ユダヤの神はなぜユダヤ人大虐殺を防げなかったのか? [無断転載禁止]©2ch.net
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第二次世界大戦におけるナチスによるユダヤ人大虐殺は有名です
おそらくユダヤ教徒は殺される間際まで
ユダヤの神を祈りながら助けを願ったことでしょう
なのにほとんどが殺されました
なぜユダヤの神はユダヤ人を助けられなかったのでしょうか? 【審議結果】
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `u-u' `u-u' あとですね
イエスが十字架刑に処せられる際に
イエスは「おお天の父よ、なぜわたしを見捨てるのか」
など言ったときのも天の父はイエスを助けなかった
これはなぜでしょうか? こんなスレ立てないでキリスト教質問のスレで聞けばいいのに
ネタなのかまじめな質問なのか皮肉ってるつもりなのかさっぱりわからんけど >>4
皮肉ではありません
いたってまじめです
質問箱でも似たような議論がありましたが
うやむやで終わりました
答えられないということはユダヤ教は
人を助けるほどのパワーはないということでいいのですか? 確かにユダヤ人を収容施設にぶち込み殺したかもしれないが言いたいことがある
@まず南京事件のように人数を真実より大幅に水増ししているとゆーこと
A他の白人国家でもユダヤ人を迫害または殺していたがそれはなかったことになりすべての罪はヒトラーとナチスとドイツになすりつけられたとゆーこと
Bなんらかの方法で殺したかもしれないがその方法もガス室での大量虐殺ではなかった可能性が高いとゆーこと
これはわかってほしい >>1
簡単なことだ
神は全知全能ではないんだよ
全知全能なものなど地球にも宇宙のどこ探したっていやしない
神を買い被りすぎだ
神にも出来ることと出来ないことがあるとゆーこと >>7
いや中にはおかげをご守護をたくさんくださる神様もいると聞いています
少なくともユダヤ教やキリスト教の神は拝んでもあまり助けない、
あるいはパワー不足でたすけられない神だとゆうことですね 聖書を読めばわかります
旧約聖書はユダヤ人の苦難の歴史でもあります
そもそも神は人間を助ける存在ではありません
次々と襲いかかる苦難のなか信仰を手放さず神の名を覚え祈る者達を選別し命の最後の瞬間に救い神の国へといざないます
どんな苦しみにもめげず強く神を信じたものだけが求められます
生半可な信仰心など相手にされません
キリスト教の神と違いユダヤの神は峻烈です
それゆえ大虐殺を防げなかった、のではなく防がなかった、いやむしろそのような世に導いたといった方が正しいでしょう
本来信仰とはそれほどに自己犠牲と滅私の精神を求められるものなのです
けっして現世利益を得られるものではありません >>3
一言でいえばイエスは死ななければならなかったからです
これも聖書を読めば分かります
神はイエス個人を助けたり幸せにすることは考えていません
そもそもイエスは世の人々を救うため神の子として遣わされました
人々の救済のため命を捧げる存在として生まれ落ちたのです
イエスが死ななければたくさんの人が真の信仰に出会えず救われることなく死なねばなりませんでした
ただイエスも人の身に生まれたがゆえに割り切れず最後の瞬間には神に助けを求めたのでしょう
しかしそれもまた強い信仰があったからです
神と共に生き神に召され神の国で永遠に生きる
イエスはやはり最後には救われ
神はけっして見捨てたりはしなかったといえるでしょう >>10の補足です
原罪という言葉があります
アダムとイブのリンゴの話です
その時人間は罪を背負いました
イエスの磔刑によってそれが赦されたとされています
されているというのは選ばれたものだけが赦されたとする考えと皆が赦されたとする福音派で解釈が別れているからです
ですがどちらにしてもイエスはそのために血を流し皆の罪を背負って神に召されました
残された人々は救い主イエスに感謝し己の罪を見つめ祈りを捧げるのです >>9-11
それは聖書の立場らかすればそういう解釈になりますよね
確かに神の経綸の前には戦争も神の意思という考え方もあるでしょう
しかし600万人の犠牲はあまりにも大きすぎる
また今でもパレスチナ紛争は現在進行形で進んでおります
ここには神が存在していないような気がしてならないんですが >>12
ノアの方舟の話のように神は人間を全滅させることもいといません
犠牲が大きすぎるなどと思うのは人間視点であって神視点では一人も一億人も変わりません
また紛争や病苦、飢えなどの苦しみのあるところにこそ神の存在はより強く感じられるはずです
人々が神を必要とし求めるからです
前にもいったように神は人を救いません
戦争が起こらないようにしたり平和をもたらしたりはしません
それを実現するのは人間しかいないのです また基本的に多神教である日本人には理解しがたいかもしれませんが
一神教の神は他の神を崇めることを許しません
例えばユダヤの神はこれを聖書ではっきりと禁じています
他にも戒律は非常に厳しく破った者に対する罰も苛烈です
パレスチナなどの紛争は決して良いことではありませんがそれもまた人間視点なのでしょう
神が戦争に導くわけではありませんがある神の名のもとに他の神を信じる者を排除しようとするのは
ある意味で神のみ心にかなうものであるともいえます
コロスナカレという戒律は異教徒には当てはまらないからです
もちろん現代を生きる我々はそのような教えがあっても争いをすべきでないのは明らかです
信じるものはこう生きるべきという戒律を全人類はと置き換えて平和を築く努力をすべきでしょう >>12
あなたはおそらく
神様というものは慈悲深くて
人々を幸せな状態に導いてくださるありがたい存在であるという思いが最初からあって
そこから戦争やさまざまな世の中の事象を読みとこうとしているのではないかと思います
けれどその前提条件は間違っています
手を合わせて感謝し願い事をする日本の神道とは違うのです
ユダヤの神は無条件の信心を求めます
直接の見返りなど一切ありません
神を信じ与えられた試練を辛坊強く乗り越え神のみこころに従って生きることが信仰です
そしてそのような信仰に生きることが神視点での幸せです
私たちのイメージする人の世の幸せとは違います
試練は時に苛烈で残酷ですらありますが文句をいったり神に背くことは許されません
真面目に真摯に信仰に生きていたとしても過酷な試練を免れることは出来ません
むしろ信仰心の篤い者はより多くの試練を与えられるでしょう
神とはむしろ残酷で理不尽なものでもあるのです
その意味では紛争のさなかであっても
信仰を手放さず人の世でいう不幸な状態つまり試練を神と共に生きているそのような人々は最も神に近く神の心にかなう幸せな人々ということになるでしょう >>15
確かにユダヤ教は戒律が厳しく救わない神であるということが言えます。
そして苦難を背負い込む事実があるのもユダヤ人の歴史を見れば明らかです。
しかしながらそういった教えであるがゆえに
思考は現実化するの法則発動により、因果応報でもって
苦難を背負い込んでるんだと思います。
そして迫害から戦争に次ぐ繰り返しがユダヤ教の歴史なのでしょう。
だとすればまだ日本の神道における平和的融和的な教え、
感謝の教えを実践することが、
これまた因果応報の法則発動により、自分に平和をもたらすのであれば
ユダヤ教よりは日本神道を選ぶべきだと思います。 その通りです
日本には完全なる宗教の自由があります
仏教神道ユダヤ教キリスト教だけでなくイスラム教や他のあらゆる宗教の神を排斥せず「神様」として敬います
それだけでなくかまどの神様田んぼの神様山の神様水の神様などありとあらゆるところに神様がいらっしゃいます
古来から人智を越えた大いなるものの存在を感じ敬ってきたのでしょう
このような多神教は海外では理解されず異端とされることが多いのですが
この日本の姿こそ平和への道しるべなのです
また感謝し人の世の幸せを願い神はそれを後押ししてくれるはずだという信仰である神道はまさに人を幸せに導く宗教といえるでしょう
しかしながら神の試練を乗り越え信仰を固くするという考えではないために
いわゆるご利益がないと判断すると信仰心を手放してしまう人が多くなるのが残念です
本来は現世利益のみの宗教ではないのにそこばかり強調された弊害でしょう
仏教もまた本来の教えを学ぶ機会は失われつつあり葬式仏教と成り果てています
近年は無宗教ともいえる人々が増えています
豊かなくらしの中で神にすがることも少なくなったという幸せな現象なのでしょうか
宗教とはなにか神とはなんなのか学問としてとらえるのではなく心の拠り所として日本人が求め始める時が来るのかこのまま古来からの信仰までも手放してしまうのか日本人の心の行く末が興味深いところです 戦争や紛争地帯で苦しむ人には
日本の神道などの宗教はなんの救いにもならないでしょう
何故ならどんなに祈ってもご利益がないからです
戦争は終わらずケガは治らずバタバタと人が死んでゆく
このような中でケガレを払い感謝し幸せを願うことはむなしく生きる気力を奪います
苦しみ悲しみ試練と共に歩んでくれるただ耐え乗り越えることを強いる神は苛烈であるがゆえに人々が手放さないのでしょう
これがなぜユダヤのような無慈悲な神を信じるのかという問いの答えであるのかもしれません 日本では今オウムに象徴されるようにさまざまな新興宗教が人の心をとらえています
最近では幸福の…という宗教が世間を騒がせました
既存の宗教が心の拠り所を求める人の受け皿になっていないのです
けれどどんな宗教でも神でも
助けてくださいと祈れば助けてもらえるということがあるのでしょうか
宗教を学問として学べば学ぶほどそのようなことはないと断言できます
それは人が望むのは宗教が解く心の救済、魂の救いではなく現実世界における現実的な救いであるからです
そういった助けを与えられるのは神ではありません
現実を変えられるのは人間であり自分自身しかいません
信仰によって強くなり優しくなり豊かな価値観を身につけたことで結果として現実が改善されたそれは神のみわざであるということはできるでしょうが
やはり神様がなにか奇跡を起こしてくれたというわけではありません
自分が変えたのです
そのような自分にしてくれた信仰は確かにありがたいものでしょう
けれど神に祈ることに依存し現実的な救いをもたらしてくれる神を求めてさ迷うかのような日本の特に若者たちの姿はあわれともいえます
宗教的には理想郷のような日本に住むものが自分を支える信仰や信条を見出だせない状況にあるのは大変残念です そもそも第二次大戦で犠牲になったユダヤ人は聖書のユダヤ人とは別物
今のユダヤ人は1000年くらい前にユダヤ教に改宗したバザール人の子孫
生んだ覚えも無い子供にパパあれ買って〜から言われても「は?君どこの子だよ」ってなるだろ
神だってそんな気分だよ
神に選ばれた聖書のユダヤ人は殆ど歴史から消えていて行方不明 l、 | | l / / ./ ./ |. l | / ./ ./ |/
l、 | | l ヽ /// ノ ‖ | | /// /
∠l l/| /l //V/) (\\/ | _\ ∧∧∧∧∧∧∧∧∧
/⌒ヽ | | | /● I I ●\V\/  ̄v < 俺のターン(政権) >
| l⌒l l| V く/ │ │ \_> .|/^_l.l < いでよ ! ユダヤカード >
ヽゝ(ー| /| / │ │ヽ ll ),l'ノ < ロスチャイルドラゴン >
lヽ_ / | ノ (___) ヽ /._/ < 戦争利権を召還だ >
.l/ |│ I I │/ ,ノ! ∨∨∨∨∨∨∨∨∨
/ | i ├── ┤ │,.-‐'" |
./ (;;) |\_ /  ̄ ヽ _/ |
| __| ヽ__ _ノ |
_(| ,.-‐'" | \__/ .| _,.-─;_
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i ″ ,ィ__.).i レ 晋 /::::::::::::::::::::::::::::\
ヽ i / ::::/:::/ | 三 /::::::::::::::::::::::::へ:::::ヽ
l ヽ ノ::`ーー'::ヽ / |::::::::::::::::::::/ .ヽ:::::| 昭
/|、 ヽ ` ̄´ _/ ヽ:! ⌒:::::〆 /⌒ .:::/ 恵
_,---i.:.:.l ヽ `"ー−´< (.V -・= V -・- V)
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i;;ィ−┬⊃ ̄ ̄.\/  ̄ ̄ |二 イ:;:;|;:;:;:;:'、:;! ̄ ̄|:;:/;:;:;:;|;:;:;:ヽ >>17
日本神道にもピンからキリまでありますが
少なくとも私の知っているところは確実に神の救いがあり、
御守護や御利益もあります
けっして救わない神ではありません
確かにユダヤ教やキリスト教など伝統的な既成宗教には
それなりの大義名分もあるのでしょうからそれは認めます
しかしながら自分の宗教は善で他は悪だと言って
アメリカのプロパガンダを振りかざし、アーメンをのたまいながら
核爆弾を広島長崎に落し、原子爆弾は戦争を終わらすために必要な行為だったと
偽正義をふりかざすような、どっかの鬼畜米英が拝んでるような宗教は
日本人は認められませんね >>19
>そういった助けを与えられるのは神ではありません
>現実を変えられるのは人間であり自分自身しかいません
>信仰によって強くなり優しくなり豊かな価値観を身につけた
>ことで結果として現実が改善されたそれは神のみわざであるということはできるでしょうが
やはり神様がなにか奇跡を起こしてくれたというわけではありません
自分が変えたのです >>19
>そういった助けを与えられるのは神ではありません
>現実を変えられるのは人間であり自分自身しかいません
>信仰によって強くなり優しくなり豊かな価値観を身につけた
>ことで結果として現実が改善されたそれは神のみわざであるということはできるでしょうが
>やはり神様がなにか奇跡を起こしてくれたというわけではありません
>自分が変えたのです
自分で自分を変えることは非常にむずかしいのです
神の力があってこそ変えられるのです
また万物に生かされているという謙虚な心、愛、平和、
こういった和の心の教えこそ大事なのです
けっして神は畏怖するような存在ではありません
もしユダヤ教が助けない神であり救わない神であるならばそれは
神ではなく悪魔と言わざるをえません
だからこそユダヤ人は大虐殺を受け、いまだに紛争のど真ん中にいるのではないでしょうか 宗教には奇跡は付き物であり
奇跡の無い宗教は
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