「・・・須陀オンに向かうもの・須陀オンの境地を得た者、
斯陀含に向かうもの・斯陀含の境地を得た者、
阿那含に向かうもの・阿那含の境地を得た者、
阿羅漢に向かうもの・阿羅漢の境地を得た者、
という四対八種の人びとは如来の神聖なる弟子たちであるが、(かれらを)
非常に恭しく敬い、世の中の敬い、世の中の福徳の田である、と(信じる)。」
(『現代語訳阿含経典 1』平河出版社、221頁)

「尊師の弟子のつどいは和敬して実践している。尊師の弟子のつ
どいとは、すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八章)とであるが、かれらを敬うぺく、
尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の福田であると。」
(『ブッダ最後の旅』中村元、50頁)

これらは漢訳経典の遊行経と、パーリ仏典のマハーパリニッバーナ経です。
両者とも同じ内容であるのがわかります。
四双八輩の全員を「神聖なる弟子」「最上の福田」と述べています。
これは学者の解説でも同様で、預流向は聖者であり、
『現代語訳阿含経典 1』の学者のここの部分の解説でも、

「また、賢聖はここでは賢者聖人のこと。」
(『現代語訳阿含経典 1』平河出版社、499頁)

とあります。
四双八輩は全部が聖者であり、預流向(須陀オンに向かうもの)だけを
別扱いなどしていません。