0858CHRISTIAN.MORNIG☆restaurant
2017/12/14(木) 09:51:48.76ID:odSQbQdu否定者も両方間違っています。ヨハネ1:1
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。 」
ヨハネ1:18
「いまだかつて神を見た者はいない。
父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」
創世記1:章1は、創造主を意味し(ヘブル語) 、単語としてエロヒームという言葉が出てきます。
このエロヒームという言葉は、神を意味する言葉エルの複数形。
エロヒームの述語としての動詞バーラー(創造した)は単数形。
すなわち神の御言葉としての唯一神の複数性が語られている。
申命記6章
『聞きなさい。イスラエル。ヤハウェは私たちの神。ヤハウェはただひとりである。』
ここにある「ひとり」という意味で使われているへブル語は、
以前にレスしたように「エハド」であり、
エハドという言葉は、二つ以上のものが一つになることを意味します。
アダムとエバが「一体」となると表現されている所にもエハドが使われている。
(創世記2:24)。
アダムとエバが「一体」となると表現されている所にもエハドが使われている
(創世記2:24)。
ここでエハドは、夫婦あるいはキリストと教会が、
全人格的に一心同体になることを意味している
(エペソ5:31−32)。
エハドが意味する一つという状態は、イスラエル神殿の幕屋。
これは何枚かの幕がお互いにつなぎ合わされています。
そして一つという状態になり一つの幕屋となっています。
これがエハド、すなわち、
『聞きなさい。イスラエル。ヤハウェは私たちの神。ヤハウェはただひとりである。』
と書いてあるみことばの「ヤハウェはただひとりである」の意味です。
意味する一つである
(出エジプト26:6,11)。