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創造論と創造科学とID論と進化論Part102

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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/10/11(水) 23:08:45.16ID:gnTBFoju
創造科学の大手サイト(Answers in Genesis[AiG]とCreation Ministries International[CMI])が挙げる、
「既に疑わしいためにこれを使うと進化論者につっこまれます、注意」リスト。
AiG版「Arguments to Avoid」
https://answersingenesis.org/creationism/arguments-to-avoid/
CMI版「Arguments we think creationists should NOT use」
http://creation.com/arguments-we-think-creationists-should-not-use
和訳
http://seesaawiki.jp/transact/d/%c1%cf%c2%a4%cf%c0%bc%d4%a4%ac%bb%c8%a4%c3%a4%c6%a4%cf%a4%a4%a4%b1%a4%ca%a4%a4%cf%c0

創造論/進化論のディベートに関する進化論サイドのサイト(TalkOrigins)がまとめた、
「創造論者の主張」インデックス。
進化論が間違いだという主張の大半は、このテンプレから回答できる。
TalkOrigins「Index to Creationist Claims」
http://talkorigins.org/indexcc/index.html
和訳
http://seesaawiki.jp/transact/d/%c1%cf%c2%a4%cf%c0%bc%d4%a4%ce%bc%e7%c4%a5

過去スレを見るなら
「2ch DAT落ちス レミラー変換機 ver12」
http://mirrorhenkan.g.ribbon.to/

※前スレ
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1488278077/
0071神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/10/19(木) 22:25:03.61ID:qpdf1bCn
保守系コメンテーターであるTom Bethellは、昨年12月のNational Review Onlineで、主たる点を明解に表現した:

『ダーウィンの名声は進化のメカニズムの発見によるものだ。彼は"適者生存"を自然選択の理論のよい概要として受け入れた。
しかし、何が適者なのか? それは生存したものだ。生存と独立した適者の基準はない。 何が起きようとも、定義上、適者は生存する』

適者をどう定義するかの詳細を考える前に、まずこの論の怪しい点に注意しなければならない。
CoulterとBethellはここで、最近の発見が進化を不適切な理論だと示したとは言っていない。
そうではなく、彼らは科学者が単純な論理的不注意をしたと主張している。
Bethellが同じ論を提示した Harper's Magazineの記事に対する反論として、古生物学者Stephen Jay Gouldは次のように書いた:

『Bethellの論は大多数の活動中の科学者にとって奇妙なリングを持っている。
我々は常に、新しいデータの結果によって理論が崩壊するのを見る用意ができている。
しかし、その構築のときの論理エラーによって影響力の大きい理論が崩壊するとは考えていない。』

本当に。科学者は結論に飛びつたり、不適切なデータから誤った理論に到達することは大いにある。
しかし、科学史上で、賢明な外部からの論理的不注意に気づいただけで、主流の座に着いた理論が分解してしまったことは一度もない。
進化論がトートロジーだと示唆するCoulterとBethellの構成は、彼らが攻撃対象としている理論を理解していない
(あるいは、意図的にゆがめているかだが、これは我々は考慮しない)

では、可能な限りもっとも直接的な形でこの論に反論しよう。
進化論では生存したものが適者だと定義されていると主張されている。
これは、論の要点である、そして完全に間違っている。
実際には、適者とは、身体的特徴と彼らが見つかる環境に基づいて、最も多く子孫を残すと期待されるものだ。
これをGouldは次のように説明した:
0072神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/10/19(木) 22:28:03.36ID:qpdf1bCn
『私のダーウィンの擁護論は、別に驚くようなものでも、目新しいものでも、深いものでもない。
私は、ダーウィンは自然選択のアナロジーとして動物のブリーディングを挙げたことは正当だったと主張するだけだ。
人為淘汰における畜産家の要求は、集団にとっては"環境の変化"を意味する。この新しい環境では、ある特徴はアプリオリに優れている。
それらは畜産家の選択によって生存し、増殖する。それは適応性の結果であって、定義によるものではない。
自然においては、ダーウィンの進化は、同じく環境の変化への応答である。
今やキーポイントは:特定の形態や、生理的あるいは行動の特徴が、
新たな環境で生きていくためのデザインとして、アプリオリに優れていなければならない。
これらの特徴はエンジニアの基準で適応となるのであって、彼らが生き残って増殖したという経験的事実からではない。
ウーリーマンモスが毛皮を進化させる前に、寒冷化したのだ。』

ある生物集団が見つかる場所の環境についての完全な情報が我々にあるとしてみよう。
さらに、我々は集団において、遺伝可能な変種の範囲を完全に知っているとしよう。
この状況下では、我々は集団の将来の進化について、確定的なことが言える。
一群の科学者がこれらの情報を調べて、集団のメンバーのどれが最適者であるかのコンセンサスに到達できる。
これがただ生存したということの独立な、適者の基準となる。

しかし、これがすべてではない。将来の予測は進化生物学のほんの一部にすぎない。
進化の興味深いイベントの大半は、遠い過去に起きている。
過去が科学者に提示する問題を解明し説明することは、前のパラグラフで考えたこととは正反対になる。
現在の環境について与えられた情報によって、種の将来の進化を予測しようとするかわりに、
今度は我々は、生存した生物の種類から与えられる情報によって、先祖の環境を理解しようとする。
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