被害者や遺族の事 まったく考えてないようだな
松本麗華@asaharasanjo
移送されたことはお昼頃に知った。何がなんだがわからなかった。理解ができなかった。
ただ、世界が遠のき、水の中にいるかのような感覚になり、手足が冷たくなった。
今日のような形で執行を知らされる日が来るかもしれない。私たち死刑確定者の家族はそのような状況を生きています。

記憶よ、消えろ。父といたころ、死刑囚となってしまったお兄さんたちとの記憶。すべて消えろ。何度願ったろう。すべてを忘れたら、悲しみもない。
死刑という制度はどういう制度なのか、いまだに私にはわからない。私は何もしていない。でも、私は大切な人たちの命を奪われる恐怖をずっと味わい続ける。

父たちと離れてもうすぐ23年。もう遠い過去のはずだ。だから、どこかで思っていた。
仮にその日が来ても、私は案外平気なのではないか。持ちこたえることができるのではないかと。
今日実感した。私にとっては過去のことにまったくなっていない。父も、そして父以外も私にとっては大切な人たちなのだ。

死刑は刑罰だ。死刑に値する犯罪を犯せば、死刑判決を受けるということだ。
私は聞きたい。私は一体どういう罰を受けているのか。なぜ、私がこのような罰を受けなければならないのか。
自分が死ぬのは怖い。でも、大切な人が殺される方がもっと怖い。変われるものなら、変わりたい。私を殺してほしい。

今日は暖かい日だったらしい。でも、コートを着ていてもずっと寒かった。
今回の移送がそのまま執行の危機が近づいているということではないようだ。だけど、私にとってはそのような問題ではない。怖くてたまらない。

想像してみてほしい。大切な家族が友人が知人が13人も殺されるかもしれない恐怖を。