>>92
>>88です
>>1でしたか、知らなかったため失礼しました

同時に間違っているということは
>>88で言ったことがすでに間違っていると言いたいのかもしれませんが
ちょっと理屈っぽいです

自分だけが正しいことが間違っている
といったのが間違いなんて言えば何一つわからなくなりますね

こういう教訓じみた言葉というものは、ほとんどすべてが戒めのための例えになっています。
客観的に、論理的に正しい言い方で、証明するような教訓は有りません。
教訓とは最初から教育のためです。大人であろうと間違うことがあるからです。

「たとえ勉強して確認したとしても、もっといい意見があるかもしれない」と
常に謙虚な気持ちですごしましょう、うっかりあやまちを犯さないために。
ということなのです

こいつの言うことは明らかに間違っていると勉強したら誰だって思います。
しかし、いつでもどこでもそれが絶対、というわけじゃない。
違うこともできる場所というのもが世界のどこかにある。

今の自分にも知らない世界はあるんだと、頭の片隅に残しておきましょう。
絶対にそうならなければいけないということではなく、
そういうつもりで過ごせば、間違いは減らせると思います。