日本人が日本国憲法を72年間、一字一句書き換えることができないでいるのは
その裏打ちされてあるキリスト教精神を越える精神や宗教をもっていないから
なのですよ。だから、手も足も出ないのです。
日本人はそんな自分たちを「慎重であるから」と良く評価したいところ
でしょうけどね。
 他のキリスト教国は、憲法を平気でころころ変えています。
これをどうみますか。キリスト教国には憲法以上の「聖書」「キリストの教え」があります。
キリスト者は心の中で、憲法の上にキリストの教えを置いているのです。
ところが、日本人にとって憲法を越える尊いもの、寄りどころとなるものがありますか?
悔しいことですが、ありませんね。
 日本人にとっての聖書、聖典、それが日本国憲法なのです・・。
だから、日本人にとって日本国憲法を書き換えるというのは
キリスト者が「聖書」を書き換えることのようなもの、と似たような感覚があるのでしょう・・。
以上です。