宗教は、見返りを求めてはいけない。
そう言われてはいるけれど、それにしたって箱物をいくつも見ていたら…その莫大な資金は、すべて信者が貢いだもの。
奈良の大仏も、国家の安寧を願って作られたものだけど、真光の場合、一宗教の信者のためのものでしょ。
普段は一般公開されてはいるけれど、伊勢神宮や高野山みたく門徒に関係なく、一般大衆化したモノじゃないし。
ありがた〜い御利益も、千差万別ってわけでもない。
組み手になれば種人(あくまでも候補)となって、来世でのみ救われると説く教えがある。
もうここで理不尽なんだよね。
組み手になったからと言って、(必ず)救われるとは説いていない。
そう、救われるかどうかは神のみぞ知るってこと。
運が良ければ救われるけど、その救いも現世では保障しないよって話。
現世では自己責任で、自分で努力してよねってこと。
でもって、来世があるなんてわからないけど、たぶんあるみたいだから、「現世で功徳を積んどきゃ、来世で良い目にあうかもね〜、でも保障は出来ないけど」っていう。
だから罪穢っての消すためにも、せいぜい頑張って御奉納してちょ。
それが手っ取り早くて簡単だからさ。
そのチャンスを一年に一回作ってあるからね、大炎開陽霊祭には挙って特別祈願で大枚払ってねw
代わりに、普段は受けられない教え主の一斉お浄めがもらえる特典があるよw
これが真光の教えなんだわ。
でもさ、そのお浄めとか、手かざしに特別な効果効能があるわけじゃない。
普段のお浄め交換と大差ないわけ。
なのに「特別なんだよ」って教える。
効果あると信じている人にとったら特別なんでしょうよ。
そう、マリアの奇跡の泉と一緒で、何万何千人に一人あるか無いかの奇跡。
確率で言うと、ほとんど偶然というべきもの。
それにかけているのが組み手なんだよねえw