【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 188 [無断転載禁止]©2ch.net
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『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
(マタイ 22:37-38)
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ 5:19-24)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ 9:23)
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
(ヨハネの手紙第一 1:10)
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
(マタイ 28:10)
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類似スレで利用者を迷わせないために、次スレは>>970以降に立てましょう。
※前スレ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1504931217/ ローマ教会は、多神教神殿の上にローマ教会を建て、
多神教の習慣の上に、キリスト教の習慣を建てる。
上塗りだけど、習慣を徐々にキリスト教に変えていくやり方だね。
でも土俗的なものは残るんだよ。
イギリスでは妖精、メキシコの高地ではミイラ神、そんな土俗信仰は消えないね。 >>232
私はオリジナルの方を尊重する事にします。
三位一体の方は征服したどー!といつものように祝杯をあげると良いと思います。
いつもの事です。 1テサロニケ口語訳
4:9兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており
※ 神=聖霊のこと 日本のクリスマスは、すでに神道的なお祭りです。
「クリスマスにチキン?」などとアメリカ人は笑いますが、
そもそも鶏のホワイトミート部を白人が食べ、残ったダークミート部を奴隷が食べた名残であり、
鶏は、貧乏人や奴隷や刑務所の人間が食べるものという、わけのわからない蔑視です。
ケンタッキーも、アメリカの黒焦げ油ギトギトチキンと、日本のふっくら美味しいチキンは別ものです。
アメリカ人も日本ケンタッキーに驚き、
クエーカーのカーネルサンダースも「日本こそ、我がケンタッキー」と讃えるくらいだ。
だいたいね、ホロホロ鳥とか七面鳥とか美味くないよ。 GLAも幸福の科学も、父なる神はイエスとは別人格であると教えています。
プリティもそれに倣っているだけです。
しかし私たち主の民は、父なる神と主イエスと聖霊なる神が同じ方であることを知っています。 キリスト教のイベントの話色々あるよなー
個人的には神は唯一なんだから別宗教も何らかの形で類似性を持つのは必然だ、と思うな
そもそも宗教という文化自体が民族の垣根を超えて生じる現象なわけで
では別宗教とキリスト教の差異はどこにあるのか?なんだけど、それは受肉したキリストをトリガーにしてるかしてないか、なんじゃないかな、と
キリストの受肉、贖罪、復活以前の宗教は太陽信仰の文脈で「外に輝く神」を信仰する
キリスト以後のキリスト教は「内に輝く神の視点から見た外に輝く神」を信仰する
これは大きな違いなんじゃないかな、と
祭事関連の類似性は大した問題じゃない
異教徒にキリスト教を浸透させるために融合させた、という解釈もあるけど、別にそれでもいいんじゃん?って感じすかね >父なる神と主イエスと聖霊なる神が同じ方である
同じでーす >>232
異教由来もあればユダヤ教由来もあります。
クリスマスはハヌカのお祭りが元だと思いますけど ユダヤ教の祝日も元を正すと異教の祝日ですよね。
エジプトじゃないかしら >>205
>決して生き返らせないようにしたい
未開の土人は敵の死肉を喰らいます。 サティは釣り糸を垂れるだけで釣れるのでいちばん好きです。 ナオさんのキリスト教への嫌悪と漢前さんのサティー評について繋がる出来事があった
んでつらつらと↓なことを考えた
キリスト教のムードは肉と霊の二分化を極端に意識化させた
肉は避けるべきもので霊は求めるべきもの
これはサティーの価値観から言うと現在と理想の関係でも捉えられる
この二分化は高低差、ようするに差別を構造上否応無く生んでしまう
御霊に生きると高く、肉の欲に生きると低い、という価値観
この源流はプラトンまで求められる
アウグスティヌスによりこの二つの潮流は神学上融合したけど、そもそも聖書の時点で二分化と高低差の価値観はキリスト教により、より広範囲に広められた、とも言える
ナオさんのキリスト教嫌悪の源流には、マイノリティとして、この信仰者の差別意識への嫌悪があるのではないか
そして、その嫌悪の原因はサティの中にも色濃くあるのではないか、と思われる
強者の弱者への暴力に根源的な嫌悪を感じつつ、サティの価値観はその暴力を生む機構の真っ只中にあるんだな >>256の霊と肉の二元化、そして高低差についてはそれでもその通りだと認識している
キリストの語ったことは真実であり、批判を挟む理由がない
では>>256でサティが何を批判しているか、という点なのだが人格向上教を批判している
人類の営みは放蕩息子が神に帰還するグローアップストーリー
一人称の主人公がいろんな困難に会いながら試行錯誤で成長しながらゴールに辿り着く
このストーリーの正当性は一人称の主人公である自己についてのみ適用される話で、他者に対して求めるもの、ではない
グローアップストーリーは当の一人称本人の十字架だから
他者に人格の向上は求めるとは、私と隣人の関係を霊と肉の二分化と高低差のレンズ、ようするに差別の構造に巻き込む、ということ
キリストに習う場合は、人格向上を隣人に求めるのではなく「共に生きる」となるのではないか
第一に神への愛、第二に隣人への愛
隣人にはこの姿勢のみが求められる
キリストに倣う道においては人格向上教は自己にのみ適応し、その途上で出会う隣人には承認のみを与える
この姿勢のほうが人格向上教よりキリストの教えにフィットしてるな、と思いました >>253
様態論やないか。
>>254
三位一体はトライアングルです。
それバアル。 神格を擬人化してはなりません。
記号化して図示するのみ。 >>259みたいなことを鑑みるとキリスト教の独自の価値に改めて気付く
人格向上教は救われる人、救われない人の差別の構造を生む
人格向上教ではエリート意識、勝ち組、負け組を生む
勝つことによって負ける人を作ってるわけだ
もちろん自己における訓練は重要なんだけど、あくまでも一番重要な戒めは第一に神への愛、第二に隣人への愛なんだな
共に生きるだけでOKって結論になった
要件人間はやっぱダメで、世間話上手くならないといけないなw >>256
なるほどね
たしかにマイノリティであるところの
アニミストやヌーディストやニューエイジは肉の欲を規制しないしね
現世利益のシントーや道教も世界的にはマイノリティだし 宗教的マイノリティであるアニミストには
大麻吸引、児童虐待、近親相姦、姥捨て、食人など
肉欲の限りをつくす部族もいるし
彼らの文化と霊性を尊重するか
折伏すべきか迷うところだね 人間は最終的な決定権を持たず、道を示すのみだと理解しているなら
助けても、目に余るなら批判しても良い。
また助けなくても、批判しなくても良い。
一つ忘れてはならないのは
もしあなたが人助けという点において
精神的なものを指しているなら
神の実現以上にあなたに力を与えるものはない。 >>264
キリスト教とそれ以外のマイノリティの構造で考えるのではなく、キリストに倣う道においてはマイノリティには愛を与える
高い/低いの差別の構造に巻き込むのは人格向上教に任せればいい
って感じかな
キリスト者だからこそそうなる、みたいな感じ
(上手く説明できないけど) >>265
道を示す、助ける、という価値観自体が人格向上教的で、キリストの道に即してないって結論になりました
それはエリート意識が根底にあり差別を生みます
道を示す、助ける、ではなく、共に生きるのほうがキリストの道の捉え方として正しいんじゃないかなって結論 >>267
>>265は一応同志に対してのものとして例示しましたが
それだと神父や牧師などの教会及び協会関係者批判になりませんか? >>268
受け取り方によってはそうなりますね
ただ、学校における教師と生徒の関係が学習において必要ない、という話をしているわけではなく
キリスト者としての心持ちみたいな抽象的な話を自分を対象にして行っただけすよ
そして>>267は「僕の解釈の補足説明」です
あなたもこうしたほうがいい、という話ではありません
自分の話 ナルミから愛の告白をされて、ウハウハ状態の河童サティw >>270
なるみさんは遊んで欲しいだけでしょ?
モブには愛の告白にみえるん?
非モテだなー 一方千葉猫は、いまだピッピにフラれた現実を受け入れられないでいた。 >>269
少し厳しい言い方かもしれませんが
キリスト教の目的は、神の実現ですよね。
それを踏まえると本気の人達には積極的に
そうでない人ならそれなりに対応してますよ。
例えば私だって、やる気ない人を非難することはしません。
本筋から離れず行きましょう、くらいは言うかもしれませんが。
一応勘違いのないよう言いますが
私にとって勝ち負け、エリートノンエリートはなく
すべては神の御心のみなので。 >>274
同意してますよ
自己への戒めとして
神の御心は隣人への愛、その僕なりの解釈が
共に生きる(存在をそのまま承認する)
ということになっただけです
やる気のない人、ある人とかで分けるのではなく
隣人として接する、全ての色眼鏡を放棄する
って戒めです >>275
時間がある世では常に創造の真っ只中すよね
んで瞬間瞬間である意味、完成されてもいる >>276
そうは言っても、マタイ7章6みたいなこともあるので。 真面目な質問
誰か教えて
サロメさんはなぜいなくなったのですか。
なくなったの?逮捕されたの?入院? >>276
あと、書き忘れましたが、あなたのスタンスを批判してるわけじゃないですので。
あしからず。 >>275
真理を知ること、目の梁を取ることと思って頂ければ。 >>278
はい、高低差の価値観はある意味で捌きでパリサイ派のようなエリート意識を生みますよね
パリサイ派のような人間が7:6のようなことをやるのではないでしょうか >>281
今日の投稿は実はあなたとの対話も影響大きいんです
よいきっかけを提供してくれてありがとうございます
やっぱり真剣に神を求めてる人と話すのはいいですね >>282
簡単に言えば、小学生に大学生の勉強を教えないけども
それは彼を差別しているわけではなくて、彼を混乱させないために
そうしているということです。 誤解のないように言っておきますが、私たちキリスト者も神の裁きを受ける立場であったんですよ。
それを主イエスのあの十字架の血潮によって、神との和解をさせていただいたのです。
1コリント口語訳
1:26兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
1:27それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
1:28有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
1:29それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
1:30あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
1:31それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。 >>286
これが理由でキリスト者は妬まれるものです。
愚かに見える者が救われるのですから。 >>270
ダボハゼみたいな存在だから好きと言われてるのだけどw 救いの条件とは、神と、神の愛と戒めを信じて、それに相応しい生き方をすること。
これが出来さえすれば万人が救われる。
逆に、これが出来なければ誰でも苦戦すると思う。 >>282
あとすいません。
また補足なのですが
仮に人の霊的進歩をマラソンに例えるなら
人の正しい努力は前に進むことに繋がるのですが
でもどれだけ進むか、ゴールできるかはすべて神次第
そして人の努力そのものも恩寵次第というのが私の立場です。
なので先ほどからエリートという観念を気にされていますが
私にとってそういう観念は存在せず
優れた走者は存在しないんです。
ただ兄貴は弟の面倒を見るよね、くらいの気持ちです。 サティはアメリカ帰りのエリートビジネスマンらしい。
すごいよね >>294
イエスの言葉にある“父なる神”、ユダヤ教的には“万軍の主”。 サティはアメリカ帰りのエリート商社マン、女の子にマンションあげてしまうほどの大金持ち。2ちゃんねるでは無料カウンセリングを奉仕で行って毎日人助けをしている。キリストの十字架を背負ってゴルゴタの道を歩む本物のキリスト者でもある。
極めつけは自ら逮捕されてカリビアンコムを閉鎖に追い込んだ。 >>281
イエスという巨大な眼の梁を
付けたままで、何をほざいて
いるのやらw。
「真理」「真理」と喚いていると、
またピラトの質問が来るぞ。 聖ピオ神父は聴罪司祭の仕事を一日中つとめていました。
ある司祭がその様子を見ていたとき、一瞬、
ピオ神父が消えてイエス様を見たそうです。
次の瞬間、ピオ神父に再び戻っていました。
ピオ神父はある時あるご婦人に言いました。
「あなたのご主人(妻子を捨てて他の女に走りガンで突然死)は永遠の責め苦を受ける。彼は罪の告解もせず許しも得ず悔い改めることもしなかった」
悔改めないある男性にはゆるしの秘跡を与えませんでした。
彼にこう言いました。「他の司祭のところに行ってゆるしの秘跡を得るならばあなたもその司祭も地獄に落ちる」 若い頃ピオ神父は悪魔から最大限攻撃を受ける経験をしました。
その時のことを逐一司祭への手紙に書いています。
ピオ神父は悪魔の名前についてこう言い残しています。
「私、私はする。私はできる。私、私、私。これが悪魔である。」
"Io, io faccio, io posso, io riesco. Io, io, io. Questo è il diavolo". >>302
ミルナさんその言葉の重要性絶対分かってないでしょ。 サティさんも色々考えるよねー
そういう文学青年的な生真面目さがナルミさんのお気に入り!
リベラルはさ、社会改良とか社会改革の目線があるし、何かしらの理想的基準によって、
他者を計り、他者を変えてやろう、世の中を計り、世の中を変えてやろうとナリガチよね。
だから怒りが起きやすいし、大変だろうと思う。
「絶対無力」の俺は、そんな大それたこと考えないもんなー
猫に乗られて激重でも、ただ堪えるくらいが関の山だしなー >>272
ハッキリ言っておく!俺も長文は読まない。
まとめ能力のない長文野郎はどうかしてると思うし、長文野郎の心理もどうかしてるだろう。
確かに俺は長文を書くが、自分では読み返したりはしない。自己嫌悪に陥るからだ。
てか、聖書も3行でまとめろよ・・・旧約3行、新約3行な!
旧約 ちょくちょく裁く
新約 まとめて裁く
このような簡略化に期待! >>308
真理は言えばいいってもんじゃないんです。
例えば、私がここで○○○○を解説したら
たぶん何人かはクリスチャンやめるほどのインパクトを受けます。
ゆっくり進む必要があります、 >>309
だんだんと独善と傲慢が出てきましたねw
老クリさんですか? 旧約
神は天と地を創造した
律法を守れ
律法を守らない奴は裁かれる
新約
律法の役目は終わった
救いは信仰のみによる
いずれ新しい天と地が来るので備えよ
律法や贖罪に目が行きがちな本だけど、
今の世界が生まれて終わるまでの宇宙叙事詩とも読める
ビッグバンから一端宇宙収束して再度ビッグバンみたいな? マンションとか・・・もんのすごい大邸宅を意味するんだから、
スペースも衣服もミニマム志向のサティさんには、キツいよねw
サティさんは同じ型番のシャツに、同じ型番のパンツを複数買って、
どれを着ようか考える無駄を省くほどの効率化・・・ほどじゃないかなw >>310
真理を素直に言えばより目的に近づく可能性はあります。
一方数ヶ月以上、精神的に参る可能性もあります。
私もそこまでではないですが、ある意味経験者です。
ここでも実際そういうこと考えなしに投稿する人がいるでしょう。
これに一定の意見を持つのも、無知といえば無知なんですが
私はそういうことは良くないと思ってます。
傲慢と言えば、そうなるかもしれませんが
老婆心からのアドバイスも受け取って頂ければと思います。 >>263
ヌーディストってエロくないもんなー
むしろ服を着てるほうがエロいでしょ。
>>264
聖書には近親相姦ありますね。
血筋の家族より、メシア信仰の家族のようなところもあり、実質的に姥捨てに近いかもね。 >>263
肉体は、神の創造物であることを忘れるなよ。
生命は、創造主が肉体に吹き込んだ
「命の息吹」即ち生命・聖霊。創世
記2:7を100回読み直せ。
その聖霊を、「肉体のどこか外から
鳩のように舞い降りてきて、イエスの
上にみに止まる物」と捏造して冒涜
したのがキリスト教。「聖霊を冒涜する
者は、永遠に赦されず、永遠に罪の責
を負う」。イエスとクリスチャンは、
もはや永遠に裁かれるのである。 >>316
「あなたがたは、だれも、その肉親の者に近づいて、これを犯してはならない」
と昆布くんがキャバクラで言ってたよ。 >>317
そもそも霊肉を二元論的に分断したのはパウロとプロテスタントやし >>318
クローズド・ブリーディングの問題は、人間に限らずあるんだけどさ・・・
信仰の兄弟姉妹間で伴侶を探すとか、ある意味近親相姦心理にも見えるよ。 創造主は、人間を、あくまで人間の感情と理性を持って自主的に
生きて行けるように創造した。創造後も神を思考し、神に依存する
ような「不完全人間」「欠陥人間」としてではない。創造は完全で
あった。
神の息吹を「生命(聖霊)」として人間に吹き込むことにより、
神のすべての能力と責任を、人間に与えたのである。創造後は、
役目を終えた神は姿を消した。人間がいくら呼んでも、来ることは
ない。イエスの処刑時に証明されたではない。イエスは、死に際して、
初めて神の不在を知ったのである。 >>321
頭悪いのう。創造は完全であったの完全さ。
その完全の考察が浅いんだよ。 シメオンの頌
主よ、今こそ御言葉にしたがいて
しもべを安らかに行かしめたもうなれ
わが目は、はや
主の救いを見たり
これ、もろもろの民の前に
備えたまいしもの
異邦人をてらすひかり
御民イスラエルの栄光なり
>>321
最後の神の不在を知ったのである、の神。
現世御利益の神の不在を知ったのである、じゃないの? >>313
>サティさんは同じ型番のシャツに、同じ型番のパンツを複数買って、
>どれを着ようか考える無駄を省くほどの効率化・・・ほどじゃないかなw
ほぼ正解www あと、最後にこれだけ言わせてください。
今ここにいらっしゃるクリスチャンの考え方だと
ほとんどと言っていい、50年経っても目的に至るのは無理です。
なんらかの観点的な転換がないとほぼ不可能です。
それは聖書云々の話ではありません。
イエスの求めている清浄な心を甘く見すぎています、目標が低すぎるのです。
それは委ねが徐々になるものだからという言い訳で
どうこう出来るレベルではありません。
例えばさっき、欲という話が出ました。
最終的に“私はこれをしたい”とすら思わない境地にならないと駄目です。
求められているレベルが妥協の許されないものだと分かりますか。 聖なるおとめマリヤの頌
わが心、主をあがめ
わが霊は、わが救い主なる神を喜びまつる
そのはしための卑しきをも
かえりみたればなり
>>319
生命(聖霊)は、肉体という「神殿」に
のみしか宿れない。すべての人間は
発生以来、そのことを知っており、
専ら肉体(神殿)を維持する努力
を続けてきた。
そんなことも知らなかったのは、
病気による知能低下のイエス
だけ。 >>327
ここにはクリスチャンはいませんよ。
私とピッピだけです。
ほかはみんな異教徒です。 >>327
あなたの言ってることは自力本願であり、
キリスト教徒は何の関係もありません。
必要なのは、罪の告白、許し、悔改めだけです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています