如来、字のごとく「来たるが如し」と言うと「閃き、煌めき」的に己れに向こうから突然訪れるものなんでしょう。無とは糧を得てから吸収と消化と言う生態の蠕動運動だと思われる。
横隔膜の上で蠕動する心肺もまた来たるが如し、挿入から射精するまでは人為的な所作なんだが一瞬の煌めく命の為の本能的に突き動かされる。
真言読誦で谷(声帯)が震い其処を越へ御厨人窟(首、鼻口腔内)を響かせるマントラは文字通り中から六根を清浄するべく行、業なんだろう。