一番正しい究極の教え
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>>2
イエスの教えが正しいことは、
どうやって確認すればいいのでしょうか? たしかに人は信じることによって癒されるのだけれど、
信じれないとつらい。
信じなくても癒される道はないのか・・・ってことですね。 そもそも、「○○である」、と断言するとき、
断言する者が第一原因になってしまっている。
たとえば、神はいる、と断言するとき、
そう断言する「私」が、
神が存在することよりもまず先に正しい必要があるのです。
神は私に支えられているのか?ってことです。
すると、
「いやいや、私が断言しなくても、信じなくても、神はいるのです。」
と言う人がいます。
やっぱり、あなたは、
「神はいる」
と言ってしまっているのです。 結局、「神はいる」ではなくて「神はいると私は思ってる」ってことだよね。 世の創造主たる神の存在を信じること。
そして、その神とは愛と公正で世を支配していることを信じること。
人間には自由意志が許されていて、善でも悪でも為す自由があるが、
必ず後に、自分の蒔いた種は自分で刈り取らなければならない、ことを知ること。 中野の哲学堂公園で、ブッダと老子とアブラハムとキリストとイクナートンの5人の像が眺めてる
あの丸いボールのことだろ >>4
新約聖書読んでみるとわかるよ
それでもわからないときは
終末までまつか死んだらわかるよ
死ぬ前に 死ぬまえにイエスをしんじないとまにあわないから早めに聖書よんで判断してね 一番ただしい究極の教えとは、我、オケアノスが率いる、究極の24戦隊
長老軍である。
ヤハウェーの閣下も正された。プルートーのメシアもうまく上達した。
あとは、メシア、イエス閣下が来臨なさるのを待つだけだ。
オケアノス長老より。 >>10
信じれないときはどうすればいいでしょうか? >>10
神を信じる私の判断は正しいのでしょうか? 人はどのようにして癒されるのか?
・・・といったところでしょうか・・・。 >>19
神を信じるという判断は正しいよ。
目には見えないけど、本当に存在するから。
真剣に意識してると、働きで確信できる時が来る。
そして、なかなか善行は難しくとも、せめて悪行はしないように生きると運命的に吉。 >>21
人間が本当に心底から癒される為には、
【神の存在と、神の全知全能と完全愛情】を信じること。
それしか無いと思う。
無神論の人間は、そんなもの有るはずないと笑うだろうけど、
実は本当に有るし、それが真理だから。 >>22
どうすれば神を信じることが正しいと判断できるのでしょうか? >>23
エホバの証人もオームも統一教会も創価学会もイスラム教も我々が正しいと言い、
真の癒しは我々の教えにこそあると言います。
つまり癒しは人それぞれということでしょうか? >>24
それは実際に、世には本当に神が存在するからです。
もし世に神が存在しないなら、もちろん、神を信じずに生きる方が正しい、となります。
神の存在を真剣に意識しながら生きていると、
ある時、常識や確率を超えた不思議な働きを体験して、
目に見えない神の存在を確信できるようになります。
これは、ぜひ体験して頂きたいですね。
目に見えないものを知るには、やはり体験や証拠というのは大事です。 >>25
この世を創造した神(創造主)というのは一つ・唯一です。
よく山の頂上は一つでも、登る道や乗り物は様々で幾つも有るという例えがありますが、
様々な宗教があっても、同じ一つの頂上を様々な道や乗り物で皆が目指している感じかもしれませんね。
ただし、それは頂上に本物の唯一なる神を目指している場合ですので、
中には全く違う神や頂上を目指す宗教も有るので、その判断は要注意だと思います。 >>26
上で述べた真の唯一の神の御心というのは《完全な愛》です。
人間には自由意志が許されているので、世には様々な不幸や矛盾があふれていますが、
神の御心は《完全な愛のみ》なのです。
ですから、人間が真に癒され安心できる為には、
この真・唯一の《完全愛のみの神》を心の拠り所にするしか無いような気がします。
この心の拠り所が無いと、順調な時は良いですが、
何か大変な事が起きた時に動揺したり不安になったり、病んだりしやすいと思います。 >>27
つまり体験や証拠によって神を信じることが正しいかどうかをあなたや私が判断するというわけですね?
するとあなたや私の体験や証拠による判断が正しいということが神の存在の大前提になるということでしょうか? >>30
最終的には、そうなるかと思います。
この世に本当に神が存在するのか、それとも存在しないのか。
この答えは2つに1つしかありません。必ず、どちらかが正解なわけです。
そして、この部分に関しては無神論者なら必ず笑うでしょうが、
神とは、人間を愛し、真剣な心には働きかけてくれる存在です。
ですから、神の存在の真偽を確かめる為に、まずは真剣に神の存在を意識して生きてみる。
もし本当に真剣に意識して生きていれば、いずれ必ず神の存在無しでは不可能な不思議な働きを体験するでしょう。
この実体験こそが、神を信じることの正しさの証明になると思います。
>>31
> >>30
> 最終的には、そうなるかと思います。
あなたや私の体験や証拠による判断が間違っていると、神は存在しないということですね?
まず神在りきではなく、あなたや私在りき、であると・・・。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています