大悲は、mahakarunaである。
慈悲は、抜苦与楽のおとであり、慈が与楽、悲が抜苦である(岩波仏教事典)。
大悲と書くのは意味がある。
根が大悲はともかく、方便の究竟が慈悲では、大日経のコンセプトから大きく外れている。
60心を分析する意味がない。
金剛頂経の即身成仏は行者の仏身円満を目指すもの。
両部の大経と言っても、金剛頂経は、大日経の上書き保存と言われているくらいで、
歴史的にも新しく、金剛頂経の話を大日経で覆すことにはならない。
増上慢の上をいく最増上慢ID:DvVMCEEjもおとなしくしてろ。