば、これって宗教でもオカルトでも何でもない
わたしたちが信じていることが、世界観が、価値観が、観念が、映し出されている
つまり、この地球に暮らす人々の様々なが思いの集積がこの世界(の様相)だ
もちろん人類共通の思いが反映されているんだけど、
この地球上には様々な世界いや社会?いや国?wがある、そこに暮らす人々が
何を信じているか?何に価値を置くか?でその国の社会の有様が違うよね
例えばご近所さんなら、中国や半島の様相は日本のそれと違う、
アメリカにはアメリカの社会の様相がある、それだってその中身を見れば
様々な面があって一言では言い表せない、そして日々刻々蠢いき変化している
人々の思いもその国(社会)の形も無常、変化している
人の思いが日々刻々変化するから、世界も変化する
世界を変えるには、人々の思い(考え、感情・情緒・気分)を変える
どのように変わっていくかで、未来の様相も変わるのさ >>25自分の考えを変えれば、見える世界も変わる
外側の世界は、内面の反映だからってのはわかるんだけどね〜
頭でわかっていても・・・だから聖霊の助けが必要だから祈るんだけどさ
>>26エゴではなく、神の子(スピリットの光、キリストなんでもいいがww)の思いが
人々の心に反映すれば、世界の様相も変わるだろうけどね
神の光、平和、愛、叡智、もっとこの世界は良くなるんだろうけど現実は… わたしの歪んで濁ったww目でこの世界を見ると
世界はこれから混沌に向かっているように見える、
理想や理念よりも力によってものごとが推し進められ、一部の人間が力を振るい
大多数の人々が無力感に苛まれる、そして苦しみ悲しむ未来…
北朝鮮の現状がまさに↑だ、国の運命を決めるのは一匹の豚…じゃなくて
立派な将軍様で、逆らえばバズーカ砲?でミンチにされるか強制収容所送り…
自分の現状を変えようと思ったら、命がけで脱北するしかない
あんな様相が世界に広がったら?でもまぁあの国でさえ一応秩序が保たれている
秩序を失った国が増えたら、テロや内戦内紛、戦争…地獄の様相になるよ >>29あれはインチキとは言わないけれど、、、やっぱインチキだなww わたしが過去遡ってみて、何度も繰り返しているドラマのテーマ(の一つ)が
((無力感))、この重たく空しい感情を抱えているから
自分は無力だと信じているから、((無力感))を感じるような「現実」が
顕れるのだろうか?
ってこれって、私一人が抱えているものじゃない、多くの人が大なり小なり持っている
人類が共有しているテーマでもある
一人一人が自分の本当の力に目覚めれば、世界はもっと平和に豊かに幸福になる わたしにできれば、誰にでもできる
と思って思考錯誤あああああああああああ それもこれも消えゆく姿。世界人類が平和でありますようにw 救う、救われる・・。
自分は救われていない!というのも自分の考えだ。
そんな考えを大事にしているから救われていない世界をみる。
私たちは霊であり、霊ははじめから救われている。
神の中では何も起こっていない。
もう何もやることないな。
どうしようw 神は強さであり、その強さを信頼する。
それ以外は無力だ。 あとは世界平和のために働くしかないな。神様わたしを使ってくださいなw
でも、波乱万丈はやだなw わたしの(全ての人類の)本質である(本心さんw)スピリット、
それを真我とか全知と呼ぼうが内なるキリストと呼ぼうが
色んな呼び方があるけれど、それは救われているし、滅びることはないし
無力じゃないし、ビンボーじゃないつーか不足はないし、不安も恐れもないし
愛と叡智と無限の力がある、だけどそれがまったく、まったくわたし○○(名前)という
人格に反映されてないのが問題なんだ
わたしの本質は神の子で無限の力があると教わってもさ、実感がないんじゃww
悟っていない証拠だわ
たまに暗闇に星が瞬いたような、閃きを見ることがあるけれどね 私の場合は体外離脱ができるwwだから自分=肉体ではないってのは
実感としてわかっている
しかーし想念ぐるぐる、こっちがねぇ、浄化が必要よww
でもって早速「許し」で躓いている 理屈で「わかった」ってのは、本当はわかっていない
想念ぐるぐるは輪廻とはちょっとニュアンスが違う気がするが
これから完全に解脱wwして、完全に目覚めた人は少ないでしょ
もしそれができていれば、覚者とか聖者(スワミ)になるんだろうけどね
「わかる」にも段階がある、ってのも思い込みのひとつかもしれないけどね
一瞬で悟れたら苦労はないわ 運命の7割から8割は決まっていて、残り2割か3割が自由意志だという。
どこからが運命で、どこからが自由意志だというように、
自由意志と運命の違いは、聖者でもわからないそうな。 自由意志をまったく放棄してしまうのは問題だけど、
運命は受け入れるしかない。
悟るのも運命。悟らないのも運命。
運命の枠の中での努力。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています