イエスが私の敵を私以上に愛するのは構いませんでした。

私が我慢ならなかったのは、私の敵をイエスよりも上に位置させる時です。
イエスが私の敵に敬愛の念でつき従い、下支えしていると思わされる時に、私の怒りは現れました。
これを彼らが「嫉妬」と呼ぼうが「逆恨み」と呼ぼうが、上下関係が逆になることについて私は妥協できなかったのです。

今は「アナテマ」とはっきり言えることに感謝です。
私たちは感謝と祝福だけを口にしないで、はっきりと「アナテマ」も語ったほうがいいと思います。