前レスでスターリンの死後についてちょっと書きましたので、それについて簡単に整理しておきます。
唯物論者の落ちる「無間地獄」が2種類あり、片方は私が見た夢に酷似しており、おそらく90さんが感じておられた恐怖感とも関連しているでしょう。
対してもう一つの「無間地獄」はかなり様相が違います。この差は何なのでしょうか。

>>121 で1さんがいっておられるこの↓

>死後永遠に無になるのであれば恐怖を感じる主体(私)はいないですね。
>(私がいるのであれば無ではないので。)

という、論理的に正しい言葉がヒントになります。ただし、”死後永遠に無になるのであれば”でしかありませんが。
゛私がいるのであれば無ではない”と唯物論の゛死後の世界は無い”とを組み合わせて考えてみると、肉体の死を迎え、肉体を離れた唯物論者たちの魂(意識)は「自身の死」をどううけいれるか?
「私はいる(意識がある)ので、死んでなどいない」と思っているスターリンは、同じように考える唯物論者たちと”誰が指導者(支配者)になるか”を争い続けています。
「どうやら私はしんだようだ」と思ったマルクスさんは自分の意識が無くならないまま自身が作った「無の世界」で恐怖感に囚われ苦しんでいる。
と、私は考えています。ー 今後クンロクを使います。他の人は使わないでください ー