創造論と創造科学とID論と進化論Part102
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>>341 > 自然選択説による予想や発見(トートロジーならできないこと) 循環命題では予測が常に当たるというべきだよ。 「夕日は地平線に沈んでいく太陽だ」という命題は、 観察された日が夕日であることが真ならば、 それが地平線に沈んでいくことも真だと予想・予測している。 「ある菌がペニシリンに耐性を持つ(ことが真)ならば、 その菌はペニシリンを投与した環境下でも生き残って繁殖する」 という命題も、帰結部を予測している。 新たな抗生剤(の組み合わせ)に耐性をもつ菌が新たに出現することは予測だし、 それを防ぐ方策も自然選択をベースに組み立ててるでしょ。 だーから循環論法の場合は予測は常に成り立ちかつ真だと書いているじゃん。 抗生剤に耐性をもつ菌が容易に出現することは、抗生剤が登場した当初は予測していなかったでしょ。 >>487 訂正:そのときに黒い蛾のほうが捕食されて適応度が「黒い蛾<白い蛾」と a. ある菌xがペニシリンに耐性を持つ(ことが真) ならば b. その菌xはペニシリンを投与した環境下でも生き残って繁殖する aは菌xがペニシリン環境下で高い適応率を持つことを示し、 bはその菌xがペニシリン環境下で高い繁殖率を持つことを示している。 我々はaさえ知っていれば、bも知っていることを意味するのだから、 我々にとってaからbを予測するのは簡単で、それは常に真になる。 それだけの話。 農薬に対する昆虫の耐性についても、最初から予測してたわけじゃないですよ。 そうなってしまったとき、その現象を説明するには自然選択しかなかったわけですから。 >>494 大切なのは、なぜ菌xがペニシリンに耐性を持つに至ったかについての機序なんです。 問題は理論がデータによる反証可能性を持つかなので・・・ 菌が抗生剤に耐性を持つに至る機序についての自然選択の理論は、 もちろん、反証可能性を有することはわかるでしょ。 >>486 「確率どおり」を>>178 が最初に使おうが、だからどうしたというところ 「確率どおりにならない」と表現したのは>>453 であることはかわらないし 「不利でも固定される可能性がある」のを 「確率どおりにならない」と表現することが間違っていることも変わらない >確認だが、それは「大数の法則に反する可能性がある」という言明なのかな? 違います 大数の法則とは>>178 のとおり それにくわえて>>481 を読んでそんな認識をしているようではセンスがないとしか言いようがない 分かりやすい説明をしているつもりなんだがなあ… >遺伝子が属する集団の規模も環境の一つなので環境が違えば適応率は違って当然。 適応率とか勝手な用語を作ったり 集団の大きさで適応度が変わるとか勝手な解釈をしてはダメだよ 話が通じないから これ「反証可能性」や「トートロジー」もそうだが(あと「適者生存」もか) キミさ、用語を間違って解釈して その間違った解釈のもとに話を進めるもんだから もうデフォで藁人形論法状態なんだよね… まずは自分の解釈が間違っているところから疑ってほしい いくら指摘されても頑なに理解しないのがすごいわ どこで勉強してそうなったのか知りたい 特に数学や確率関連 >>487 >同じではない。 いや同じだよ 「一つの集団において、ある遺伝子が固定するか否か」 を集団遺伝学では固定する確率として表現するわけだが これが 「サイコロ一つを振って1がでるか否か」 に相当する というか、 そのように扱えるように出したのが 固定する確率なわけでね この確率は各個体の生存率やら適応度やら、 無数の確率を内包して総合されたものだから混乱しているのだろうが それはサイコロ一つを振って1の目が出る確率も同じことで サイコロ振ったときに最初にサイコロ上のX点が地面につく確率や そこからどのようにバウンドするかの確率など無数の確率を内包している >例えば、明日の天気予報で降水確率が40%だったのに実際には雨が降った >という話ならそれは分かる。 いや、そういう話なんだよ 生物はいくつもの集団があり、しかもいくつもの遺伝子を持っている それらの中には 有利でも固定しないケースがある 有利な80%ではなくて有利ではない20%を引くケースが中にはある それだけのこと >でもさあ、降水確率が40%だと予測した日の観察データをたくさん集めてみて >実際には雨が降った日が過半数だった場合、その予報は当てにならなかった >というべきじゃないだろうか? たくさん集めたら有利なものが固定する場合のほうが多いよ この場合個別のケースとは 個体の結果ではなく、一つの集団における固定されたか否かの結果 そういうマスな視点を持てていないのがキミの誤解の原因だろうね まあこのレスだけじゃ理解できないだろう 今までも理解できなかったのだから 科学や数学の用語はらしい言葉が有り難そうに並んでいるのではなく、具体的な手続きがかなりきっちり決まっている。 言葉面での勝手な解釈は駄目あるよ〜w キリンは意志的に努力して首を伸ばしたわけではない。 キリンの先祖に、象の耳に比べてはるかに効率の悪い熱交換器が付いていたせいだ。 >>487 >しかしそちらはなぜか、多くの試行を繰り返しても「1の目>その他の目」 >即ち「黒い蛾<白い蛾」という帰結になる可能性があると主張する。ちがう? キミの思考実験に合わせた回答をするけど、 黒い蛾と白い蛾を選ばせる“多くの試行”で収束するのは その実験環境で 黒い蛾と白い蛾のどちらが生き残りやすいか、 その適応度の数値が安定して求められるというだけ 集団遺伝学では、 その適応度の数値をもとに、もしその変異が1個体から始まったら 集団に固定する確率がどれくらいかを記述する式がある その“固定する確率”におけるサイコロ1個に相当するのが 個体ではなく、その集団まるごと いくつもの集団を集めればそこでも大数の法則通り 固定確率と同じ割合だけの集団ではその遺伝子で固定され、 残りの集団では固定されていない、という話になる こういう階層の切り替えが頭の中でできていないんでしょ >>488 しれっと話を進めてるが 何を批判されてるか理解できていないのか? ベイズ法における事前確率と事後確率ってのは データを追加することで事後確率が更新され、 より真実っぽいものに近づくっていう方法論であって 事前確率が修正されるのは前提というか当たり前というかでね つまり事前確率を検証するための方法論ではないんだよ 事前確率がどうなるか分からないからテスト可能性とかなんとか言っちゃうのは 要はベイズ法のなんたるかを理解してないってことなんだから そういうアヤシゲな理解で分かった風に論を進めるのはやめて 地に足をつけて議論したほうが良いよってこと >>489 >>341 で ・「多重耐性を持つ生物の出現と増加」が予測できる ・それを防ぐ手立てがある と書いてある これはつまり、 多重耐性を持つ生物が増加しないケースがある 予 測 は 常 に 当 た ら な い ということ トートロジーではありませんでした めでたしめでたし 「進化論は間違いなんだ、だから創造論が正しいんだ!」とやりたいだけなのがまるわかりだが、 創造論は根本的にデタラメだし本質的に嘘の塊だから、 創造論その物は進化論をどう貶そうが否定しようが間違ってる事実は変えられないぞ。 そんな簡単な事にも気づけないのかね? 多剤耐性菌の発生を予防するには、抗生剤の使用を抑えることが必要だ。 免疫の機構を見ると、免疫の相手もサイコロ振りなんだとわかる。 >>510 他の何が良いかではなく、 創造論もID論もデタラメなのでダメだと言っているだけ。 Q1:有機物のスープに放電することで、DNAが形成される確率を計算した人はいますか? Q2:形成されたDNAが単細胞生物を作り出す確率を計算した人はいますか? こんなもんしか作れんで創造とか進化とか言い争って馬鹿とは 思わないの? なんかすげーパワーを持ったバケモンがうちゅーをつくったっていう証拠は見つかった? >>507 予防したら、選択圧、したがって環境が変わったも同然なので、 適応度は変化するのは当たり前。 >>501-502 例えば降水確率80%という場合、おそらくは、 似たような過去の気象データを集めてそのうちの8割で雨が降ったということでしょ。 雨が降らない日はそのうち20%だと言っているのも同然だから、 個別の1日1日の各ケースの中では雨が降らない日があっても予報が外れたことにはならない。 しかし、同じ予報が出た日をたくさん集めてその40%で雨が降らなかったとすれば、 確率どおりではなかったのだから、その予報は当てにならなかったことになるわけだ。 そちらの理屈に従えば、20%雨が降らない日があったら、確率どおりの結果なのに、 その予報理論は反証されたとでも見なすのかい? >>501 fitness rateという言葉は使われていないか? 適応度は英語では単にfitnessで、もっとも素朴な定義では fitness = 生存率 × 繁殖率 これを適応率と表現しちゃいけない理由は? >>505 実験環境というが、それは工場暗化の例と同じ環境でしょ。 実験というのは特定の形質と特定の環境条件に注目したときに 他の変数のノイズを排除して理論が純粋に試される場を作るのだから 理論のテストとしては優れている。 あの形質が種内に広がるまでの過程は、 個々の自然選択の機会が何度も何度も働く繰り返しの結果なのだから、 サイコロを一回振るときのたった一回の施行結果とは大きく違う。 降水確率90%予報がたった1回や2回外れたのとは訳が違うんだよ。 「この世に存在する全ての事物はこの世にそれなりに適応しているから存在できている」 この理論を反証するには、 この世に存在しているのにこの世に適応できていない事物を発見しなくてはならない。 そんなことは可能なのか? この理論を反証するには物理法則に逆らった存在を見つけなければいけない。 しかしそれを見つけた場合にも反証はできない。物理法則が間違っていたことになるだけ。 >>520 熱力学第二法則のような「全体としてみれば」なわてのがあるから例外見つけたところでどうかね。 現実存在は、墜落するものとして事実的な 世界内存在としての自分自身から、いつも、既に脱落しているの。⭐ でも、それが何処へ墜落したのかというと それは現実存在の存在進行中にたまたま、行き当たりするある存在者へ墜落したのではなくて それ自身現実存在の存在に備わってる世界へと墜落したのよ♪🌟👸 全知全能の神を想定するとそれもまたすべてを説明できてしまうので 反証できない。 創造説は反証可能だろうか反証不可能だろうか? 反証不可能だとすれば、創造説にとって不都合な証拠を集めることもできない。 本気でエデンを探さないか? エデンは神が天地を作って地上に雨を降らせなかった時代 植物も誕生してなかった時代(植物陸生は5億年前)に作られた https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c3/Pangea_political.jpg パンゲアからさらに1億年以上前だが地形は現在のものより近いはず 驚くことにこの地形で考えた場合にだけエデンから流れ出ていた4つの川 ユーフラテス、チグリス、アラビア全土を覆う川、エチオピアに至る川の存在が可能になる 現在の地理ではエデンから流れ出る4つの川ってのは不可能になるがパンゲアでは不可能ではない 全知全能が存在できることを証明してからでないと、全知全能は使えない。 全知全能ねぇ。 シュレディンガーの猫は「生きてるか、死んでるかわからない」状態だったけど、 全知全能なら「生きてて、かつ、死んでる」という状態を作り出せるだろうね。 そういう状態はありえないから全知全能はありえないわけだが。 >>528 例えば紀元前10世紀あたりで創世記より実証性がある神話を作れる確率とか 割り出せないか エデンの園はユダヤの伝承ではアルメニアにあったとされるが アルメニアはヨーロッパプレートに乗ってるので辻褄があわない トルコの高地もヨーロッパプレートによって押し上げられたものだ チベットがインド大陸の衝突によってできたのに近い アラビア高地がもっとトルコよりにあったのだとしたらトルコの高地から流れた川が全土に流れるのもありえなくはない 高さもトルコ>アラビア>エチオピアとなっているので死海あたりに流れた川がエチオピアに至ったとしても不思議ではない エデンの園から1本の川が4つにわかれチグリス・ユーフラテス、アラビア、エチオピアに至ったに違いない だとしたらエデンの園はトルコの奥地に確かにあるのだ 299 : 神も仏も名無しさん2016/08/21(日) 21:04:45.14 ID:pZiBCIng まず背景として、進化論は、 多くの(生物を学んでない)人が理解しているつもりなだけで誤解しており しばしば科学的に検証されていないと勘違いされがちである そうした中、 「中間化石一つとっても進化論より創造論のほうが理に適ってるんじゃないの」 と創造論者が立てたのがこのスレの始まりだそうだ ttp://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1105361208/ 今から10年以上前の話 神の存在をうんぬんするためのものでも、 宗教そのものの有用性をうんぬんするためのものでもない 進化を否定したい創造論者が 進化論の科学的な不備(と彼が思ったところ)を指摘し、 それを進化論側が答えるというのがこのスレの元々の流れ 当然ながら、進化論の不備なんてものは、その人の不勉強からくるもので ちょっと調べればいくらでも正面から論破できる その「ちょっと調べて勉強する」きっかけを与えてくれるのがこのスレだった ガッツ石松さんは サインに「ガッツ右松」と書いた。 ガッツさん、「右」じゃないでしょうw と言ったら 「ガッツ左松」と書き直してくれた。 生命体に「見たい」という意志が無かったら 目や視神経がこれほど高度に発達しなかったと思う - -; 元々 精神世界や意識体系が「存在し得ない」ものだったら 脳など誕生しないし 誕生しても無用の長物だと思う - -; >>535 まったく根拠が示せないタダの思いつきだなw 既存の説をくつがえすにはまったく説得力がない。 On The Origin Of Species by Charles Darwin http://www.talkorigins.org/faqs/origin/chapter4.html { This preservation of favourable variations and the rejection of injurious variations, I call Natural Selection. Variations neither useful nor injurious would not be affected by natural selection, and would be left a fluctuating element, as perhaps we see in the species called polymorphic. } 「有利な変異の保存と不利な変異の廃棄とを私は自然選択と呼んでいる。 有益でも不利でもない諸々の変異は、 おそらくは多形的と呼ばれる種*において見られるように、 自然選択による影響を受けないであろうし、 流動的な要素を残すであろう。」(投稿者訳) *この場合は種ではなく形質という意味か。 という一節が『種の起源』にはある。 少なくともダーウィンがここで、有利と不利から外れた場合、 従って自然選択の影響下にない場合があることを想定していたことは 明らか。 このとおり、彼の仮説はこの世に生じた変異には環境に対して 有利か不利かの二分法しか成立しないという二択万能論ではなかった。 相対的適応度を考えても同様に、a>b, a<b, a=b という三つの比較演算子を想定するのは自然な論理的帰結だったはず。 ただし、ダーウィンは中立(非関与または等価)の場合について これ以上の論理展開を試みなかったようで、 それを多形性と流動性とに結びつける若干の推理を行っただけだった。 自然選択が確率的だというのはどういうことだろうか? 確率は一般に偶然性に関わるもので、 遺伝的浮動と自然選択が別のものだとすれば、 それを区別しているのは偶然論(運)か決定論(運命)かの差であるはず。 どちらも偶然性の問題だとしたら、 そもそも自然選択と遺伝的浮動との区別が成り立つのかどうか。 自然選択を極めて単純にモデル化すれば、 環境yがなんらかの各属性をもった形質の配列x1, x2, ...xnを受け取って それぞれの形質をその属性に合わせて有利不利中立のいずれかに 決定論的に分岐し、有利ならその形質を増加させ、不利なら減少させ、 中立ならそのままにして返す機能だ。 このプロセスでは、環境yはxの属性に対して予め決まった比較判断を 下すわけで、偶然に左右されたランダムな判断ではないはず。 ランダムな判断だったらダーウィンの意図する適応進化の結果にならない。 このように、自然選択のプロセス自体は決定論的でなければ意味をなさない。 より多くの子孫を残すかどうかが確率的なんじゃない? 例えば観察主体の側の事情・視点・能力の問題があって、 観測精度が悪さとか、計算に膨大な時間がかかるとか、 対象の因果関係に関する客観的なデータに乏しい場合とか・・・ それらによって確率の問題として処理せざるを得ない ということはあると思う。 科学の側の問題による方法論的確率論だね。 偶然を含む集団のふるまいとして捉えれば、どうしたって確率的になるってことじゃない? ほぼ中立説は、集団規模選択説とでも呼んだら問題があるんだろうか? 自然選択はサイコロ遊びをする?! 自然選択がサイコロ遊びをするならば、 自然選択はすでにしてその中にランダム浮動のような機能を 内包していることになるのかもしれないね。 自然選択 vs 遺伝的浮動 という二項対立図式を考え直すべきかもしれない。 「ほぼ中立」説はこの二つが重複または変動している域がある というような仮説を立てているね。 >自然選択 vs 遺伝的浮動という二項対立図式 そういうものは、もともとない。 選択万能論と中立説の論争なんて30年前に終息してるし。 RNAよりさらに簡単に合成されて、RNAの鋳型となるような塩基がかつて存在していた可能性 >>541 モデル化するときに「決定論的に分岐し」なんて条件付けしてるんだから結論も決定論的になるだろ。 不適切なモデル化で不適切な結論を導き出してるだけじゃん。 >>541 を要約しよう。 自然選択は決定論的な比較分岐システムだ。 仮にランダムな比較分岐システムだったとしよう。 そんなシステムで適応進化が実現できるだろうか。 できるはずがない。 つまり、>>541 こそトートロジーということでFAかな。 遺伝子の変化が確率的だから、生命の変化(進化)から確率的振る舞いを排除することは不可能でしょ。 その程度のことよ。 遺伝子がどのような突然変異を起こすかということと、 その突然変異が環境にフィットするかどうかということとは、 互いに独立の関係にあって制御されていない。 その意味では当てずっぽうで全くの偶然に左右されている。 この過程は確かにサイコロ遊びのようなものだよね。 しかし起こってしまった変異がそれが置かれた環境にとって 有利か不利か中立かはランダムに振り分けられるのではなく その変異が持っている属性に従って決定される。 だからこの過程はサイコロ遊びではない。 強いてサイコロ遊びに喩えるならば、いかさまサイコロ遊びだね。 環境もどんどん変化し、一定の方向性を持つわけではないという意味で生物進化全体がランダム 二つのサイコロを用意して、一つのサイコロが環境だとすると、 もう一方のサイコロが遺伝子で、 二つのサイコロを同時に振って同じ目が出たらフィットしたことになる。 そういうゲームをやっているという点では明らかに偶然。 フィットした目かそうでない目かは目の数の一致によって判断される。 1と1,2と2,3と3、4と4,5と5,6と6は適合関係だけど、 1と4、3と6が出たら適合関係じゃない。その意味では規則的。 もしもこの一致関係も数によらずランダムに判断していいのなら、 自然選択の結果はなんの規則性もないものになり、選択ですらない。 自然選択のプロセス自体が、確率的なもの 特定の形質をもっていれば、必ず一定の子孫を残すわけではないので 自然選択理論を反証するためには、 適応度がa=b=cのような互いに有利でも不利でもない中立な関係でないかぎり 環境がその環境にとって有利なものよりも不利なものを 選ぶケース(適応度がa>b>cならばaよりb、bよりcが選択されるケース) の発見がなされなければならない。 しかしそれはその定義上不可能であるというのが論点だったね。 方法論的確率論を仮定してみよう。 観察者は、観察技術の限界か計算能力の限界か、 その他様々な理由で十分なデータを持っていないがために、 決定論的対象をも確率論的に判断せざるをえない、と想定してみよう。 そういう場合、確率どおりの結果にならなかったら、 自然選択理論が反証されたことになるのだろうか? そうではないだろう。観測精度が悪いか、データ不足と見なされるだけ。 自然選択理論はあいかわらず無謬性を保つ。 「生存に不利な形質」が発現した個体が子孫を残せず死滅する、という暗黙の絶対条件で持論展開して、何が楽しいの? 馬鹿なの? しばらくめんどくさくて書かなかったら さらにツッコミどころが増えてる…… ちょっとずついくか >>517 >そちらの理屈に従えば、20%雨が降らない日があったら、確率どおりの結果なのに、 >その予報理論は反証されたとでも見なすのかい? 確率の話がどういう文脈で出てきたか忘れているようだけど 思い出してもらおうか 【トートロジーの場合、常に真になる】んでしょ? キミの理屈では、「適者が生き残る」は常に真なんでしょ? ところが、適者であっても生き残らない(固定されない)ことがある ある確率で、ね このことは適者生存の反証ではなくて 適者生存が常に真であることの反証、 つまり、適者生存がトートロジーであることの反証だ 適者生存はトートロジーではありませんでした ということ >>518 >fitness rateという言葉は使われていないか? いない >適応度は英語では単にfitnessで、もっとも素朴な定義では >fitness = 生存率 × 繁殖率 >これを適応率と表現しちゃいけない理由は? 理由は“素朴な定義”が示すのは、“率(割合)”ではなく期待値だから …なんだけど、繁殖率というおかしな表現が気にかかるな また無知ゆえのトンデモない勘違いをしてそうだがめんどくさいのでとりあえずスルー >>564 例えば ある環境yで形質xが70%の適者だという命題が確かに真であったならば、 その形質xが30%の確率でその環境で滅んでいっても確率論的に真のままで、 真偽はひっくりかえらないでしょ。 しかしそちらは、70%適者だということが確実に真でも30%以上の確率で 死滅することがあると主張するわけでしょ? その根拠はなに? >>566 まーた藁人形論法かよ 俺が最初に言ったのが>>142 >不利なものでも固定される確率はあり、有利なものでも固定されず消え去る確率はゼロではない >それは集団の大きさにかかわらずそうで それに対してトートロジー君は>>152 >自然選択上でいう適応率が相対的に低い形質が相対的に高い形質を上回って >その集団の中に固定するということがあると主張したいのか? >てか、それって数学的にありうるのか? で、俺の>>158 >有利であっても100%固定されるわけではないし >かなり不利だとしても固定される可能性はある それに対するトートロジー君の>>170 >適応率が低い遺伝子がその集団の遺伝子プールに広がってしまうことはない。 >もしあったとしたら、それは適応率の測定が誤っていたことになる。 >>566 >>567 で示した通り、俺が言っていたのは 「有利であっても100%固定されるとは限らない」 ということであって 「固定される確率が〜%であってもその確率どおりにならない」ではない (そもそも>>459 で釘を刺しているじゃないか) 言ってないことの根拠を求められてもどうしようもない ところでトートロジー君は >>567 で示した書き込みを見る限り、 「有利なものでも、ある確率で死滅する可能性がある」 ってことを理解できていなかったように思えるのだが キミの表現を借りるなら 【適者であっても30%の確率で死滅する】 つまり 相対的に適応度の低いものが高いものを押しのけて集団に固定されるケースがあり得る ってことは理解したのかい? >>568 補足 見直してたら>>459 だけじゃなく直近の>>502 でも >有利な80%ではなくて有利ではない20%を引くケースが中にはある >それだけのこと >たくさん集めたら有利なものが固定する場合のほうが多いよ >この場合個別のケースとは >個体の結果ではなく、... と、むしろ【確率どおりになる】ことを前提に話しているな 我ながらブレがない トートロジー君は主張から理論の理解から何から 「適者生存はトートロジー」という結論に合わせるためにブレブレだが >>565 繁殖率はreproductive rateを訳したつもりだったが、 複製率としたほうがよかったか。 繁殖率はどうやらfitnessと同じような意味で使われているようだ。 繁殖率=性的成熟率*産卵数*初期生存率*雌の比率 という記述をネット上で見つけた。 まあ、用語の問題は本質的な話じゃないね。 だいたい用語うんぬんするのは論点をはぐらかしたいとき。 そもそも期待値としたところで、 それは重みがついた平均を意味するだけであって、 なおさら、実際に観測してみなければ分からないのだから 循環論法に変わりはないはず。 例えば生存率(性的成熟率)が a 20% b 10% c 5% なら、相対的適応度を a=20/20, b=0/20 , c=5/20 と表す場合もある。 >まあ、用語の問題は本質的な話じゃないね。 >だいたい用語うんぬんするのは論点をはぐらかしたいとき。 アホか 独自用語を注釈もなしに使ったら議論にならねーだろ >>568 > 相対的に適応度の低いものが高いものを押しのけて集団に固定されるケースがあり得る > ってことは理解したのかい? だーから、遺伝子の有利不利は環境依存なんだから、 集団の規模が小さい場合には「弱有害」が「中立」に動くためにありうるが、 それは不利なものが有利なものに代わって生存競争に生き残ったことを意味しないし、 それは環境の変化によって有利でも不利でもなくなる事例であって 集団の規模は環境要因ではないのかってことだよ。 >>572 そちらが単なる揚げ足取りをやっているだけ。 適応率といわれれば、もっとも高い適応度に対する比率を表していると 正直に受け取ればいいし、相対的適応度を考えれば当然でしょーに。 >>573 はて? >>566 >ある環境yで形質xが70%の適者だという命題が確かに真であったならば、 >その形質xが30%の確率でその環境で滅んでいっても確率論的に真のまま 【30%の確率でその環境(有利な環境)で滅ぶ】 って言ってるじゃん それってつまり、その形質xよりも不利な形質が生き残ってるってことだよ? 自分の言ってること、自分で理解してないのか? まあしてないんだろうな 「70%の適者」とかの細かいところにツッコミ入れる暇もないや それどれの目が出る確率1/6でない歪んだサイコロが自然選択に近いが、 そのような歪んだサイコロの各目がどのくらいの確率で出るかを知るには、 科学者はそのサイコロを何度も振ってみないと分かりようがないはず。 科学者が人為淘汰でサイコロの各面に自分が意図した通りの確率を狙った 重りをつけていたならば話は別だが、自然界はそういうものではない。 サイコロの各目が出る確率は試行を繰り返して得られるものだろう。 期待値だってそうしなければ分からない。 ということは「aならばb」のaが真かどうかがbが真かどうかに依存して 得られるということを意味している。やはり循環論だ。 >>574 それツッコミ入れてる人(俺)じゃないからね 「勝手な言葉を勝手に設定して語るな」っていうのは きちんとした科学教育と科学的議論に触れたことがある人なら みんな思うことだからね 相手に自分の都合のいい解釈を求めるってキミ… 子供と母親とか亭主関白のジジイとかじゃないんだからさ まともな大人なら、相手が理解できるように 約束された言葉を使いましょうよ ふん、くだらん。 創造論が正しいと言うなら進化論にケチ付ける前に神の実在を証明しろ。 それができない限り創造論は嘘デタラメで、創造論を主張賛同する奴は嘘つきの人間の屑だ。 何度も書くけど、自然淘汰説というのは、ダーウィンも書いているように、 環境に対して遺伝形質が有利でも不利でもない(中立の)場合(a=b=c)を除いて 起こる適応度「a>b>c」のような現象であって、それを反証するには 適応度が「a>b>c」なのに実際に定着したのは「a<b<c」だったような事例を 見つけなければならないが、それは適応度の定義上ありえない、ということ。 >>578 この問題に創造論が出てくる余地はないよ。 創造論を使ってもこの問題は解決しないはず。 >>570 また揚げ足取りをされるといけないので訂正:初期生残率 独自用語を注釈もなしに勝手に作って語ることを批判するのを揚げ足取りとは 無能流の爺さんと気が合うんじゃないか? 自然選択理論や自然淘汰理論を 自然ふるい分け理論とでも言い換えたら 噛み付いてくる頭の硬い人と話すのは肩がこる。 自然選択理論のことだと注釈を入れずに いきなり自然ふるい分け理論とか言い出したらそら突っ込まれるわ 科学命題に確率論を導入したら確率の本質からしてその 命題に反する結果が生じても不思議じゃないという主張? それなら尚更、反証不可能で無謬の論理にならないか? 早めに訂正しておいたほうが良いと思うから予告編的な感じで軽く書いとくけど >>539 で書かれてる Variations neither useful nor injurious would not be affected by natural selection, and would be left a fluctuating element, as perhaps we see in the species called polymorphic. の部分は、 有利でも不利でも無い形質の存在について言及はしているけれども それは中立説登場前の淘汰万能論と同じで 自然選択のかからない形質は多型として存在し続ける、 つまり変化しないってことを言っていて 変化の要因は自然選択であるという主張 これが本題とどう関わってくるかとかの解説は土曜以降だな 気分次第で来週だが 抑々 意識の存在が不可能なら 偶々の偶然で脳が誕生しても 無用の長物 - -; 生命存続不可能 >【^c^】 つまり 意識が無ければ脳も生命も存在し得ない 🐼 意識という可能性が存在しないなら 生命体も脳も存在していない - -; G公理 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる