ナオさんのキリスト教への嫌悪と漢前さんのサティー評について繋がる出来事があった
んでつらつらと↓なことを考えた

キリスト教のムードは肉と霊の二分化を極端に意識化させた
肉は避けるべきもので霊は求めるべきもの
これはサティーの価値観から言うと現在と理想の関係でも捉えられる

この二分化は高低差、ようするに差別を構造上否応無く生んでしまう
御霊に生きると高く、肉の欲に生きると低い、という価値観

この源流はプラトンまで求められる
アウグスティヌスによりこの二つの潮流は神学上融合したけど、そもそも聖書の時点で二分化と高低差の価値観はキリスト教により、より広範囲に広められた、とも言える

ナオさんのキリスト教嫌悪の源流には、マイノリティとして、この信仰者の差別意識への嫌悪があるのではないか
そして、その嫌悪の原因はサティの中にも色濃くあるのではないか、と思われる

強者の弱者への暴力に根源的な嫌悪を感じつつ、サティの価値観はその暴力を生む機構の真っ只中にあるんだな