>>112

> 今までは多くの事に没頭し続けていましたが
> 一通り落ち着きそこから出た時に恐怖に襲われました。
> また何かに打ち込めば忘れられるとは思いましたが、それは逃げによる一時しのぎなのではと思いました。

違います。

なぜ何かに打ち込むことが逃げであると考えてしまうのか、
このことについて一切の前提を一旦脇に置いて、
確かめてみてはいかがでしょうか。

逃げることは悪いこと、
没頭する事は一時しのぎである、
と言う思い込みがあったりしませんか?

そこから出た時がデフォルトでありベースなのでしょうか?

とゆうかそもそも日々の中で「それだけ」になっている時の方が多くないですか?
そんなに特別なことでもないはずです。

ただそれをもう少し意識的にやってみてはどうかということです。

ご飯を食べる時はご飯を食べることに集中し、
歯を磨くときは歯を磨くことに集中する。
一期一会で毎回同じ事はなく毎回新しいのです。

> 一時的に忘れられてもいざ死が近づく頃想像を絶する恐怖に襲われるのではないかと。

死後の世界を体験している自分のことを想像して恐怖に襲われるのでしょうか?

死に至るプロセスを想像して恐怖に襲われるのでしょうか?

> しかし、立ち向かった所で死という問いの答えを出すことは非常に困難であるのも事実です。

死があるのではなく死を想像している私があるのですね。

> 膨大な時間を費やして考える事で苦しみ続けるのもどうかと思いますし、
> やはり今を全力で生き続け考えないようにする方がいいのでしょうかね

考えるという行為は創造行為なのです。
ご自身の望むものを創造すれば良いのではないですか?